あたしは自宅で触媒のチェックをしていた。第十区にあるこの家は魔術士しか入ることを許されていない。力のないものが入ろうとしても決して入ることは出来ない。エルデンに蔓延るクソ野郎から身を守のに一役買っているかと言えばそうでもないけれど、いろいろな魔術士専門の店があるのは第十区である。住みよい場所であるのは確かだ。
あたしは触媒の残量を確かめ、新たな魔術を求めるために書物を開いたり、特殊な精神状態の時間短縮の為の第三脳の更なる開発と研究をする。いつもなら。今はそんな気分にはなれなかった。なれない? そうじゃない。思い浮かぶ光景があたしの集中を奪う。あたしの心を捕らえて放さず、ただ無惨に切り刻んで焼き尽くしそうになるものがある。考えたくないことを、あたしはついつい考えてしまう。謎を、分からないことを、知らないことを解き明かすのはあたしの習性なのだ。魔術士のあたしは考えてしまう。突き詰めてその向こうにある真実や事実を知りたくて仕方がないのだ。初めてこの習性が憎くなった。そんなことは一度もなかったはずなのに。お姉様の魂胆を知ったり、トモヨの途方もなく明晰過ぎる頭脳を知ったり、サフィニアの前途のある――もしかしたら、お姉様を打ち負かし、越えてしまえるかもしれない潜在能力(ポテンシャル)と才能に気付いた時でさえ、あたしはひたすら負けたくないと思った。あたしには稀有な素質も明晰な頭脳も長く生きてきたという経験もない。だから、ただ、求めた。努力を人の十倍、もしかしたらそれ以上してきた。比べられるのが嫌になるくらいの天才達の中で埋もれない為には、努力しかなかった。あたしにはそれだけしか。あたしには、まだ経験が足りない。それなりに実用的な魔術をもっと使えるようにと、仲間達と共にアンダーグラウンドに潜って侵入者(クラッカー)もどきのことをして時々稼ぐためと実践を兼ねたことをするけれど、二百年以上生きているお姉様の膝にはまだ届かない。届くためには更なる努力と独創的なアイディアが必要だ。第三脳は当然の事、空間転移は誰もなしえなかった魔術だ。まあ、第三脳はクルオも出来たけれど。しかも、五人もいるのだから、驚きだが、それでも、誰もが簡単に出来るようなことではない。いつだったかあいつにも話したけれど、あたし達は無茶をする。しなければ誰にも到達しえない。だから、あたしは、形振り構わず魔術に没頭していた。
だからなの?
だから、あいつはあの子を選んだの?
あたしが伝えれば、時々起きてくる思いを伝えていたなら、何かが変わっていたのかしら?
馬鹿だわ。何を考えているのだろう。意味がない。あたしは頭を振った。無意味過ぎてお笑い種だ。ちゃんちゃらおかしい。「もし」なんて、仮定なんて、あたしのすることかしら? 違うわ。そんなことはあたしのすることじゃない。無意味な仮定なんて、あたしはしない。そうよ、これは無意味だわ。そう結論づけたら、胸が軋んだ。軋むなんて。嫌になる。
思い出してしまう。あの時もただひたすら悲しくて悔しくて耐えきれないと思ったわ。無理よ。あいつが死ぬなんて信じたくなくて、雷獅子を受けたあいつを見てあたしは無力なただの女のように悲鳴を上げた。実際、あたしは息も絶え絶えで、ZOOの異様に幼い癖に医術式を会得しているばかりか、鵺流古式戦闘術まで心得があるらしい、少なくとも昼飯時の淫蕩医術士よりずっとまともそうな――確か、ユリカという名前の少女の手当てを受けなければ死にそうなくらいだった。無力だった。クルオとの戦いで第三脳をぼろぼろにされ、第六戦でのダグゼルだかダグゼリオンだったかを倒すために無我夢中で虐帝髑髏を贄の園から召喚したから、体力も尽きかけていた。だから、動けなかった。それは事実だ。けど、あたしはあの子のように、雷獅子で火傷まみれになって腕がもぎれてぼろぼろになったあいつに駆け寄ることが出来たかしら? 分からない、なんて都合のいい言い訳はしない。きっと出来なかった。呆然と立ちすくんでしまっていたかもしれない。その時のあたしが何をどう判断するのかはなんとも言えないけど、確かな事は一つ。
あいつはあたしの呼び掛けなんかに応じてはくれない。
アルカーディアやらジャシュギシュやらに喰われかけているあいつにあたしは歩み寄って、あの子のように泣きそうになりながら何かを囁く余裕なんか、きっとないわ。その仮説が酷く辛かった。あたしはあいつの何を知っていたのだろう。あたしはあいつの何を見てきたのだろう。あたしはあいつの声をあの子より知ってるはずなのに、あいつとの付き合いが長いはずなのに。違う。違うわ。そんなことは関係ない。どちらがどれ程知っていて、見てきて、感じていたなんて、そんなことは関係ない。所詮、あたしはあの子のようにあいつの隣に駆け出したりすることは出来ない。それだけなのに。分かってるのに。
「……どうして、あの子なのかしら」
あたしの頬が少し濡れた気がした。きっと気のせいよ、とあたしは一人強がった。あたしは誰かに甘えたりするなんてことを知らない。知らないから出来ない。あいつになら。そんなことを考えていたのだろうか。否定も肯定も出来ないのが酷くもどかしかった。
