シンデレラ

 ルルーシュは深い溜息を吐いて自室の椅子に乱暴に座る。黒の騎士団の活動が本格的になり、学校生活を疎かにしていたしっぺ返しを食らっている最中であった。サボっていた分のプリントや課題が山積みである中、鬱陶しいと思ってしまう紙が一枚、机の上に置かれている。課題ではない、高校二年生ともなれば否でも応でも誰もが考えなければならない進路希望調査だ。素直に自分の野望を書くつもりもないが、そもそも、ギアスを手に入れる前からも学業を修めた後の事に興味はあまりなかった。大学に進学したとして、何を学べというのか。専門的に研究したいと思うことがあるのか。そもそも、ルルーシュが教師から勧められる大学は本国にしかないのだから、父親から逃げ隠れる生活を送っていたかつてのルルーシュは、それを全て断って、就職するしかないと考えていた。いつまでもアッシュフォードの世話になることもできないと分かっていたし、ナナリーのことも考えれば働くことを優先するべきだと判断していた。
 今はどうだろう、ブリタニア帝国を崩壊させる算段はついている。このエリア十一もいずれは日本という名を取り戻すことだろう。それが具体的に何年後なのか、それ次第でルルーシュがその先をどう生きるのかが変わってくるのではなかろうか。とにもかくにも、どこかの企業に就職して、誰かに扱き使われるのは御免であるとしか言えない。ただの学生である現在でも十分に扱き使われているのだから、いや、もうルルーシュはただの学生ではない、テロリストを操る正体不明の男は只者とは言えないだろう。ではルルーシュが自分だと考える、今ここにいる人間は一体何者なのか。表向きには学生で、その裏ではテロリストの親玉として正義の味方を騙るペテン師である。父は皇帝であり、母は軍人から皇妃に成り上がった。その息子であるルルーシュ・ヴィ・ブリタニアはその名を忌まわしいものとして世間に伏せ、ランペルージなどと、貴族でもない姓を名乗っている。過去を塗りつぶし、ひた隠し、現在すらも偽りに塗れ、ではこの先は一体どうなるのだろうか。
「ルルーシュ、帰ってたのか」
 C.C.はいつだって自分勝手だ、とルルーシュはため息を付きながら、進路希望調査と書かれている紙をファイルに仕舞い込んだ。おかしなことを考えてしまったものである、それもこれもこんな紙切れに心乱されたからだ、いや、それ以上に、こんな紙切れに心乱されるほどルルーシュが疲れているのかもしれない。疲労が積み重なると些細な事が気になってしまうものである。
「どこに行っていたんだ、C.C.。あまり出歩くんじゃない。余計な心労を増やすな」
「どこへ行こうが私の勝手だろう。束縛の強い男は嫌われるぞ」
 減らず口しか叩けないのか、と睨みをきかせると、C.C.は鼻で笑う。この女は全くルルーシュの思うとおりに動かない異分子である。勝手に出歩き、ナナリーといつの間にか交流し、宅配ピザを恐ろしいほど注文し、それでいて肝心なことは何も言わない。全く面倒な女を拾ってしまったものだ。
 C.C.はどこかで購入してきたらしい市販の焼き菓子のパッケージを開け、ベッドに寝転びながら間食を楽しんでいる。数時間後にはそこで睡眠をとるというのに、何故汚すような行動を取れるのか、理解に苦しむ。それに誰が掃除をするのか分かってやっているから質が悪い。
「おい、ルルーシュ、お前、進路希望調査になんて書くつもりだ?」
「待て、何故お前がそんなものを知っている?」
「私は何でもお見通しなんだ。魔女だからな」
「妙なところで目敏いな」
「いいから質問に答えろ」
「答える理由がない。義理もない」
 ルルーシュは久しぶりに考えることに嫌気が差して、寝支度をし始めた。どうせ大量に出された課題などすぐに終えられるし、黒の騎士団の方は扇と藤堂に預けてきた。生徒会メンバーとは明日顔を合わせるから、何か仕事があればその時に許容範囲内で引き受ければいい。だから今日はもう休もう。学校生活だけではなく、黒の騎士団の活動でも色々と面倒なことばかりで、それなりに仕事を割り振っているはずだというのに、どうしてこうもうまくいかないのか。特に黒の騎士団は学生ではないテロリストの集団であり、成人しているものが多いはずなのにどうしてあれほど仕事ができないのか、という腹立たしさを何度も覚えているから、そういう細かなストレスがルルーシュを蝕んでいるに違いない。
「俺は寝る。どけ」
