貴方の眠りをこの腕に抱いて(サンプル) - 7/8

「寝顔」その後 05

痛みで目を覚ました時、恵は辺りを見渡してから頭と腹に鈍痛が再度走って呻いた。目を覚ましたということは意識を失っていたようだが、この場所に見覚えはない。狭い更衣室のようなロッカーの並んだ薄暗い部屋で、灯りはついていない。窓もないので外の様子も分からないが、思い出す限りの直前の自分の行動からして、夜遅いだろう。
恵は大学の講義を可能な限りいっぱい受けている。奨学金で通っているのだから、最大限活用しないなんて嘘だとばかりに一年の時から講義漬けだ。最後のコマが終わったら二十一時を過ぎる。安い学食を詰め込んでから受けるので、帰り道は少し眠い。そのタイミングで襲われたのだ。
パイプ椅子に座らされ、後ろ手に縛られているが、拘束は思ったほどきつくない。足も自由に動く。明らかに素人の仕業だ。何の為に恵を襲ったのか知らないが、恵は講義を終えた今、家に帰って宿儺を寝かしつけなければならないのである。こんな所で遊んでいる場合ではない。
恵はそっと椅子から立ち上がり、久々の大立ち回りに逸る心臓を押さえつけるように深呼吸する。十分もあれば余裕で終わる。

悠仁は兄からいきなり来た連絡に驚きながら、兄の卒業した大学に駆け込んだ。兄曰く、恵がここにいて、兄と悠仁を呼び出したのだとか。しかし、悠仁と恵は兄とは違う大学に通っているので、恵がここに来る理由なんてない。しかも深夜の大学に用事なんてあるはずがないのだが、果たして恵は確かに大学の端っこにあるクラブハウスにいた。何かの上に座っている様子だったが、近づいてその尻に敷かれているものを見た瞬間、悠仁は兄と恵がまさかの同族だったとは思わず、「マジカヨ」と片言で呻いた。
恵の尻の下には複数人の男達が重なり合っている。一番上の男の後頭部を踏みつけて、ペットボトルを片手に一服している友人になんと声を掛ければいいのか分からなかったが、宿儺はとても嬉しそうに「恵!」と大声で伴侶の名を叫んで歩み寄っている。恐らく喧嘩が強いというのは宿儺にとってポイントが高いのだろう。恵を抱き締めて何やら耳元で囁いている。イチャイチャするのはこの状況を解決してからにしてほしい。
そこで、一番上に積み上げられて恵に頭を踏まれていた男が真人であることを認めてしまい、悠仁は大体のことを把握した。真人が宿儺の同窓生である事も考えると、宿儺の夫であり、悠仁の友人である恵に興味を持った真人がちょっかいを出したのだろう。ありとあらゆる意味でこの男は社会からつまみ出すべきである。
「悠仁、迎えに来てもらって悪いな」
自分を抱き上げている宿儺の頭をじゃれつく犬のような扱いで撫で回しながら恵が悠仁に声を掛けてきた。その状態で絡まないでほしい、ほら、宿儺がこちらを睨んでいるではないか。邪魔者扱いされるのは心外である。大体、運転免許を持ってるのはこの面子では悠仁だけなのだ。ここまで来るのに使った車で帰りたければ悠仁を追い出すなんてありえない。
「こっちこそ、真人が恵に何かするなんて思ってなかったわ、わり」
「警察には通報した。この長髪が主犯で、他は宿儺に恨みがあるらしい」
気絶してるのに気味の悪い笑顔が張り付いている愉快犯の罪は数え切れない。順平にしたことに加えて、義理の兄の分までこの男を問い詰めなければならないなんて。悠仁はこの男の処遇について頼りになる大人達を頼るべき時が来たのだと受け入れた。出来れば大事にしたくなかった悠仁の心を踏み躙った真人が悪い。
「それで恵をこんなとこまで連れてきたわけ?」
「いや、誘拐されてたみたいだ。気絶させられて、目が覚めたらここにいた」
頭にたんこぶができていると恵が申告した途端、宿儺の動きに変化があったが、すぐさまどうどうと恵がなだめてしまった。何なんだろう、兄夫夫は。
「俺は大したことない。さっさと帰るぞ」
「警察待たねえの?」
「面倒だ。それに宿儺は明日も朝が早いんだ」
早く寝かしつけないとと言うので、悠仁は考えるのをやめた。とっとと家に返して悠仁も実家で寝たい。
持ち主に断りなくステップワゴンの二列目と三列目を全て倒して勝手に寝る用意を終えた宿儺と、それに寄り添うように座っている恵を乗せて、発進する。宿儺は完全に寝たらしい。鼾を掻くこともなく、恵の足を枕にして熟睡の様子だ。全く図々しいし、何の役にも立っていない。なのにバックミラー越しに見える恵は宿儺の頭を撫でて寝顔を見つめている。夜の車内なのでその表情までは見れないが、大体の想像はつく。
「恵さあ、宿儺と一緒にいて大変なことない?」
二十年余住まいを共にしてきた身としては兄の横暴さに辟易したし、その所為で色んな面倒事が虎杖家に降り掛かってきたので、とても苦労した。今や恵が宿儺の家族として本人の代わりに謝りに行ったり、示談で済ませてもらえないかと悩む日々を送っているのかと思うと気が気でない。
「別に。まあ、態度も図体もでか過ぎるとは思うけどな」
悠仁の心配なんて知らず、恵は何でもないことのように言う。デカすぎるなんて言葉で済ませて良い態度ではないはずだが。図体も二メートルもあるのだが。恵は感情を他人に読ませない。だけど、伴侶の頭を撫でる手は動き続けている。
「今回みたいなのは?」
「これくらい平気だ」
「でもそれだけじゃ済まなかったかもしんねえじゃん」
真人は今回たまたま恵を殺さなかった、或いは殺すつもりだったのに、手違いで殺し損ねただけだ。もっと人数がいたら、いくら恵が喧嘩が強くても負けるだろう。そういうことを心配しているのだ。宿儺を恨む奴は多いし、宿儺に好き好んで絡むのはヤバい奴が多い。
恵は暫く沈黙した後、静かに口を開いた。
「……一緒になる前、宿儺に聞いたんだ。俺の方の事情で危ない事に巻き込むかもしれないって。そしたら、面白そうだってコイツ笑いやがった。だから俺も気にしない」
「いいのかよ、それで」
というか、恵の方の事情とはどういうことだろうか。悠仁は何も聞かされていない。友達だし、義理の兄弟になったけれども、そこについては夫夫じゃないと聞かせてもらえないことなのか。思っていた以上に、宿儺と恵は親密らしい。いやまあ夫夫なんだから当たり前なのだろうけど。悠仁の知らない二人がいるのだと教えられて、不思議な気持ちになる。生まれる前から一緒にいた兄により詳しくなるのは悠仁の友達であり、悠仁のほうが先に知り合った友達を独占するのは兄なのである。その間に入ることはない。入りたいとも思わないが、微妙な距離感を覚えてしまう。やっぱり不思議な気持ちだ。
「いいんだよ、お前も気にすんな」
それ以上は多分何も言わないだろうと思われたので、悠仁は何も言わないことにした。
「とりあえず免許はよ取ってくれ。毎回ドライバーはきつい」
「……わりい」