スマートフォンのアラームが鳴るのは大体朝早い時間帯だ。クソ眠いと思いながらアラームを止めて、Limeを立ち上げる。このアプリを使ってメッセージを送るのはたった一人だ。殆どの相手には電話で要件を済ます。
〘おはようございます。今日はバイト行ったら事務所行くっす〙
朝食を食べているとピコピコと通知音が聞こえた。
〘無傷で来いよ〙
この街を無傷で歩けるのはほんの一握りの存在だけで、大体は十メートル歩くうちに怪我をしたり変なのに絡まれたりするものだ。レオナルドは後者だが、相手は前者だ――強い人って感覚ズレてんだよな。
〘無茶言わんで下さい〙
〘努力しろ〙
言葉だけだと素っ気ないが、向こうはこれでいてこのやり取りを楽しんでいるのを知ってるので、レオナルドも気さくな返しをする。一応上司だし、これも仕事の一環なのだが、堅苦しいのは詰まらないと愚痴られたことがあるので失礼過ぎない程度に崩す。
〘努力ではどうにもならんこともあるんです〙
〘確かにもう背は伸びないだろうな〙
〘それはどうにかなりますから!!! 将来的に!!!〙
〘そろそろ時間だろ〙
〘うわ、やっべ〙
〘昼にサブウェイ〙
〘あざっす!〙
スマートフォンとダミー財布と所持金の確認をすると、レオナルドはソニックを連れてバイトに向かった。
ピザのデリバリーのバイトの良い点はどこにでも行けるということだ。何か起きた時はそのままバイクを走らせて逃げることもできるし、あるいは現場に向かうこともできる。その際バイクが壊れてもヘルサレムズ・ロットだからということで結構寛容なのもありがたい。
デリバリー用のバイクを走らせながら、やばそうな物をチロチロ見かける度にスマートフォンを触ってしまう。Limeで逐一報告するのがすっかり癖になった。
〘ヲタクの異界人、二次元キャラの実在化研究進めまくってますよ。セーラー服のなんか変に露出した女の子のキャラ〙
〘無害だとありがたいんだが〙
〘応用されたらやばくないっすか〙
〘やめろ。フラグを立てるな。今は特に〙
〘おつっす〙
今頃事務所で胃をキリキリさせながら書類の山で遭難しているであろう上司の姿が目に浮かぶ。先週の堕落王がやらかした一件で、研究すべき魔獣が出てきたのでそれをライブラの解析班に任せているのだがこれがなかなか手間取っているらしい。他にも異界人と接触したこともないくせに勝手に崇め奉って異界人をヘルサレムズ・ロットから連れ出そうと計画している頭のイカれた外の連中のお陰で書類の山が消えないのだ。つくづく自分が管理職じゃなくてよかったと思う。
〘もうすぐ終わるか?〙
〘あと一件〙
〘いつもの所にいる〙
〘了解〙
スマートフォンをポケットにしまってバイクを走らせる。タダほど高いものはないというか、金欠気味の青少年にとって誰かの奢りは、たとえその裏が見えていようとも食いつかないはずもない誘惑なのだ。
バイトを終えるとまっすぐいつものサブウェイに向かう。結社の入り口の一つにとても近い所に店舗を構えているので、いつもそこを利用している。
店内を見ればスラリと背が高いくせに少々猫背気味且つ草臥れつつある男の姿が見える。店内にいる人の大半がその男の魅力を認めるであろうに、ご本人は何もかも投げ出して南国に逃げたいという計画を頭の中で組み立てていそうな顔をしていた。
「お疲れ様っす〜」
「注文してこい」
無造作に渡された紙幣へキスをして感謝を示すと、いつも肩やら頭にいる相棒と共にカウンターで注文する。あんなにひょいっと金を出せるほど稼いでみたいものだが、稼いだ所で気前よくばらまけるような立場じゃないなと思い出す。そんなことをすればSS先輩の餌食になるだけだ。
「ゴチになりまーす!」
「その代わりこのあとバリバリ働いてもらうぞ」
「うぃーっす……」
律儀にもレオナルドを待っていたスティーブンと共に昼食にかぶりつく。スティーブンに報告するようになってからは時々こうして昼飯をおごってもらえるようになったのが幸いだった。
★
スマートフォンを壊すこと通算十回目をめでたく迎えた時、スティーブンは到頭十一機目のスマートフォンにインスタントメッセンジャーLimeをプリインストールしてレオナルドに渡してきた。
「少年、今後君の行動はGPSだけではなくて君自身に逐一報告してもらうことにした」
「はい? なんでっすか?! めんどくさ……」
「君がスマートフォンを壊す理由を考えれば自明だろ」
言い返す言葉もなかった。レオナルド自身はライブラから支給されているスマートフォンを個人的な理由(トイレで水没とか使い方が悪いとか)で壊したことがないのだが、何らかの事件に巻き込まれて壊す傾向がある。仕方ない事とはいえ、スティーブンはレオナルドのスマートフォンから発信されるGPSが切れる度に声にならない悲鳴を押し殺して捜索するのが面倒になってきた。せめて直前の行動さえ分かれば何とかなることもあるし、或いはトラブルを回避する為の警告を出しやすくなると考えて、インスタントメッセンジャーを導入することにしたのだという。
「ボスはクラウスだが、人員の管理は僕の職域だ。そしてリスク管理、リスク回避はこの街に住むなら最も重要なことだ。分かるな?」
「うっす……」
「逐一報告しなきゃならないのは面倒だろうが、僕も逐一君の生活の報告を受けることになるってことだけは覚えておけ」
「お手数お掛けいたします! スンマッセン!!」
そうして始まった生存報告だが、案外楽しくやっていた。最初は無味乾燥な報告ばかりしていたのだが、徐々に教科書に載せるような堅苦しい言葉遣いから崩れていって今ではネットの掲示版に書き込むような気楽さでやり取りをしている。そしてレオナルドの生活の実態を知るやいなや、スティーブンは時々飯を奢ってくれるようになったのだ。プライベートはGPSだけだった時より減ったが、元からあんまり隠す必要もないような生活を送っているので全く気にしていない。
「それで、どうだい?」
既に食べ終わってしまったらしい上司は、まだ食べているレオナルドに訊ねてきたが質問が曖昧だ。
「どうだって、どのことです? 夫婦喧嘩の挙句、異界から一族郎党連れて人類に復讐しようとしてた異界人妻なら、人類の夫と仲直りして今は必死に一族を追い返そうとしてますよ。うちのピザで」
「ピザなんかで効果あるのか?」