「おや、珍しい。お前が良い子の時間にお寝んねとは」
「茶化すな。ベッドに食べ物を持ち込むな。お前も寝ろ」
 ルルーシュが浴室に向かおうとするとC.C.が付いてきた。どうやらお菓子を食べるのはやめて寝ることにしてくれるらしい。部屋を出て人気のない廊下を歩く。窓の外は暗く、廊下の電気も自動点灯ではなくなっている時間なので点いていない。微かな月明かりが静かに歩く二人を照らしている。黒の騎士団での自室はオートロックになっていて、完全にプライバシーの確保ができているし、シャワー室も寝室も設けているので、あそこではルルーシュが普段被っている様々な仮面を取り外すことができる。それでも、何年も暮らしているこのクラブハウス棟の気配が一番落ち着くのだと今実感している。だからこそ、ひた隠しにして、己すら欺いて無視していた疲れが一気に表に出てきているような感じがする。何もかもが億劫だ。
 隣を歩くC.C.がルルーシュの細い腕に手を掛けてきた。一番とまでは言わないが、この女もルルーシュの疲れの一因である。何か口を開くたびにルルーシュを怒らせるか疲れさせるかのどちらかしかしないのではないかというほどだ。今も彼女は怪しげな笑みを浮かべてこちらを見ている。
「一緒に風呂に入るか? お疲れ気味のようだからな、マッサージをしてやろう」
 胸をぐっと押し当て、肩に腕を回し、ルルーシュの耳元でささやく。歩きにくくて仕方がない。鬱陶しいとばかりに振り払ってやった。
「何故風呂とマッサージを同時にしようとするんだ?」
「……だからお前は童貞君なんだよ」
 浴室に入るのはルルーシュが先だ。いつもそう決まっている。話し合ったわけではないが、何となくそうなっている。C.C.と二人でする行動のほとんどがそういう暗黙の了解が多いと改めて気づく。一年も経たない内にこの女はルルーシュの懐に収まってしまっている。油断も隙もない。だが、ルルーシュが全てを、捨てられた皇子であるルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの野望を、体の不自由な妹を守りたいと願う兄であるルルーシュの切なる願いを、少々不真面目な学生であるルルーシュ・ランペルージの生活を、突然現れ正義を語るゼロの正体を知っているのもこの女なのだ。他の人間はルルーシュの持つ幾つもの仮面のうちの一つしか知らない。ナナリーは兄のルルーシュを、生徒会メンバーは学生のルルーシュを、黒の騎士団はゼロを知っているが、ルルーシュの抱く激しい怒りと絶望を知るものはいない。この女はすべてのルルーシュの仮面を知り、そしてその裏側にあるものも知っている。だからこそ、同じ部屋で同じ寝床を使用することも、マナーさえ守っていれば然程気にしていない。過去の自分からは想像もできない事態に今陥っているのだと再認識する。ギアスがその最たるものだ。
 ふと何を考えているのだろうと我に返る。どうでもいいことではないか? 最優先で考えるべきはルルーシュがいないと纏まりを見せず禄に仕事もこなせない無能な連中をいかに活用するかとか、取引先として中華連邦を利用できるかどうか、またその利用するリスクとリターン、得られる利益の問題等であるべきで、普段はそういうことをきちんと計算できているはずなのに、今更全てが不明で理解の範疇を超えるC.C.の事を考えたところで、何かメリットがあろうか。やはり疲れているのだ、C.C.が風呂から上がればすぐに部屋に戻って彼女の髪を乾かして寝よう。
 風呂から上がったC.C.を急かし、部屋に戻る。彼女が勝手にルルーシュの金で買ってきたドライヤーを手に取り、手早く乾かす。長い髪を手入れすることには慣れているから、十五分もあれば彼女の髪は乾いた。ルルーシュは早く寝てしまいたかった。C.C.もそれを察してか、文句の一つも言わないで、ベッドに横たわった。明日の予定を確認し終えた後に携帯電話を充電器に繋いで、部屋の照明を消す。いつものようになんとなく決まってしまったお互いのベッド上の領域内に倒れこんだ。C.C.に背を向けて目をつぶる。
 だが、眠りに入らぬ内に横で寝る女がルルーシュを仰向けにした。ゆっくりとルルーシュに跨がり、眉を顰めるルルーシュの頬に触れる。C.C.の長い髪が鬱陶しい。
「俺は寝ると言った筈だが?」
