初戀の死骸
(原作軸 / 色々終わって呪いの王が消えたあとの恵の話)
眠っても疲れが取れなくなった。腹が痛い。ふとした瞬間に泣きたくなるようになった。胸が痛い。時々物凄く感情的になる瞬間がある。頭が痛い。
体調不良が重なり、伏黒は休暇を取るように言われた。破格の五日の連休を誰もが羨ましがらず、口々にゆっくり休めと言ってくれた。それが心苦しかった。家入には、五日しか与えてやれずすまないと謝られた。この業界は元から人手不足なのに、更に人が減ってしまった今、半日休みが常だった。丸一日休めるだけでもありがたいのに、それが五日。贅沢過ぎたし、かえって気が休まらないと思われたが、しかしその処分も当然だった。
昨日の任務で伏黒は怪我を負ったが、その原因が重なる体調不良だったので、ある程度回復するまでは任務につくことを禁じられたのだ。薬を飲んでも消えない頭痛、抑えられない吐き気、鋭く断続的に続く腹痛、それらに気を取られ、注意力散漫になり、咄嗟の判断ができなかった。幸い、同行していた虎杖に助けられたので酷くはならなかったが、体調が芳しくないのを誰にも言わず黙っていたのを、虎杖に静かに怒られた。多分、逆の立場なら同じ事をしていただろうに、自分に言われると反抗したくなった。俺は大丈夫だと主張したが、五条と虎杖が組んで家入にドクターストップを出させた。だから、安全な高専の敷地内の寮で、伏黒はのうのうと休んでいる。
こんなに弱っていたのか、と翌朝のベッドで全身の痛みにのたうち回って、実感した。押し殺してきた疲労が体を蝕み、動きを鈍くする。そもそも二時間を超えて連続して眠っていることが減った。睡眠薬では眠れなくなっていた。昨日は二十二時には眠りについた筈なのに、真夜中に、そして二時、四時、六時と目が覚めた。
反転術式ではどうにも出来ない、精神的なものだと家入は言った。自分はそんな柔な人間ではない筈だ。
顔も覚えていない父親が帰らなくなった時も、義母が消えた時も、当時住んでいたアパートの電気やガスが止まったとしても、伏黒は怯えたり不安になったりしなかった。いざとなったら警察でも何でも使って、無責任な親から逃げ出すつもりだった。その前に五条が手を差し伸べてきたが、その手も別にお綺麗なわけではなかった。それに嫌気が差しても、体が何かを訴えるほどではなかった。
体調不良は何か良くないことが起きていることのシグナルで、何かが限界なのだと体の持ち主に訴えかけているのだ。しかし何を? 何が限界なんだ? 確かにこの世界は侭ならず、腹立たしく、無力感だけを与えてくるが、そんなのは前々から分かっていたことだし、今更それで体を壊すとは思えない。
あの時、呪いでも食らったのだろうかと半年前の事を思い出す。だが、五条は何も言わなかった。呪われてるならば六眼が何かを見つけているだろう。なら伏黒は宿儺に呪われていない筈だ。
思い出すと、余計に胸が苦しくなって、訳もなく涙がダラダラと流れた。泣いているというよりは、勝手に溢れてきてどうしようもなく虚しいということだけを刻み込むように液体が溢れているのだ。そう、虚しい。心の何処かが空虚だった。何もないのが苦しい。切り取られたのが痛い。なのに、何を奪われたのかが分からないから、対処のしようがない。どうして自分はこんなふうになってしまったのだろう。
世界を危険に陥れかねない両面宿儺は半年前完全に祓われた。斃したのは虎杖だった。しかしとどめを刺したのは伏黒だった。いや、正確には、呪力の枯渇した両面宿儺が瀕死の伏黒に反転術式を施したことで、呪力が尽きて消えてしまった。その執着の理由を、結局誰も知らないまま、呪いの王は灰になった。
世界は半年前に比べてかなり呪いの勢いが削がれている。五条がいるので、そこそこ強い呪霊がうまれることもあったが、呪いの王の影響に比べれば可愛いものだよと、当代最強は言う。人手不足が加速した呪術界でも何とか回せる程度ではある。四級がぞろぞろいるだけなら狗巻の呪言でも瞬殺できる。宿儺を斃した虎杖もまた、一級でなければ拳を一回打つだけで事足りるくらい強い。東堂も片手を失いつつも、今の程度なら術式無しで戦えると言って最前線にいると聞いた。伏黒だけだ、こんな情けない事になっているのは。なんでなんだと思うが、憤る程の勢いはなかった。その気力がない。
なら何に気落ちしているというのか。世界は良くなっていないが、悪くはならなかった。それだけでいいじゃないか。そんなものだ。呪術師はヒーローではない。世界を良くすることはできない。より悪くならないように堰き止めるだけだ。それでも、今回については充分な結果だったと言える。伏黒だけでなく、皆そう思っているし、その遣る瀬無さを認めて飲み込んだ上で呪術師として生きている。
他の呪術師よりも伏黒は綺麗な体をしている。体が欠損することもなく、深い傷跡もなく、一般人の中に紛れていても浮くことのないほど、目立った何かはない。虎杖は顔に傷が刻まれている。そんな容貌になってほしくなかった。そんな気持ちが体を蝕んでいるのだろうか。そうではない、とすぐに気付く。何故、宿儺は器の傷は治さず、伏黒の傷は尽く治したのだろう。その疑問はしかしすぐに仕舞い込んだ。考えたくはなかったし、詮無いことでもあった。今更答えがわかるわけでもなし、無駄なことに時間を割いていられない。
今はとにかく体を休めよう、と掛け布団を頭から被った。何も見たくなかったし、何も聞きたくなかった。同時にこんな自分を誰にも見られたくなかった。