「なんかピザというよりチーズが天敵らしくて。彼らにとっちゃシュールストレミングどころか化学汚染テロ並のやばさみたいでして……今のところピザで円盤投げして追い返しに成功してますし、売上は伸びてます」
「そりゃ良かったな……そうじゃなくて」
「セクシーなお姉さんに化けて色々食い散らかしてる人はHLPDの案件なんでしょ」
「規模が小さいからな。いや、それでもなくて」
「ん? なんですか?」
「君なあ、自分のプライバシーが侵害されてるって思わないのか?」
「あ、そっち!」
スティーブンは脱力して信じられないという顔をしたが、レオナルドの日々の予定などバイトとライブラの仕事とゲーム、それから友達と遊ぶことくらいで、その予定にいちいちケチを付けられているわけではないので構わないかと思ってしまうのだ。多分返信のある日記程度の感覚なのだろう。
「いやあ、僕のしょうもない生活の監視しなきゃいけないスティーブンさんのほうが大変だなって」
「君の生活を覗くのは、まあ……マシだよ」
「何と比較されてるんですそれ?!」
ザップの生活と比較されてるならあんな次元の違うクズと同じレベルにしないで欲しいし、その他の仕事と比較しているにしても色々ずれてるのでやめてほしい。
「いっそのことツェッドみたいに事務所に住めばいいのに。自分の為にも上司の為にもそうすれば?」
「それはちょっと……」
「毎回何かしら私物をなくすはめになってるくせに」
呆れたと言わんばかりの顔だが、本気で説得するつもりはないようだった。エックスステーション爆破事件時のショックの受けようを思い出されてるに違いないが、あれは仕方ないのだ。血尿出るまで働いて貯めた金で買ったハードと人生を変えたゲームが吹っ飛んだ上に保障されなかったんだから! しかも自分の趣味なので結社に請求するわけにもいかなかった。結局自分で働きまくって買いなおした。
「まあ引っ越しが百回超えたら事務所住まい考えます」
「多分五年もせずに毎朝を事務所で迎えることになるだろうな」
ハハハとスティーブンが笑ったがレオナルドは笑えなかった。
★
朝起きるとLimeの通知が来ていた。内容を見れば全く下らない愚痴がグダグダと並んでいた。同時に送りつけられている写真を見る限り超絶美味そうな食事なのだろうが、相手が悪かったらしい。
〘生まれてからそれなりにいろんな人間にあってきたがあんなに品性が下劣で食事も下手くそな奴は見たことがない。絶対にセックスも下手くそで女に嫌われてるに違いない〙
と、こんな感じの調子でメッセージを真夜中に送ってきてたらしいがレオナルドは既に寝ていた。とにかく、返信を書く。
〘なんつう発言してんすか〙
酔っているのか吐き気がする程ムカついたのか分からないが、普段結社で見かけるような飄々とした番頭はこのトーク画面には存在しない。かなり自分に素直でズケズケと物を言う男の愚痴が時々怒涛の勢いで並ぶのだ。
スティーブンからの反応はすぐだった。暇人なのかと疑うスピードだが、スティーブンはスマートフォンの通知には人一倍敏感なだけなのだ。
〘金で品性を買えるわけがないってよく分かるクズだった〙
〘飯は美味かったんでしょ〙
〘あんなのを目の前にして飯が美味くなるわけがない〙
〘僕と飯行きます?〙
〘奢る〙
〘ゴチになりまーす!〙
〘夜開けておけ〙
今夜の食費を浮かせることに成功したのでソニックとハイタッチしてから家を出た。ちなみに朝食はない。
今朝は何もないのでまっすぐ結社に向かった。ネジやリールとの約束があれば昼から顔を出すことも多いが、今日は特にそういう用事もなく、今まで積み上げていたゲームを全て終わらせていたし(と言っても元々そんなに買ってないので多くなかった)、何か緊急連絡があっても大丈夫なように事務所で屯っておこうと思ったのだ。そうすれば態々Limeであれこれ報告することもないし、スティーブンにGPSで位置確認させる必要がなくなる。Limeであれだけ荒れたメッセージが来たのだから機嫌は悪いだろう。余計に機嫌を悪くさせるような事にならないよう気をつけなきゃな、と思って出勤したら、既に手遅れだった。
気の抜けた挨拶をした途端、スティーブンに彼の執務室へ連行されたのだ。あ〜これは〜とレオナルドは危機感を覚えたが後の祭りだった。
「聞いてくれよ、少年……」から始まる、レオナルドが耳にしても当たり障りのない程度であるが、だからといって内容が薄いわけではないスティーブンの愚痴が始まったのだった。
元々スティーブンとはLimeで報告以外の雑談をするくらいには緊張が解けて警戒しなくなっていたのだが、スティーブンが次第にレオナルドとのやり取りの間に愚痴を挟むようになったのは予想外だった。いや、最初は世間一般的な愚痴だった。ぼやき程度で、レオナルドは笑って流していた。スティーブンも半分冗談のつもりだった筈だ、それがどんどん加速していって、今ではLimeでのやり取りだけでなく直接愚痴を聞くようになってしまった。勿論の如く飯で買収されている。食事を与えれば何でも言うことを聞くと思われているなら心外だが、食事を与えてもらってるのでスティーブンのあれこれに付き合っているというのも否定できやしない。
スティーブンはライブラにおいて管理職であり、対外的な交渉を担っている。その上現場に赴く戦闘員でもあるのだから、職域を跨ぎ過ぎなのだが、スティーブン自身はどれもこれも妥協することなくこなしている。しかしながら、どれか一つでも偏ってくると他の仕事に影響が出る。特に交渉は他のメンバーではどうしようもないので、スティーブンは特に渉外に気を使っているようだった。
そうなると、溜まってくるのは愚痴だ。スポンサーとの会食、HLPDとの取引、各公共機関とのやり取り、情報収集などなど、多岐に渡る交渉を全て己でやろうとするからいけないのだが、本人は自分でやらないと気が済まないらしく、その度にストレスを爆発寸前まで溜めている。だからいつも事件が起きると最前線で闘うらしい。それでも言葉として話して吐き出すことですっきりすることもある。そしてそれには聞き手が必要で、レオナルドに白羽の矢が立ってしまったというわけだった。
ひとしきり喋るとすっきりしたのか、悪かったなと言いながらスティーブンはキャンディを投げてきた。女子でもあるまいにと思いつつ有り難く頂戴する。今日初めてのカロリーだ。
