政宗は、小十郎が畑を楽しそうに耕しているのをぼうと見ていた。あの女は畑の中にいるとき、とても楽しそうで嬉しそうな顔をする。戦に出ているときは血に興奮していて、とても魅力的で暴力的で猟奇的な笑みがその厳つい顔に映えたが、戦でないときはその本来の性根に似合う穏やかで厳格な顔をしていた。どちらの小十郎も政宗は愛していた。恐ろしくいきり立っているときも、自決を覚悟で政宗を諌めようとする覚悟も、愛情に飢えている政宗をどうにかして愛しもうとする姿も、何もかもが尊いものであるとしか思えなかった。
だが、政宗は知っているのだ。小十郎は女であることを認めない。小十郎と名乗る以前の名を教えてくれないほどだ、女であることを小十郎は忌み嫌う。すべては政宗のためであった。女であることを捨てたのも、畑をいじるようになったのも、刀を握って人を切るのも、すべては政宗の所為なのだった。
「Hey, 小十郎、飯にしよう。腹減ったぜ」
「政宗様、小十郎めに構わず、城に御戻りください」
ついでに溜まった書面をすべて片付けてください、とばかりにぎろり睨まれてしまって、政宗は苦笑した。今日はもう書面を見るのはうんざりしているのだ。ここ数日、城にこもって大人しく政をしていたのだから、勘弁して欲しい。日課である朝の鍛錬は許してもらえたが、時々、機嫌がいいときや悪いときに遠駆けしていることすら、政務の際は許してもらえなかったのだ。体が疼いて仕方ない。だが、政宗が馬に乗らず、小十郎の耕している姿を見ていたのは、先の戦で足に怪我を負った小十郎の様子に何処かおかしいところはないかというのを見るためであった。小十郎は我慢強く、また、主にとってたいしたことではないことは決して見せまいとする。すべて自分で解決してしまおうとするのだ。それは、奥州を統べ、天下を取る政宗の心に何の負担も欠けたくはないという誠実な思いからであることを、政宗は十分に知っていたが、愛した女のことを心配するのはおかしいことではないだろうし、寧ろさせてくれと思っている。正室の愛姫が政宗の右目を嫌い、避けているのだから、余計に右目を愛したくなるのは、当然のことだろう。
「連れねえな、折角手前の主が見守ってやってるってのによ」
「結構です、国主であられる貴方様が仕事をなさらないことの方がよっぽど恐ろしゅうございます」
「へぇへぇ」
そう言いながら、女中に持たされた握り飯を頬張った。小十郎も手拭で汗をぬぐい、政宗が腰掛けている木陰へと歩いてきた。鍬は握ったままでやってきたので、少し休憩をしたら、また畑に戻るのだろう。今の時期は丁寧に面倒を見てやらねば、美味い作物はできませぬゆえ、と嬉しそうに話す小十郎に、政宗は少し胸が痛んだ。
暫くして、政宗は小十郎に尻を叩かれて、城に戻って書面と向き合う羽目になった。大して多くはなくなっているが、最上やら相馬などからの鬱陶しい手紙が多くて仕方がない。Shit! と吐き捨ててから、政宗は小十郎が戻ってくるまでそれらの返事を書いていたのだった。
*
夜も更け、辺りが真っ暗になった頃、政宗はこそりと閨を出た。月夜をどうしても見たくなったのだ。今宵は美しい三日月が見れることだろう。少し雲がかっているほうが、政宗は好きだった。小十郎の背中に背負っている三日月を思い出すのだった。あの女はどうしてこんなにも政宗の心を掴んで離さないというのに、政宗と交わらないのだろうと考える。詮無いことだ。すべてはあの女の所為ではない。右目とともに母の愛を失い、飢えて怯えた根暗な子供だった政宗の我侭と弱さが、今の片倉小十郎を生み出したのだ。あの女は何も悪くない。寧ろ、あの女に謝らねばならないのは、政宗なのだ。
月は、ぬばたまの闇の中でひっそりと愛を地上に降り注いでいた。小十郎のように美しい。誠実で、あまりにも純粋に思ってくれているのだ。小十郎の心には、忠誠と共に愛がある。しかしながら、その愛が、政宗と交わることは決してない。あの女は家臣であることを何よりの誉れだと思っている。政宗がその心を踏みにじるわけにはいかないのだった。どうしようもなく、じれったい。右目として愛し、頼るのと、女として愛し、求めることの違いが時々分からなくなる。だが、隻眼の政宗を支えることができるのは世界でたった一人、小十郎だけであるのは、何があろうとも変わらないことをよく知っていた。
正室の愛姫は、いけない。いつかはあれとも妥協せねばならないことはわかっていたが、今は出来そうにもない。こんなにも右目を愛してしまっている間は、できるはずもなかった。だが、世継ぎが必要だった。この奥州を伊達が統べるためには、政宗の後継が必要なのだ。
それが、たまらなく嫌だった。男を抱くのは何とも思わなかった。それに政宗のお眼鏡にかなうような容貌のものは中々いない。だから、どうでもよかった。だが、女を抱くのは嫌だった。母のこともあって、女は苦手だったし、何よりも、小十郎に申し訳がなかった。小十郎は不生女だった。子を孕めないのだ。水銀を飲んで、孕めないように自ら仕向けたのだった。それは小十郎の覚悟の表れであった。生涯、政宗様にお使えすることこそが、小十郎の幸せでございます、と言い放ったあの女の気持ちを、政宗はわかってやれない。女の苦しみは、男にはどうしても分からないのだ。だが、小十郎にも政宗が感じた絶望感を知り、真に理解することなど出来やしないだろう。
時々、こうして、愛しても求めても手に入れられない女のことを考えるために、政宗は月を眺める。あるときは、あの女があんなにも畑を愛している理由を考えた。昔、母に毒を盛られたときのことを恐れて、小十郎は政宗が口にする野菜をすべて作ることを約束した。試行錯誤の末、今の美味い作物がある。とても美味くて評判であることは、政宗にとっても嬉しいことだった。だが、同時に、やはり、申し訳なさが募った。小十郎は、命を育みたいのだ、と気付いたのだ。子は生めない体だからこそ、何か命あるものを愛でたいのだろう。でなければ、あんなにも優しい目をして、必至に畑を激しい風雨から守ったり、遠くに戦へ出かけるたびに他国の畑の様子を見て研究したりはしないだろう。侍であるというのに、あそこまで畑のことに執心しているのは、政宗の食事の安全のためだけではない、何か形のある命を、育んで、愛しんでやりたいという女の心だとしか、政宗には思えなかった。どれほど、体を鍛え、男を斬り殺せるほどの腕を持っていようと、竜の右目の名に恥ずかしくないように毅然とした立派な態度をとっていようとも、己を「俺」と呼ぼうとも、あの女は――小十郎は女なのだ。
月を見上げる。美しく、ひっそりと輝き、愛情を注ぐくせに、触れさせてはくれない月を、政宗は愛した。どうしようもない阿呆だとちょっと笑った。いつかは、この愛も消えうせるのだろうか、と思ったが、月が輝き続ける間は、政宗は月見をやめないに違いなかった。
