スティーブンさんは分かりにくい人だ。何をしてほしいのかはっきり態度で示すが、それはあくまでも仕事のときの話で、二人きりになると何を考えているのか分かり辛い。それは僕の方も同じらしく、彼は「時々君って案外分からない奴だよな」とこぼす。自分ではそんなつもりはなかったが、彼が言うに肝心な事は悟らせないらしく、未だにガミモヅとの接触に関してはグチグチと言われるのだった。
そんな僕らが二人きりで何をしているかというと何もしていない。というか二人で料理とかをすることもあるけれども、互いに趣味が違うし、生活リズムも違うので同じ家に住んでいても中々会えないことの方が多い。早朝に彼が帰ってきた気配がある日や、事務所で見かけて生きてたかと思うくらいだ。
スティーブンさんの家に転がり込んだ日の事は覚えている。ただの上司部下の関係から変化してしまったなと互いに感じてしまっていた頃だった。うっかり抱き合って軽いキスを一度だけしたことがあった。それから何となく視線が合うことが増えていた。そんなタイミングだった。スティーブンさんからうちに来ないか、と誘われた。そしてその日に偶々僕が当時住んでいた近所で大規模な乱闘があり、アパートメントが破壊されたので、そのままスティーブンさんの家で厄介になっている。なのに、今やあの広々とした家の滞在時間は僕の方が長い。とは言えども、僕は僕でバイトに明け暮れているから、一日中家にいる訳ではない。それでも、家の主人がいない空間は少し広過ぎた。それで夜のシフトを入れてしまいがちになるのは否めない事実だった。
仕事上ではあまり会話がない。僕が担うのは敵の視界を奪うことや、何らかの呪術トラップがないかどうか、ザップさんの世話、そして諱名を読むことだけだが、スティーブンさんのすべき事は多岐に渡り、僕から手伝いましょうかなんて到底言い出せないことばかりだった。だから、事務所で言葉を交わすのはブリーフィングや時たま訪れる穏やかな一時に皆で談話している時ぐらいだ。事務所で見かけても僕らはそれらしい会話を一つもしない。ザップさんは僕がスティーブンさんの家に住んでいることはもう知っているが、流石にセックスもしている関係とは思っていないらしくて、淡々とした僕らの様子も「そんなもんだろ」程度に認識しているらしかった。
仕事場では素っ気ない僕らも、キスやセックスは夜に会えた時に必ずする。スティーブンさんは帰ってきた時に僕がいると先ずは頬にキスをして、唇にキスをして、食事と入浴を済ませるとベッドに誘ってくれる。僕があとから帰ってきたら、先ずは深いくちづけをされ、中途半端に焚き付けられて興奮している僕を風呂場に放り込んでから事に及ぶ。そして彼が体を開きながら、僕を受け入れようとする時、僕は殊更彼を大切に扱う。彼は愛されたいのだ。そして僕も愛したかった。僕らはそういう噛み合わせがあっていた。彼の大きな体を抱くのは一苦労だったが、何もかもを包み込んでくれているようで好きだった。
スティーブンさんは女性との経験が豊富だから、最初は彼が僕を抱くのかと思ったが、彼は僕に抱かれたかったという。抱くなら女でもいいだろと言われて、一度もそんな経験をしたことがない僕に対してなんて発言だと内心憤慨したが、何より抱かれるならばレオナルドがいいと言った彼のことを考えると頭が沸騰して嬉しくてもうどうでもよくなった。彼が僕を選んだのは何故なのかという疑問はあったが、彼が僕を受け入れた時の表情を見る限り、悪いことではないのだと信じた。僕にとっても彼にとってもこの関係は良いことなのだと信じた。
ある時、女の人と仲睦まじそうに歩く彼を見て、僕はどうすればいいのか分からなかった。親しい女性の友人という距離感ではなかった。K.Kさんとは長い付き合いを感じさせる応酬をしているが、だからといって彼らの間には友情と信頼しかないことは明白だった。しかし、今の女性とスティーブンさんの間にはそういったものではない関係が存在しているように見えた。
初めて個人的な感情の為に義眼を使うか迷った。物凄く葛藤した。追いたいが、僕の尾行なんてすぐにバレるに違いない。ならば、スティーブンさんのオーラを義眼だけで追いかけることはできないだろうか? いや、そんなことをしていいはずがない。こんなみっともない事に使うなんて――ミシェーラへの罪悪感は以前より軽くなっていたが消えたわけではない――結局、僕は追いかけなかった。だが、あの家に帰ることも面倒だった。僕はザップさんの愛人の家に泊まった。何も考えたくなくて、非日常的な空間にいたかった。ザップさんの愛人達は僕に手出しはしない。ザップさんの後輩である僕のことは弟のように可愛がるだけだ。ザップさんの愛人の家には噎せ返って吐きそうになるほどのアロマオイルの香りとドラッグの危険な気配があったが、僕はそれでも気にしなかった。疲れ切っていてすぐに寝てしまったからだ。
翌日、へろへろになりながら帰宅するとスティーブンさんがかなり怒っていたが、僕は何故彼が怒るのか分からなかった。
「断りなしに外泊したのは謝ります」
スティーブンさんはそうじゃないとしかめっ面を更に厳しくしたが、僕にはもう彼が分からなかった。前々からそうだったが、僕らは互いのことをあまり知らなかったし、理解していない。特に、互いを求める理由が分からなかった。