「まさかそれが今日一番に口にする物じゃないだろな?」
「え〜まっさか〜!」
ギクリと動揺したのはバレているようだった。スティーブンの観察眼は、神々の義眼とはまた違う性能の良さであるから誤魔化しは効かないだろう。事実、スティーブンは呆れたと言わんばかりの溜息を吐いた。
「夜に馬鹿食いするより、朝しっかり食べるべきだぞ。健康って言葉はご存知かな?」
「食費って一番調整しやすいんすよ」
「金銭面の補助はしてやるからしっかりした食事を摂れ。妹さんに兄貴が栄養失調で倒れました、なんて連絡はしたくない」
「それはダサいっすね……」
だからといって、食べられる時には掻っ込むけれども、ないならないで空腹のまま過ごせるずぼらなレオナルドには日々の栄養を計算してヘルシーに生きるなんて無理な話である。
「こんな都会に住んでいて餓死するなんて体を張ったギャグはいらないからな」
「いやいや、僕はどっちかっつうとボケをかます方じゃないっすよ?!」
「君の生活こそ冗談みたいなもんだよ、何をどうしたらそんなに腹を空かせながら怪我しまくるのか。いよいよヤバくなったらラインヘルツに頼みこんでコンバットバトラーを四六時中つけてもらうべきなんじゃないかと思ってるくらいだ。クラウスは反対しないと思うぞ」
「それはホント最終手段で頼みます!!」
その後は細々した雑用を投げられたので夜までちまちま働いた。雑用と言っても、ギルベルトの手伝いだとか、ザップの報告書を解読可能にするだとか、クラウスの庭で土運びやら水やりの手伝いをしたりするだけだ。スティーブンの手伝いをすることはない。色々と背負い込み過ぎの人の手伝いを一番するべきだと思うのだが、そういう人に限って人に頼ろうとしない。
夜になると、スティーブンが彼の執務室から出てきた。今日の業務は終わったのだろう、談話室でのんびりとゲームをしていたレオナルドを促してエレベーターに乗り込む。
「今日はどうします?」
「トラットリアにしよう。大衆食堂に行きたい気分だ」
「ならラーメン食ってからにしません? 腹ごしらえに。僕が出しますから」
「そんなに食うつもりか?」
「夜にドカ食いするのが幸せなんじゃないすか」
「君の幸せって不健康だな」
「贅沢って基本的に不健康なもんじゃないんですか?」
「まあ、確かに」
という訳で先にラーメン屋に行く。先日出来たばかりの喜多方ラーメンとやらの店に行くと、もう夕食時だからか人が少し並んでいた。
「並ぶのか?」
「並ばないと食えないじゃないすか」
「いや、そんなに美味いものなのかってことさ」
「美味いっすよ〜ラーメン。他にも美味い店はあるんすけど、今日はここに挑戦してみたくて。ネットでも評判なんす!」
「ふーん?」
「信じてないっしょー! 結構イケますから、食べてみて下さい」
十分も待たない内に店内に案内された。店内はアジアンスタイルだが狭苦しい感じはない。カウンター席に座って壁に掛けられてるメニューを見て注文する。レオナルドはスタンダードな醤油ベースにしたが、スティーブンは塩味にしたらしい。値段は高くないしかなり美味かったので、今度は斗兄弟かリールと一緒に来ようと思った。
ラーメン屋の後にスティーブンおすすめのトラットリアに行くと、丁度繁忙時間帯を抜けたところだったようで、店内はゆったりした雰囲気だ。
スティーブンがメニューもろくに見ずに店員に注文した。レオナルドはそれに慣れてるので何も言わない。スティーブンのガス抜きに付き合っている身分なのだが、金はあちらが出すから、スティーブンのオーダーに口を挟むつもりはないし、そもそも彼のオーダーが不味かったことはないので何が来るのか楽しみだった。
「は〜やっと一息つけるぜ」
喫煙者ならば一服しそうな様子で、スティーブンは出されたワインをグイグイ飲んだ。
「ホント、スティーブンさんって変な人に絡まれやすいっすよね」
「全くだ、世界にはもっと善良な人々がいるのに僕に話しかけてくる奴の大半がイカれてる」
「この前のおば様、あれから連絡してきました?」
「ミセス・ストリックランドか? いや、連絡先は仕事用しか教えてないから何とかなってるが……いつかプライベートの電話番号を特定されそうでね……」
「そんなにやばい人なんすか?!」
「ああいう手合は金に物を言わせるんだよ、少年」
「いくらなんでもおかしいわ……昔飼ってたペットに似てるからってスティーブンさんにしつこくペットになれって迫ってくるんでしょ? そのペットの種類を聞きたくないっすわ……」
「恐らく二足歩行してるだろうな」
「二足歩行できる犬とかじゃないですよねー明らか違いますよねー」
「朝は四本足で昼は二本足、夜は三本足だろうな」
「こっわ、ほんとこっわ」
「時々いるんだよなー表面上は普通で善良そうなのに話してみるとやばいってやつ」
「バイト先の友達もそんなんなんですよね……本人馬鹿だから幸せそうだけど……愛人ですらねーですからね、話聞いてる限り。丸きり愛玩動物扱い、異界人と人類だから文化的なあれこれが違うにしたって扱いやばいっすよ」
「この世は地獄ってことだな」
「ここ(Hell salem’s lot)で言われるとなんだかな~」
素晴らしくおいしい料理を食べながら楽しくないはずの話題で盛り上がるのは常の事だ。スティーブンならもっと難しい話題(例えば政治とか経済とか)も話したいのかもしれないが、レオナルドには解らないし、スティーブンは話題と相手をきちんと選びながら話す人なので、こんな話ばかりになる。
基本的にスティーブンはネガティブな人だ。つまり、何もかもを冷静に判断しており、尚且つ危機管理能力を持ち合わせている。そんな人の愚痴はなかなか濃い。でも面白くない訳じゃあないから、レオナルドも付き合ってられるのだ。
「そいじゃ、ゴチになりましたー」
「気をつけて帰れよ」
スティーブンは食べ始める前よりも穏やかな顔でレオナルドの頭をグシャグシャに撫でて帰宅していった。レオナルドも満腹になった腹を撫でながら、先ほど食べた料理をリバースせずに済むように慎重に道を選びながら帰途についた。
★
