贄
(江戸くらいの時代のパロ / 伏黒が土地神)
余所からやって来た僧侶を案内しろと母に言いつけられ、太作はちぇっと舌打ちした。案内する場所が場所だ、恐らくはお祓いにでも来たのだろうが江戸ができるよりもっと昔から呪われた土地をどうこうできる徳の高い僧などここには来やしない。胡散臭いのが何人も来てはお祓いの対価を求めてくるが、村人全員で叩き出している。それなりに連中の間で有名らしいが、誰一人として伏黒の呪いを祓えた奴なんていない。なのにしつこくやってくるのだから堪ったもんじゃない。
今日来た僧侶は背が高くかなり体格がいい。六尺ほどの背丈で、足も大きい。十二文ほどか。体付きからして二十二貫はある。大層な巨漢だ。目付きも鋭く、悪漢などこの男の前では赤子同然だろう。ただの僧侶ではなくて、噂に聞く比叡山とやらの僧兵ではあるまいか。
「それで、伏黒の場所はどこだ」
「へえ、近くまでなら案内しますけど、わしゃそこまでよう行きませんで。そっからは一人で頼むわ」
「承知した」
僧侶を伴い山を登る。目指すのは山頂にある飲めもしない伏黒の湖だ。言い伝えによれば黒い龍だかなんだかが伏せているとのことで、伏黒と呼ばれるようになったそうだが、そんなのより魚の一匹でも取れりゃよかったと太作は思っている。湖が変な色をしているからか、周りには草木も生えない。呪われているのだ、あの湖は。それを皆こぞって祓ってやると言い出すが、誰一人としてどうにかできた試しがない。この僧侶がいくら力自慢だったとしても、伏黒の呪いには敵わないだろう。
「こっから木の一本も生えてねえから、まっすぐ行きゃすぐ分かるやろ。わしゃここで帰んで」
この僧侶があの湖に足を滑らせて落ちたところでどうだっていい。生きて帰ってこれたら御の字だ。
だが、僧侶は深く頷いて、まっすぐと呪われた湖に向かっていった。
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男は伏黒の湖に着くと、その上を歩いた。歩を進める度に波紋が広がる。緑玉色の水はあらゆる命を拒んでいる。男も例外ではない。
ケヒッと男は笑う。湖の中心に立ち、目の下のもう一対の眼を開くと、その奥に眠る龍の姿を暴いた。五百年の間に随分成長したらしいが、この山を掌握するに至ってない。然もありなん、元はただのちっぽけな子供だったのだ。それがここまで力をつけただけでも十分なくらいだ。
「もういい頃合いだろう。俺のもとに来い」
哀れな事にこの山の呪いの根源とさえ誤解され、逆に呪われてしまっている始末だ。程度の低い呪霊がこの湖の周りを飛んでいる。これらの呪霊を祓い、尚且今にも火を噴きそうな山を鎮めようとする子供は随分愚かだ。守るべき女も死んだのに、何故まだこの地を守ろうとするのか。
男の姿に気付いたらしく、龍が首を擡げて男と対峙した。龍の瞳は湖と同じ緑玉石だ。緑に輝く黒い鱗に覆われている様は、見慣れぬ者には呪いそのものにも見えかねないが、男にはまだ人間だった子供の艶のない髪が思い出され、あの時に比べて随分大きくなったと感慨深くなる。
「断る」
龍は人の姿になった。年の頃は十五、艷やかな緑の黒髪の合間から覗く鮮やかな緑の瞳が鋭く男を睨んでいる。痩せ気味なのは昔と変わらない。人も呪いも食わないからだろう。
「俺はここから離れない」
「お前の血縁も随分血が薄まったろう。先程の案内人とて取るに足らん愚鈍な人間だ」
「お前にとっちゃ、どいつも同じなんだろ」
「違いない」
ケヒッと男が笑うと顔を顰めた。男が愉快な時、子供は不愉快を隠さない。
「俺以外の贄になったお前がとても憎たらしく呪わしい」
手を差し伸べて頬に触れる。人の身とは違う冷たい肌が心地よい。自分のものになればより素晴らしく感じられるだろうに。この肌が熱く燃えるようなことをしたい。こんな所で人に呪われながら人を守るなんて相応しくないのだ。
「なら、お前が俺の贄になれ」
男を睨む緑の瞳はどろりと毒のように男を侵そうとする。言葉の奥に潜む呪いを感じて、男は大声で笑った。
「よもやお前からそんな言葉が聞けるとは」
手に入れることばかりを考えていたので、その逆を考えたことはなかった。しかし、逸脱しているとはいえ男は人間であり、子供は土地の力を持つ人ならざるものだ。可能ではある。
「この身を捧げたとして、お前は俺に染まらんと言えるか?」
「俺の中で生きていけるものなんてない。精々励めよ」
子供は大きく口を開けた。男はそれに覆い被さるように口を重ねる。こんなに愉快な気持ちになったのは初めてだった。