 C.C.はルルーシュの言葉を無視して、唇を重ねた。遊びたいなら別の時にしてくれ、と思いつつ、ルルーシュはそれを受け入れる。抵抗する気力も起きない。C.C.の気が済むまで、互いの唇は戯れた。時折、C.C.の手がルルーシュの額を、耳を、首筋を、さわり、ルルーシュはC.C.の項を、背中を、腰を引き寄せ、交じり合う真似をする。
「多少は元気になったか?」
 漸く離れたC.C.の口からこぼれた言葉に、ルルーシュはこれ見よがしと溜息を吐いた。
「俺は疲れているんだ、寝かせてくれ」
「確かに死にそうな顔をしていたな」
「なら大人しく寝ろ」
「死人を蘇らせるには魔法のキスだろう?」
「俺は喉に毒林檎の欠片を詰まらせていないし、お前は魔女だ」
「魔女は気に入った相手には優しくするぞ? 頑張り者には機会と魔法の道具を与える。シンデレラが幸せになったのだって、魔女に舞踏会へ行く機会とドレスや馬車を与えられたからだ」
「そうだとしても、王子が魔女に救われる話を俺は知らないな」
 お伽話における魔女というものは、乙女を誑かし理不尽な条件付きの魔法をかけるか、乙女を呪い、永遠の眠りへ誘うものだ。時に、乙女に手を貸す存在だが、目の前の魔女は年若い皇子を言葉巧みに契約させ、生き延びるための力を与えたが、その後の行動の傾向を見るに良心的とは言いがたい。
「ならば今から作ればいい。美しい永遠の命を持つ魔女は、迷える復讐者たる皇子を甘いキスで救う、感動的な物語をな。」
 C.C.はルルーシュの横に寝転がった。だが、その手はまだルルーシュを捕らえて離さない。何をしたいのかルルーシュにはわからなかったが、それは迫り来る眠気か、はたまた疲れのせいだろう。とりあえず、女の方を向く。C.C.の琥珀色の瞳は、まるで彼女が人とは異なる次元に生きるものであることを示唆するように、妙なきらめきを放っている気がした。
「救うとはまた恩義せがましいことを。何から俺を救うつもりだ、お前は」
「死の眠りから。あるいはこの世の災から、とでも言えばロマンチックでいいかもしれんな」
「お前に詩人の才能はなさそうだな。陳腐にも程がある」
 馬鹿馬鹿しい、とルルーシュの頬に触れるC.C.の手を掴む。C.C.はそれを意に介さず、ルルーシュをまっすぐ見つめている。口は軽いが、目は冗談を言っている様子ではない。
「それから俺を勝手に死人扱いするな。死ぬつもりはない」
「なら、もう少ししっかり養生するべきだな。貧血で倒れるぞ。目的のためには自分の体力も考慮して動け」
「そこまで言うなら俺の仕事の一部を負担してくれ。お前には計画の大筋を伝えてあるだろう」
「私はお前の共犯者だが手下ではない。扱いに気をつけろ」
 掴んだままだった手を離す。この女の考える事、言う事、成す事、全てが理解不能だ。何を求めてルルーシュと契約を結び、ギアスを与えたのかさえ、少しも漏らさない。過去も、マオの件で一部知ったが、偶々覗いてしまったようなもので、この女の意思によるものではない。ルルーシュの意図を汲み、行動することもあるが、それはルルーシュの願いを叶えることでこの女の願いが叶うからだろう、それはそれで、また、この女の欲するものとは違うような気がする。ああ、眠い。眠いが、しかし、この機に何か言葉をかけなければいけないと胸が騒いでいる。琥珀の瞳はまだ人には戻らない。
「お前は俺の計画に必要だ。それなりの扱いをしているつもりだが」
 ルルーシュは気怠い体を動かし、肘をつき、C.C.の上に被さる。目と目の距離が近くなる、近くなればなるほど、妙なきらめきはルルーシュに何かを訴えかけるようにちかちかしている。
「俺は生きる。全てに復讐し、ナナリーの未来も母さんの真実も手に入れてみせる。そのためにもお前を手放すつもりはない。だから寝床も食事も嗜好品も与えてやってる。それで満足できないというのか」
 睨みながら問うと、C.C.は一度目を閉じて、再びルルーシュを見つめた。妙なきらめきはなくなった。代わりにC.C.は小馬鹿にしたように笑う。
「酷いプロポーズだ。亭主関白も程々にしなければ熟年離婚まっしぐらだぞ」
「俺に結婚願望はない、特にお前と結婚したいなどという考えは一度も抱いたことはないし、これからもない」
「顔と学校の成績表だけでモテる男はクズだな」
 C.C.が腕を伸ばして、ルルーシュの頭を抱き込む。もう限界だ、とばかりにルルーシュはそれに従い、目を閉じる。C.C.が額にキスをしたような気がしたが、その頃には寝付きの悪いルルーシュも深い眠りに陥っていったのだった。