大家にいきなり追い出された。よく分からないが、レオナルドが住んでいたアパートに団体客(?)が引っ越ししてくるらしく、大家は今まで住んでいた住民を全て追い出してしまったので、今まで住んでいた異界人達が口からドロドロとしたものを吐き出したり、頭を真っ赤に光らせて怒りながらアパートを破壊しようとしていた。もういい、とレオナルドは荷物を急いで掻き集めて三ヶ月と四日暮らしたアパートを後にした。因みに五分後くらいにはアパートは壊滅状態になり大家が怒り狂って実行犯どころか周囲にいた通行人まで攻撃し始めていた。
〘家が壊れました。五十回目〙
〘折り返し地点にきたな、おめでとう。今回はどんな経緯だ?〙
〘追い出された住民と大家の紛争〙
〘早く事務所に来い。住宅選びが徹底的に下手過ぎる〙
スマートフォンをポケットにしまって歩き出す。引っ越しに慣れすぎて荷物が少ないのは幸か不幸か分からないが、少なくとも移動しやすいという利点はある。
とぼとぼ歩いていると、コスプレしたドギモの常連がいるのが見えた。めっちゃかわいい人類に見える女の子を連れたクソデブヲタク異界人が羨ますぎる。とそこで、異界人の横を完璧な笑顔と仕草で歩く女に違和感を覚えた。あ、と思った時にはスマートフォンを再び取り出していた。
「僕は君からの報告が来る度に胃が縮こまるようになっちまったよ」
スティーブンは案の定不機嫌一歩手前だった。それも当然のことだ、先日異界人コレクターと自称する人類の男が魔術と異界技術を融合させた特殊な道具で異界人の女性だけを捕獲して管理していたことが発覚し、その手段や手法もさることながらその目的が口にするのもおぞましいものだったので、ライブラがまた活躍したのだ。活躍したということはつまりスティーブンの仕事が増えたのだ。
そこに加えてレオナルドからの報告である、スティーブンの言葉は尤もだった。
「よく効く胃薬探してきましょうか」
「それより元凶をどうにかしなきゃ僕は永遠に薬漬けの人生だ」
「女医か薬剤師と結婚するのをめっちゃおすすめしますね」
「エステヴェス女史って結婚してくれそうかな」
「多分無理です。ご愁傷様です」
「友達くらいにはなってくれるかなあ……」
なんてふざけた会話をしつつ、レオナルドは見てきた映像を義眼でスティーブンに見せるために彼に近づいた。この使い方はスティーブンが提案してきたもので、Limeで報告するようになった一年前からちょくちょくやっている事だが、義眼を使用して映像を見せるという芸当は少々厄介でしょっちゅうやりたい技じゃない。だが面倒なことを説明するときには口よりも目で見てもらったほうが早い。
青白く光る義眼と、スティーブンのスレートグレーの眼が向き合う。義眼の光が反射されて、スティーブンの瞳が青く染まる。
「うーん、これ、どういう条件で再現しているのか……」
「単にカノジョ欲しいってだけならいいんですけど」
「素材が必要なのかどうか、必要ならその素材はどこから何を調達してくるのかが気になるな」
「これ、人間なら即アウトっすよね」
「そうでなくても、無尽蔵に作り出せるならヤバイぜ。無から有を作り出されちゃ困る……武器やら麻薬やらをどんどん生産されてみろ、ぼかぁ死ぬぜ! 過労死だ!」
ドギモピザの常連客の個人情報を他者に横流ししているのはコンプライアンス違反だが、これも平和の為、仕方がないということでレオナルドは異界人のヲタクが成功させてしまった妄想の実現化という術式についてライブラに報告した。
「これ、見る限り相手の女のほうは生きてないみたいだな?」
「一応……ただ、死体を使ってないとは言えないというか……」
「その辺りは流石に見極めづらいか」
「もうちょっと使えるようにします」
「無理しなくていい。脳を焼かれる方が困る」
スティーブンと近づけていた顔を離す。最初はやたらめったら近付いてくる顔にどぎまぎしたが、もう慣れてきて事務的にこなせるようになった。最近は余裕が出てきたので睫毛なげえなんて呑気なことも気付けるようになった。
「まあそっちは解析班に回してみよう。やばくなったらライブラの出番だ」
「そうならないといいなあ〜……」
「無駄な希望的観測はやめておけ」
スティーブンは着席し、書類の山の中にまた埋もれてしまった。
「ああ、少年、君は解析班に出来る限りの事を口頭と文書で報告してこい。視界共有はしなくていい」
「うっす。異界人の特徴と住所と、あとはあの実現化された女の子の事を言えばいいっすかね」
「ああ、それだけあれば解析班がなんとか調べてくれる」
お疲れ様っす〜と言ってスティーブンの執務室から退室する。解析班に提出する書類をちょちょいと書いて手渡しすると、レオナルドは談話室のベッドに座ってゲームを始める。もう今日はバイトもないし、家もないので安全な事務所で待機しているのがいい。余計なものを見つけてスティーブンの仕事を一挙に増やすなんてことがないようにしたい。
★
ライブラは人界と異界のバランスを保つことを目的とした組織である。その為に天才的な技術者や異常な程の能力を持ち得た人々を求めている。つまり、とんでもないほど様々な方面で優秀な人達が集まったとんでもない組織なのだ。
ということで、レオナルドの報告から三日も経てばライブラの優秀な解析班はクソデブヲタク異界人の開発してしまった技術について大方の予測を立ててしまっていた。仕事が速すぎる。
「レオナルド・ウォッチの報告によって判明した、ニョアナンス・ドルバルベリ・ナゲゲゴグが開発した欲望具現化技術についての報告です」
解析班のマイラ・ジョバンナのプレゼンによると、ニョアナンス・ドルバルベリ・ナゲゲゴグというクソデブヲタク異界人は昔から人界に興味があり、ヘルサレムズ・ロットが構築されたことを大いに感謝しながらこの街が構築されて以来ずっと住んでいる古参の住人だ。特にヲタク文化に感化され、様々な媒体やジャンルのゲーム、アニメ、漫画を網羅しており、ヘルサレムズ・ロットで度々開催されるヲタクイベントには必ず参加している程だという。種族の傾向として、執着したものに対して適切な能力を伸ばす事で生き延びるらしいが、身体能力は人類とあまり変わらないし、食人の趣味もない。単にヘルサレムズ・ロットに住みながらヲタク趣味を満喫するだけなら、ライブラもこんな奴の名前を知る日は来なかったろうに、ニョアナンス・ドルバルベリ・ナゲゲゴグは無から有を生み出す技術をここで開発してしまったのだから放っておくわけにも行かなくなったのだった。