とりあえず、スティーブンさんと一日かけてセックスをした。抱いているのは僕のはずだったが、彼はかなりしつこくキスをし、まるでマーキングをするように舐め、噛み、そして散々僕を玩んだ。僕が彼の体に侵入しているからと言って、イニシアチブが僕にあるというわけではなかった。スティーブンさんが乱暴に腰を動かして、僕から何かを奪おうとしている。僕は、だからといって彼を乱暴に扱いたくなかった。ただならぬ関係に見える二人を見た後から続く何とも言えない虚しさは消えず、寧ろ彼が何の為に僕に抱かれたがるのか、見失いそうだった。それでも、僕は出来る限りいつものようにスティーブンさんに誠実であろうとした。
「気持ちいいだろ、なあ、君は僕だけを抱いてろよ」
何度目か分からないほどスティーブンさんも僕も果てた後に彼はそう言った。何かを勘違いしている。
「スティーブンさん、僕、確かに外泊しましたけど、何もなかったですよ」
「君のにおいに他人のものが混じっているのに?」
「ザップさんの愛人さん達って、香水が凄いかヤクをキメてるかのどっちかか、どっちもかが多いからですよ」
「そんなところに行くなよ」
「どこにも行く宛がなくて偶々……」
「行く宛がないだと?」
僕が自分の頭の悪さに苦しめられるのはこういう時だ。でも、愚かで杜撰な嘘や誤魔化しをするより、素直に話した方がいいだろう。前々からそうだったが、僕らは言葉にしないことが多すぎる。
「あなたが女性と仲良さそうに歩いているのを見ました。追いかけるか悩んだ。でも追いかけられなかった。家に帰るのは嫌で、適当に歩いていたら何度かザップさんを迎えに行ったことがある家が見えて、気付いたらベルを鳴らしていたんです。それだけです」
段々彼の顔を見ることが怖くなって、僕は両手で顔を隠した。
スティーブンさんは、体の繋がりを一度外すと、何かを考え始めた。それは、必死になって溺れかけているのをなんとかしようとしているように見えた。窒息しそうなのをどうにかしたいのに、どうも希望が見えない。なんとかして捻り出さないと死んでしまう。
「確かに昨日は女を抱いた」
スティーブンさんの顔色は先程の怒りに満ちたものではなくて、どちらかというと蒼白だった。
「僕じゃ満足させられなかったですか?」
「セックスが目的じゃない。違う」
「は?」
「僕がしたいと思うのは、君だけだ。でも僕は女を抱く。それも事実だ」
スティーブンさんが何を思いながらその言葉を吐き出したのか、僕には分からない。ただ、僕と視線を合わせず、距離を置こうとしているのがたまらなく不安で、僕はスティーブンさんの手を掴んで引っ張った。
「女の人を抱くのが好きなんですか?」
「違う」
「その理由は僕に説明したくない?」
スティーブンさんは首を縦にも横にも振らなかったし、何も言わなかった。
僕はスティーブンさんに近付いた。スティーブンさんの顔にある大きな傷を撫でて、それから喉仏を撫でた。彼はぴくりとも動かないまま僕を見ている。
「無理だと思えばやめたらいいんですよ」
スティーブンさんは目を見開いて、僕が握っていた手を痛いくらい強い力で逆に握り返した。なんて強い力だろう。それなのに、僕に抱かれる時、彼はとても暖かく僕の背に腕を回すのだ。この人が僕に愛されることを強く望んでいるのだとこんな時に感じてしまった。
「……君と別れたくない」
「そんな話してません。ただ、僕はあなたが平気で無理をするから心配なんです」
「やめることはできない。訳は話せないんだが――でも、無理なんだ」
これで納得しろというのなら、ふざけていると殴ってもいいと普通は言うのだろう。僕は殴らない。もうちょっとこの人の言葉を聞くべきだからだ。
「スティーブンさんがそう言うなら、そうなんでしょうねえ……」
スティーブンさんは、顔を歪めて、でも泣く事はなく、僕を抱きしめた。
「君に誠実さを求めるくせに……僕は誠実になれない、恐らくずっと」
謝罪の言葉は続かなかった。僕も、謝ってほしいのか分からなかった。ごめんと言った所で女性を抱くということが変わらないなら謝らないでほしいし、だからと言って僕に対してなんの気持ちもわかないまま女の人を抱かないでほしいとも思う。我儘だ。でも向こうも相当頑固だ。しかし、スティーブンさんは気紛れで行動する人ではない。だからこの人を好きでいるのならば、この人の非情さと不誠実も認めないといけない。受け入れるつもりは全然ないが、責めたくはない。
「その代わり僕が誠実でいればいいでしょ」
「割にあわないだろ」
「往々にしてそういうものじゃないですか? 報酬求めてスティーブンさんと一緒にいるわけじゃないし。まあ、強いて言えば、楽しくセックスしたいとか、それくらいで……あ、エイズと避妊だけは勘弁して下さいよ」
「はあ? 君、それ本気?」
「ええ? 冗談だと思います? だってエイズはやばいでしょ、共倒れですよ。あと流石に子供作られたらショックなんで。頼むから。それだけはやめて」
「君ってさあ……いや、まあ、僕が卑怯なんだけどな……」
「スティーブンさんはものすごく真面目で誠実すぎてすんげえ人ですよ」
初めてスティーブンさんに自分が考えている事を言ったかもしれない。今迄はスティーブンさんの時間がなさすぎて、セックスで触れ合うことで色々なことを話す機会を逃していた。だって、彼の体が僕を受け入れたがっている時点で彼の心を感じ取れた。スティーブさんの気持ち次第でこの行為はどうにでもなる。僕にスティーブンさんは組み敷けない。だから、スティーブンさんが僕をベッドに誘い、その足を開けば彼の心が分かると思っていた。
時には言葉も必要だな、と考えを改めた。まあ、こんな事を話せるのはスティーブンさんが僕ら二人を欠勤扱いにしたから時間ができたというだけのことだ。これから先、こんなに話すことのできる時間があるのかは疑問だが、どうにかして時々ちゃんと話をするべきだろう。

