そして彼はエクソシストになった

 街中の人間がうろつく十月三十一日の夜、宿儺は自宅の屋根から街全体を見渡していた。仮装した子供の群れがあちこちの家を訪ね歩いている。姿はまちまちだ。伝統的モンスターを子供用にアレンジしたものから、最近流行りのアニメの格好まで、統一感がまるでない。コスプレをして家々から菓子を徴収するものと捉えているのだろう。
 仮装している連中の年齢もバラバラだ。一番幼いものは幼稚園児、果ては大学生と思しきものまで。流石に菓子をねだりにいくのは小学校低学年くらいまでのようだったが、各々酒でも入っているのか、どんちゃん騒ぎだ。はしたなく姦しい。
 その中に宿儺の目当てはいない。確証もなかったからあまり期待していなかったが、空振りなのは少々腹が立つ。いや、来ると期待した己が愚かだったか? あの男ならば必ず現れると考えていたが。
 不意に背後から近づく気配があった。懐かしい足音。規則正しく、分かりにくいが他人とは違う特徴を持つこのリズムを刻む男を宿儺は一人しか知らないし、この男の足音しか覚えていない。どこにいようともこの歩き方で探し出してみせたら、勘違いされて目が四つもあるのか鼻がいいのかと言われた。実際には全身で追い求めていた。
 振り向けば、生前の姿形と変わらない唯一の存在がいた。いや、頭に角が生え、黒い翼が背に生えている。肩甲骨から伸びているであろう濡れているように艶やかな羽の集合体は自在に動いている。上等なくせに裾が泥で汚れたぼろぼろな黒いスーツを着て、裸足で歩く姿は奇妙だった。
「裏切り者」
 伏黒恵の姿をした男は、伏黒恵と同じ声、同じ話し方で宿儺に近付いてくる。果たしてこれは本当に伏黒恵であるかどうか。
 そんなものは決まっている。
「しくじったのはお前も同じだろう」
 一年前の伏黒恵が死んだ日、宿儺もその場にいた。伏黒恵の目から光が失われ、肌が白くなっていき、命の色が床に広がるのを、己の腹から血を流したまま見ていた。伏黒恵が住む安アパートのバスルームの黄ばんだタイルの溝に沿って流れていく血の全てを飲み干して死にたかった。何の因果か、宿儺の肉体はそう簡単に死ねず、手術の末、生き残ってしまった。
 以来、一秒間だけ死んだ宿儺は変なものを見るようになった。死に触れたものだけが見れるのだと羂索は興奮気味に教えてきたが、そんなことはどうでもよかった。その中に伏黒恵がいないのならば、全て意味がないのだ。
 蘇った宿儺を死の世界に再び戻そうと躍起になって襲いかかってくる気味の悪い連中を嬲り殺し続けたこの一年は本当に無駄だった。無為な日々の向こうに伏黒恵との再会があるはずだと期待していなければやっていられなかっただろう。
「目覚めても隣にお前がいなかった時の俺の気持ちが分かるか?」
 伏黒恵の形をしたものの手が宿儺の頬に触れる。激痛が走り、皮膚が爛れたのを感じた。そのままベタベタと宿儺の首を辿り、シャツを破って胸に触れる。
「この鼓動を感じるたびに怒りが増した」
 いやらしい動きで触れた箇所が爛れて萎びれて無惨な様になる。なんとも言えない臭いが鼻を掠める。
 そのまま心臓を掴もうとした手に聖水をぶち撒けると、悪魔は声にならない悲鳴を上げて手を離した。宿儺の肌と同じように爛れている。
「そんなに俺のことを考えたか? 生前よりも熱烈だな」
 宿儺は隠し持っていた聖水を見せつけながら、十字の刻まれた輝くメリケンサックを手に嵌める。
「お前の聡明なその頭を俺への怒りでいっぱいにできるとは光栄だ」
 顔面を渾身の一撃で殴れば後ろに吹き飛んだが、翼で体勢を整えられた。あの翼を引きちぎってやればよかったのか。
「何すんだ、てめえ」
「別にお前がいないこの世に未練はないが、やすやす死ぬのも面白くない。本気で俺を呪って地獄に引きずり込んでみろ」
 伏黒恵は今まで見たことがないような形相で宿儺を見ていた。心地いい。ここまで固執されることが楽しいとは思わなかった。
 立ち上がり、宿儺に向かって悪魔が走ってくる。宿儺は人生で一番笑い出したくなるのはあとにも先にもこの時間だけだろうと確信した。

「それで悪魔祓い四十年もしてんの? やべえ爺だな」
 弾除け代わりの小僧に蹴りを食らわせれば、安い子供の玩具のような呻き声が聞こえた。地下の回廊は静かすぎて小僧の声がよく響く。
「アイツは数年で悪魔の王になり、そう簡単に地上へ来ることが叶わなくなったらしい。代わりに俺を殺そうと躍起になって悪魔を送り込むようになった。だが、俺は着実に善行を重ねて天国行きを目指している」
「悪魔殴ってるだけじゃ天国行けねえだろ」
「さあな。地獄にさえ堕ちなければ俺の勝ちだ。あの男は一生俺を恨むことになる」
「酷い野郎だよ。そいつ、好きな人じゃなかったの?」
 どのように感情を表現するか、千差万別であってもおかしくないのに、人々は固定概念の枠から外れると途端に異端扱いする。宿儺の感覚を理解できたものは今のところ地獄にいる男だけだ。
「呪われるほど愛されるのが幸せというものだ。俺は生涯幸福でいたい」
 げえっと煩い小僧の尻を再度蹴り上げた頃、目的地に到着した。地下空洞の真ん中には今にも裂けそうなほど膨らんだ腹の女と、馬鹿馬鹿しい呪文を唱える連中がいた。小僧も流石に慣れたのか今更ビビりやしないで、どこからか持ってきた短剣を構えている。
 悪魔の王を降誕させようなんて無粋な計画をぶち壊さなければならない。メリケンサックを握りしめて、宿儺は意気揚々と全てを破壊しに儀式の場に足を踏み入れた。

宿儺:熱烈に追いかけられる上に連中を殴り殺せるので毎日楽しく悪魔祓いをしながら伏黒恵の怒りと固執を感じて幸せを感じている。天国に行ったらどんな顔をするんだろうかと考えることもあるけどまあ九割九分九厘地獄行き。サクリファイスできないしね。
伏黒恵:あの日殺しそびれ、地獄で自分一人であることに怒り心頭。生前の聡明さは残ってるが理性があまりなく、ストッパーぶっ壊れ状態。一日でも早く宿儺を引きずり込みたいのに拒否られてばかりで更に怒ってる。
悠仁:死にかけて以來変なものが見えるようになり困っていたので、噂を聞いて悪魔祓いの弟子入りしようとしたが今のところ雑用と弾除けしかしてない。マジで何も教えてくれない爺だったが、魔王とは浅からぬ縁があると小耳に挟んだので尋ねてみたものの、回答が聞けるとは思ってなかった。宿儺が機嫌よくてうっかり口を滑らしてくれたがドン引きしたし、同時に悪魔祓いしてる理由がわかって納得した。