仮に欲望具現化技術と名付けられたそれは名前の通り、己が抱く最も強い欲望を反映してくれるという夢のようなものだった。しかもニョアナンス・ドルバルベリ・ナゲゲゴグがケチ臭い奴だったが為に、材料は不必要になるように設計されている。これを悪用されれば大惨事につながりかねないと判断したライブラはこれを回収し、研究した後に破壊することを決めたという。
「回収しちゃうんですね?!」
「我々の今後の為に必要だろう」
しれっと言うスティーブンの強かさにビビりつつ、レオナルドはプレゼンに耳を傾ける。
詳しい理論については実際に見てみないと分からないらしいが(異界技術は正に人智を超えているのでそんなのは普通のことだ)、入力装置及び出力装置については既にチェインが家宅捜索して判明している。入力装置は宝石に似た鉱石(異界産)による装飾が凄まじいハート型のコスメポーチで、出力装置はハートが先端にくっついているやたらファンシーというか可愛らしすぎるステッキだった。最も感銘を受けた漫画に由来するデザインらしいが、そのデザイン性の素晴らしさに普通にインテリアとしてありだと思わされてしまった。
「ソーラー発電によって動くので大変エコです。また、具現化した物は定期的にメンテナンスさえすれば半永久的に動かせることが可能なようです」
「なんつう天才的なものを開発してるんすかね……神性存在でもないんですよね?!」
「いや、実は種族の源流を辿れば神性存在と関わりがあるという噂もあるらしい。なんせ、寿命もないし、老化も非常に遅く、生殖する必要がないからな。ただ、激しく絶望すると死ぬ」
「繊細だなあ……」
「という訳で、哀れなニョアナンス・ドルバルベリ・ナゲゲゴグには激しく絶望してもらう」
さらっと何でもないことのように言うスティーブンの怖さを改めて実感しつつ、レオナルドはナゲゲゴグ邸に侵入するための作戦に参加することとなった。
★
ドギモピザのバイトはデリバリーゆえの危険と隣り合わせとはいえ業務内容自体は平和で、バイト中にザップが乗り込んでこない限りは気楽にできる仕事だから、レオナルドはこのバイトだけは長く続けている。
今日は、先日から度々スティーブンに報告していた異界人夫婦の嫁の一族がヘルサレムズ・ロットにカチコミに来なければ、ニョアナンス・ドルバルベリ・ナゲゲゴグの不在を狙って家宅侵入し欲望具現化装置を回収する作戦が決行されるはずだった。
スティーブンが怒り狂いながら種族不明のやたらに鼻がでかい異界人の人類殺しを止めようと必死になっているのが目に浮かんで頭が痛くなった。あの異界人はぶよぶよしていて打撃は勿論の事、何故か切断もできない上に電撃で痺れたり、凍らせたり、燃やすこともできない厄介な種族だと判明したのが二十五分前のことだ。事前にチーズの臭いが弱点だと判明しているものの、街中を這いずり回り人類だけではなく他種族の異界人までも溶かして吸収する連中に現在焼き上がってるドギモピザの全てを投げても追いつかないだろう。とにかく一箇所に集めなければならない。クラウスが殴り飛ばしたり、ツェッドが吹き飛ばしたりすることで徐々に集められているようだったが、彼らを追い返すのがクラウスにとっての最善策なので、何とかして街中を埋め尽くそうとする連中を泣かせるほどのチーズを用意しなければならない。
「こんな面倒な事態になってんのにあの糞SS先輩はァァァアアア!!!」
スティーブンに抱えられたまま、現場指揮官である彼に異界人達の動きを伝えながら悪態をつく。
「少年、そりゃ僕も叫びたいさ! なんであんな女に引っかかるのか! あのアホにはほとほと呆れた!」
「女なら誰でもいいってある意味凄いですよね!」
「去勢手術を明日にでもやるべきだ!」
戦力として数えられるべきザップは、レオナルドが発見してHLPDに通報した食人の異界人女性にまんまと引っ掛かり現在入院中で、常にレオナルドの面倒を見ていたザップが不在なのでスティーブンがレオナルドを背負って走り回る羽目になっているのである。ザップの間抜け具合のおかげでHLPDは異界人女性を現行犯逮捕出来たらしいが、ライブラにとっちゃ恥さらしもいいところで、それでスティーブンは機嫌が悪かったのに、計画通りにいかなかったばかりか、訳の分からん理由で仕事を増やされたので機嫌曲線は更に極端に下がっている状態だ。
兎にも角にも、血凍道は高い氷の壁を作って進路を阻む程度のことしかできない。それをレオナルドの目が街全体を見通すことでサポートしている。スティーブンと視界を共有することでスティーブンはクラウスやツェッドに指示を出すことができているが、決定打がない今、苦し紛れの追い込み作戦にも限界があるし、レオナルドの目が脳を焼き始めたら現状維持すら無理だ。
「チーズ以外に弱点はないか、思い出せそうか?!」
「無理っす……僕だって偶々知っちゃっただけなんで! お客のプライベートにそこまで踏み込むつもりなかったんすよ!」
「チーズ、チーズ、どこで調達すべきか」
その時、レオナルドは思い出した。ソーラー発電で動くステッキとコンパクトの存在を。そいつは無限に欲望を叶えてくれる。
「スティーブンさん! ニョアナンス、なんだっけ、えーっと、とりあえずアイツ! 異界人オタク! アイツの家に行けば!」
「そうか……! でかした、少年!」
スティーブンは最後の土産とばかりに大きな氷壁を作り上げると鍵をかけたまま路上放置されていたバイクに乗りこんだ。レオナルドを背負ったまま。
「え」
「しっかり掴まってろよ!」
「え、うぎゃ、あああああああ!!! いきなり飛ばします?! マジで?!」
全速力でバイクを走らせたお陰で13分で到着したニョアナンス・ドルバルベリ・ナゲゲゴグの家には誰もいなかった。ライブラのメンバーの殆どは今現在チーズが弱点の異界人と戦っているからだ。
ニョアナンス・ドルバルベリ・ナゲゲゴグは自宅で己の作り出した美女とイチャラブメイクラブをしている最中だったが、スティーブンが彼らをセットで氷漬けにし、事前調査で判明していた欲望具現化装置を引ったくるとスティーブンは屋外に出てファンシーなステッキをレオナルドに押し付けた。
「使い方は分かってる」
「どうすんすか」
「持ってるだけでどうにかなる。ナゲゲゴグは面倒臭がりで、こっ恥ずかしい呪文も振りも作らなかったからな」
心底安心した。キラキラ輝く幼女向けのステッキを振り回して何かしら叫ぶ姿を見られないですんだことに心から安堵した。
「ナゲゲゴグはコンパクトに願望を呟いて具現化していたらしい」
「チィイイイイズ!! ヘルサレムズ・ロットを覆い尽くすレベルのチィイイイイズ!! プリィィイイイイズ!!!」
その瞬間、ステッキの先端に付いてたハートがピンク色の光を放った。そしてどばどば先端から飛び出してきたものはチーズだった。こんな表現では生温い。チーズが火炎放射器から飛び出す炎よりも激しく噴射されるからレオナルドはすっ転びそうになってスティーブンに支えてもらったのだが、如何せん臭いがやばいから二人して吐きそうになりながら、確実に後片付けが面倒になるとわかっていつつもチーズ放射器となってしまったファンシーなステッキを振り回した。
騒動が収まったのはそれから10分後の事だったが、10分後の世界はチーズに汚染された別の姿をした地獄だった。
そんな地獄を見る勇気もなく、スティーブンとレオナルドは二人して座り込んでいた。チーズ放射器の勢いが凄すぎて、ステッキを握っていただけなのにやたら疲れてしまった。
スティーブンのスマホに着信が来て、畢竟するにあの訳の分からない異界人はチーズに驚いて泣きながら永遠の虚まで引っ込んだらしいが、代わりに皆チーズ臭くなって吐きそうだという報告だった。すみません、と謝るべきなのか分からなかったが、スティーブンは電話の相手に今日はしっかりシャワーを浴びていろいろなものを流すのをおすすめしていた。
「帰りますか……」
「吐く前に帰ろう。一週間はチーズの存在すら目に入れたくない」
「僕、ドギモのバイトあるんすけど?!」
「おそらくこの街のみんな僕と同じ感想だから暇になるさ」
「そしたら収入が減っちゃうでしょう?!」
「なら僕と残業するか? 飯なら食わせてやるから。楽しいぞ、途中から頭痛を感じなくなってアドレナリンがバンバン分泌されるような感覚は癖になるぜ、ドラッグやるよりも安上がりだしな」
「それやばいやつでしょ、どう考えてもあかんやつ……」
「まあな、確かにやばい。シャワーを浴びていたらそのままバスルームで寝て、危うく溺死しかけたことがある……」
「ダッセー! そんなダサい死に方やめてくださいよー!」
「よし、その時は少年も道連れにして二人してダサい死に方してやろう」
「なんで僕を巻き込むんですか、巻き込むならもっとうまい飯があるとか面白い映画のチケット手に入ったとかなんかそんなのにしてくださいよ」
「うまい飯か……ああ、そういや最近行った丼屋がうまかった」
「何それ僕知らないんですけど」
「知り合いと行ったからな」
「浮気じゃーん、飯屋は僕を誘ってくださいよ!」
「やっば、浮気だよなあ……僕も誘われた時思ったんだよな。少年に対する浮気かどうかちょっと考えた」
スティーブンがまさかの真顔でそんなことを言うので、レオナルドはビビりながらなんて返そうか悩んだ。
「冗談さ」
スティーブンはニッコリ笑うだけだった。
★
スティーブンの言葉通り、ドギモピザの売上がチーズ洪水事件後一ヶ月以上落ちに落ちて、四半期決算で赤字を出した。街を覆い尽くしたチーズはいつまでも建物や道路に臭いがこびりついてしまい、大体の人が鼻をつまみながら歩く光景が普通になってしまう程で、ピザを注文しようとは誰も思わなかった。
お陰でレオナルドもシフトに入ることができず、ジリ貧生活を強いられてしまったが、しかしチーズ洪水事件の一端に関わっているというかチーズを放射した張本人であるがゆえの罪悪感で他のバイトを探そうという気にはならなかった。店長、ほんとスミマセン……と内心謝りつつ、今日もライブラに向かう。
スティーブンはレオナルドの収入がほとんどないと知ると、残業を提案してきた。残業手当はちゃんと出る。月々の給与の大半はミシェーラに送っているので、残業代は自分の生活費にしろよと最初に釘を刺された。
残業は、義眼の能力に慣れる事と、新たな能力の開発だった。神々の義眼は目を通して視神経から脳へと支配を及ぼすものだというのがスティーブンの仮定で、その為に義眼を酷使すると脳が処理限界を超えてしまい、使い物にならなくなるのだろうということだった。だから、義眼の能力を使い慣れることで、少しでも使用継続時間を伸ばしつつ、レオナルドの体に馴染ませようというのだ。
「君にとっていい事なのか分からないがね。なんせ異界産の異物とのシンクロ率を上げるというのが人体にどれほどの影響が出るのか分からない。しかも、神性存在が造り出したものだ、取り返しのつかないことになるかもしれない」
残業を提案してきた男がそんなことを言い出すのでやるべきなのかやらないほうがいいのか、どっちなんだろうと思いつつ、レオナルドはお言葉に甘えて残業をすることにした。
「君に負担を強いることになるから、残業した日は事務所に泊まれ。クラウスの許可は得ている。あとライブラの医療班がつきっきりで君の体を調べる。少しでも悪影響が出そうになったらドクター達が止めてくれるから、安心してくれ」
「なんか、大事ですね……?」
「義眼は僕らの切り札だが、その所有者は普通の人間なんだぞ、慎重に行くべきだろ」
尚且つ、神々の義眼保有者が科学的に発達した時代に中々存在しなかったり表に出てくることがないために、義眼についての研究は今までなされていなかった(そもそも眉唾ものだと思われていたというのもある)ので、どんな情報でもいいから記録に残したいのだとか。ライブラに所属している研究者の中でも選りすぐりの人達だけがレオナルドの残業に付き合えるという。改めてこの眼の凄さを知るとは。
「僕は君の飯係だ。しっかり食って残業に励んでくれ」
「なんか聞き間違えてる気がするんですけど……? 僕の耳が何かに呪われたんですかね?」
「前に言ったろ、飯なら食わせてやるから残業しようぜって」
「そんなこと有言実行しなくていいですから!」
「言っておくが残業の時はツェッドにも時々食わせてるんだから、気にする必要はないぞ」
「いや、えっ、そゆことじゃ、ないっ……!」
「部下と交流するには食事を取る以外中々ないんだよ。不器用な上司のために食え」
「絶対スティーブンさんは不器用な上司じゃないですよッ!」
そりゃどうも、とスティーブンはおざなりに返事をして、既に買ってあったらしいデリをレオナルドに渡した。
「残業は体力勝負だ。腹を空かせてヘロヘロです〜なんて、言ってみろ、はっ倒すぞ」
「ひょえっ……頑張ります……!」
★
すったもんだある(思いつかなかった)
★
スティーブンは言おうかどうか迷っているようだった。思慮深い人だし、余計な事を言えば悪い方へ転がるのだと分かっている人だから、基本的には必要なことしか言わない。だから、悩んでいるのだろう。
レオナルドはスティーブンを真っ直ぐ見つめるようなことはしなかった。スティーブンはレオナルドの方を向けないまま、唇だけを動かしていた。
「君は、僕らの仲間でありながら、目的が全く違うし、これまでの人生も僕らとは違う。だから、僕は君の義眼の利用方法は思いついても、君個人については持て余していた。どうすりゃいいのか分からなかった。それで、無理矢理にでも一対一で話す場を設けた。君という人物がどういうことを習慣にしていて、どういう生活リズムで動き、どういう基準で物事を見るのか知るべきだと思ったからだ」
「それは、僕が……ライブラの敵になるかもしれないから?」
スティーブンが一人でライブラの内通者を処理していることを知ったのは偶然だったし、それについてスティーブンはレオナルドに何も説明しなかった。何も話すなとも言わなかったし、言い訳もしなかった。レオナルドはあの日のことを忘れられなかったが、それはスティーブンの疲れきった顔が酷かったからだ。険しく眉を寄せて、「これで正しかったのか」と己を責める人になんて言葉をかければいいのか分からなかったし、そんな人の行動を非難する気にもなれなかった。
「それすら分からなかった。君の意志で僕らの敵になることがなかったとしても、弱点にはなりうる。BBに対する切り札でありながら、君は非常に扱いづらい。だから、経歴だけでは知り得ないものを知りたかった」
あんなふうに親しげに言葉をかわしてくれたのはそういう目的があってのことだったのかと思うと、急に何もかもがどうでも良くなった。あれはそうなるべくしてそうなったわけではなくて、スティーブンの計算――しかも、レオナルドを疑った上での行動だった。いや、疑うのは仕方がない。だが、偽られたことはどうしようもなく悲しかった。
「しかし、まあ、計算外のことが起きた」
ん? とレオナルドはついついスティーブンの方を見てしまった。スティーブンは中途半端に顔を向けて、視線だけをこちらにやっていた。どういう顔で話せばいいのかわからないのだろう。
「君と話をするのが案外面白かった。てっきりザップと同程度の知能とセンスだと思ってたんだが、予想が外れたよ」
「失敬な。僕だってあんな桁外れのクズと親しくなったのは初めてですよ」
つい反論すると、スティーブンはくすくす笑って、到頭レオナルドをまっすぐ見た。
「君という人となりを知るために始めたことが、僕にとってはちょっとした楽しみになっていた。君からの通知だけは他とは変えてたんだ。直ぐに分かるように」
ちょっと恥ずかしくなって、マジかよと小さく呟いたら、確認してみる? なんて返されたので、先ほど感じた悲しみなんてふっとんだ。どういうことだ? 何が起きているのだろう。レオナルドの理解が追いついていない。
「友達が欲しかったんだ。牙狩りやライブラとは無縁な、世界平和のための繋がりじゃない、僕個人の繋がりが欲しかった。目的を必要とする関係性じゃない相手が羨ましかった」
「そ、れは、僕がそのポジションにいる、ってこと、ですか?」
「違うはずなんだけどなぁ……」
なにせ、スティーブンがやり取りを始めた建前がレオナルドの安全の為という目的だったし、レオナルドも日々の予定だけではなくて、ライブラの管轄だろうと思われる怪しい事を全て報告していたのだから、話の半分は仕事のことだった。だから、スティーブンのいう友達には当てはまらないはずなのに、スティーブンは敢えてそれをレオナルドに教えたのだ。
「僕はもう君とやり取りしていなかった頃には戻りたくない。君からの通知が来なくなったら、僕の楽しみが減る。尚且つ、君が僕に当ててた時間も何もかもをぽっと出のどこの馬の骨とも知れない輩に使うかもしれないと思うと腹が立つ。僕を構えよ、レオナルド」
なんて面倒くさい人なんだろう。馬鹿らしくなって、レオナルドは大きな溜息をついて、スティーブンに近寄った。
「構えよって言われてもねー! 怖い顔で仕事してる人になんて声かけりゃいいんすかねー!」
「怖かない、まじめにやってるだけさ」
「眉をぎゅうううって寄せて仕事してる人は怖いっすよ。しょっちゅうピリピリしてるし」
「でも顔を見ないでなら声を掛けられるだろ?」
スマートフォンをこれ見よがしにして、スティーブンが笑っているので、レオナルドは自分のスマートフォンを取り出して、最近連写してしまったザップの間抜け画像を全て送ってやった。通知を受け取ったスマートフォンのLEDが水色だったのを見て、ああ、と思った。あのアプリの標準設定なら緑の筈だ。マジで変えてたのか。サウンドはオンにしていないのだろうが、もしもオンにするとしたらどんな音を設定されるんだろう。
「お前、なんだってザップのゲロを見せるんだ!」
「友達ならバカ画像の共有も普通っすよ」
その言葉を聞いて、スティーブンは漸く力の抜けた顔をして、レオナルドにハグをした。なんて面倒くさい人なんだろう。友達になってくれなんて言われなくても、友達には勝手になってるものだ。
★
このメッセージを送るのがどれだけ嫌なのかを分かってくれる人はこの世にいないんじゃないかと思いつつ、レオナルドは99thと打って送信した。最早ここまでくると豪運の持ち主なんじゃないかと思う――主に悪い方向で。
スティーブンは返事も寄越さずいきなり車で迎えに来ると、おめでとう、あと1回で事務所暮らしだというのでレオナルドは泣きたくなった。
「だー!!! なんで毎度毎度家が移動したり、家ごと盗まれたり食べられたり爆破されたりするんですかね?!??! 家ごと盗むって何なんすかね?!」
「君の不運には二つ名が必要なレベルだと僕も思うよ」
先日のチーズ汚染事件で悪名高くなってしまったレオナルドはチーズを使用するレストランやトラットリアのオーナーからの刺客により大変危険な目に遭うことになった。お陰で家がなくなるスピードが早くなったし、それとは無関係な理由でも家を失うので、堪ったもんじゃない。
「まあ、事務所に住む前にもう一度だけ引っ越しのチャンスはある。僕が以前から君が住むのに一番都合が良さそうな家を見つけてるから案内しよう」
「えっ? どこすかそれ」
「来りゃわかる」
車に連れこまれて、案内されたのは明らかにレオナルドが今まで住んでいた家とは格の違う立派なマンションだった。
「待って待って待って」
「ほら、ここの最上階だ」
スティーブンは電子キーで扉を開けて室内に案内してくれたが、レオナルドには分かる。この部屋のそこかしこからいつも食事を奢ってくれる上司のオーラが感じられるのだ。つまり、それじゃ、これって。
「ほわー!!! ここあれじゃないっすかもしかしてもしかしなくとも!!!」
「ここの家主は君も僕もよく知る人物で、彼は君に家の半分を提供することに何ら異論はなく、家賃を徴収する気もないそうなんだが……」
気が動転しているレオナルドとは対照的にスティーブンはにこやかだ。しかしながら、レオナルドの肩に置かれている手を意識しない訳にはいかない。
「家主さんはお金以外に何かを徴収するつもりですかね……?」
「強いて言えば食事を一緒にとって欲しいくらいかな。話を聞いてほしい。下らない話ばかりだが、話していると気分が良くなる」
レオナルドはちょっと考えてから、ふぅと息をついた。
「それぜんっぜん何も徴収されてませんから!」
「だが月々の費用が5000ゼーロオーバーだぞ、払えないだろう?」
「は!? なんですって!? ちょっと! どういうことですか!? 5000ゼーロオーバーって!??」
「色々と高いんだよ、ここ。紐育時代よりも家賃そのものは多少安くなってるんだが、マンション全体を覆う不可視性防壁にかかる費用がバカ高いんだ。安全には変えられないから仕方ないけどな」
「待って下さい……5000ドルオーバーの家に僕が住めるはずないでしょう……そんな図々しくねえ……」
「少年は案外君自身が自覚してるよりも図太いぞ」
★
玄関から音が聞こえたと思えば、スティーブンが不機嫌を隠さぬ足音で現れた。大画面を堪能しながらゲームをしていたレオナルドの横に座るとそのまま倒れてきたので、レオナルドは慌ててゲームデータをセーブした。あっぶねえ……。
「ちょっと! おかえんなさい! 何してくれてんすか!」
「死にそうなんだよ」
スティーブンに押し潰されてるのか抱きしめられてるのかよくわからない状態だ。スティーブンの腕がレオナルドの体に巻き付いていて、髪の毛のふわふわと当たる感覚や吐息が暖かいことを首筋に感じるとくすぐったかった。
「汗臭い」
「香水を期待するなら女の人ンところ行きゃいいでしょ」
「今は吐く。君がいい」
首筋に頭をこすりつけられると恥ずかしいのに、スティーブンをかわいく感じる。面倒くさい人だなあと頭を撫でると首を舐められた。
「ちょっと!」
「汗臭いなあ、君」
ちゅっと音を立ててキスをされる。何してんだろうこの人はと抵抗しようとしても無駄だった。重過ぎる。
「そんなに言うならシャワー浴びてくるんで退いてください」
「このままでいい」
「なんで? ちょ、ほんと――どこ舐めて――おい――正気に戻れよ〜〜〜!」
「ずっと気になってたんだが……なるほど……」
「ねえ、何が?! スティーブンさん意味不明過ぎですよ!」
「いいからいいから」
レオナルドの首の皮を唇だけで食むように玩ばれる。時折ぬるりとした舌の感触にぞくぞくして変な声が出た。腰が逃げ出したいと言っているのがわかる。しかし、レオナルドの足に当たるものがあって、とてもじゃないがどうすればいいのか分からない。
「スティーブンさん、ね、」
「何?」
「それはこっちのセリフっすよ」
「嫌だったか」
「どういうつもりなのか訳分かんなくて嫌です」
「人肌を感じたいだけだよ」
そういってレオナルドのシャツの下に手を這わせ、あっという間に服を剥ぎ取ると、スティーブンは鎖骨あたりを執拗に舐め始めた。親指達がそれぞれレオナルドの乳首をさわさわと撫でているのも気になる。
「人肌感じるどころじゃないじゃんこれ……うわ、噛まないで! 歯を立てんな! うおッ」
スティーブンの不埒な指がレオナルドの乳首をつまみ、弾き、捏ねる。首から下がスティーブンの唾液で濡れているし、なかなかに酷い。
「んッ……」
「君も感じたい時あるだろ」
「その範疇超えてますよ!」
「超えちゃいない」
スティーブンは乳首を解放すると、自分の服を脱いだ。逞しい肉体美に呆けてしまう。そのまま、スティーブンはベルトを緩めてズボンと下着を脱ぎ、レオナルドのズボンも下着も剥ぎ取った。
スティーブンは二本とも握り締めると、擦り合わせる。初めての感覚にレオナルドは喘ぐしかなかった。
「いいだろ」
「だけど、」
「今は頭を使うなよ、馬鹿になれ、感じるんだ、ここだけを感じてろ」
「馬鹿になれって、ちょ、ほんと、どうしたんすか」
「いいから」
スティーブンの八つ当たりとかストレス発散にこんな事をしてるのだとしたら、レオナルドは巻き込まれたということだ、しかし、スティーブンの動きで二人共興奮が高まっていくとどうでも良くなってきた。
射精の瞬間は程なく来て、二人の精液で汚れた手や体をスティーブンはティッシュで拭った。
「悪い。においに興奮した」
「全然理解も納得もできねえっすよ!?」
「トラウマになりそうだってんなら謝る」
「謝ってどうこうとか、そういうことじゃないし!」
二人してバスルームに向かい、汗やら唾液やらで汚れた体を洗い流した。
「別にね、嫌だったとかそんなんじゃなくて、いきなり何の流れでもないのにそんなことされるとビビるじゃないすか」
「そういう流れならいいのか?」
スティーブンはレオナルドの顎を掴み、じっと見つめてくる。本当に端正な顔立ちだが、疲れ切っていてあまり生気を感じない。馬鹿な人だ。
レオナルドはスティーブンの首に腕を回して無理やり屈ませてキスをした。唇同士を絡ませるだけのキスだったが、それがレオナルドの限界だった。
スティーブンは少し驚いていたが、子供のようなキスを受け入れてくれたし、そのままキスをしながらレオナルドを抱き上げた。
