筋肉フェチ - 1/2

宿儺は恋人の挙動を観察した結果、想定していなかった結論に至り、流石に三日程考え込んだ。いや、そんなことは。しかしありえないとは言えなかった。それらしき素振りは常々あったし、職業的にもそうと言われればそうなのだろう。しかし、そんな。
「伏黒恵、お前、俺の体目当てだったのか」
同棲し始めて二ヶ月、休日の何気ないタイミングで問えば、恵がピシリと固まった。
「何言ってんだ、お前。どうしてそうなる」
呆れたような態度で装っているが、内心かなり焦っているであろうことは普段では考えられないくらい視線が泳いでいることから察せられる。
「より正確に言うべきだったな、お前は俺の筋肉に用があるだけなのではないか」
今度こそ恵はやばいという顔をした。明るい表情には乏しい男だが、追い詰められた時の顔もあまり見ない。性格の悪さ故に少しばかり興奮しながらも、そもそも疑問に答えてもらわねばならないと宿儺は気を取り直した。
「お前がパーソナルトレーナーであることからして、運動が好きなのだろうとは思っていたし、その結果として肉体が鍛えられた証拠を見るのが好きなのも分かっていた。しかし、セックスの最中にお前が触れるのは大胸筋――」下着しか身に着けてない宿儺が見せつけるように撫でると恵がこちらを凝視した。分かりやすい。「――騎乗位で腹直筋、正常位で広背筋。快楽で俺に縋ると言うよりも、俺の筋肉の形を確かめることで興奮しているだろう」
他にも前鋸筋、と片腕を上げて脇下の小さな筋肉を見せつけ、大臀筋と尻を叩くと、恵は眉を寄せて、ああ、と困惑し、俯いてしまう。
「……悪い、気持ち悪かったよな」
なるほど、それで隠していたのかと宿儺は恵の様子を観察する。視線を宿儺に合わせず、咎められても全て受け入れるような諦めの姿勢。普段は自分が納得行かないと全く諦めないし、態度を改めることもない頑固な所もあるのだが、今回の件については自分に非があると最初から認めていたようで、宿儺と口論する気もないらしい。
「正直に答えろ、お前は俺のどこに用がある? 体目当ては初めてではないが、よもや筋肉とは」
「仕方ねえだろ、理想的だったんだよ」
あ、と恵は手で口を抑えた。恵の肉体は細くはないが、宿儺ほどの肉体とは程遠い。筋肉が付き辛いと以前零していたのも聞いている。
対する宿儺は二メートルの巨人とも言える身長と、バランスよく鍛え上げた筋肉で武装されている。たとえどんなに鍛えている男がいても、宿儺の隣に立てば皆華奢に見えることだろう。
「どういうことか、説明できるな?」
恵は渋々口を開いた。
恵の父はかなり筋肉質な男らしい男だった。腕が人の二倍くらいあったという。父の知り合いも皆ムキムキに鍛え上げていたので、男とはそういうものだと幼心に思っていたらしい。しかしながら、恵はどれだけ鍛えてもシルエットが父と同じようにはならなかった。目つきは悪いものの、顔立ちに男臭さがないためか、中高生の時分は父と並んで歩けば娘と間違われることもあったという。恵は躍起になって体を鍛えたが、やはりどうしても筋肉は育たなかった。外胚葉型と呼ばれる生まれつき筋肉がつきにくい体質だったので、ある程度は鍛えられても、父親レベルには達することはないらしい。食事バランスも運動メニューもいつも気を使っているのに恵が細身であったのにはそういう理由があったのか。
この時培った知識を活かそうかと今の職業についたらしいが、それまで他人の肉体に興味などはなく、業務として観察し、アドバイスをすることになんの支障もなかったという。
「でも、お前が現れて……その、なんだ……まあ……」
「俺の肉体がお前のなりたかった理想そのものだったのか」
頷くのに暫く時間が掛かったが、恵は肯定した。そういうことだったのか、と宿儺も腑に落ちた。
当時、パーソナルトレーナーからやたらと見られているとは感じていたが、だからといってアプローチされることもなく、相手が宿儺への関心をひた隠しにしようとするのを暴いてやりたくて恵を口説いたのだが、反応に乏しく、宿儺は面食らったものだった。
つまり、抱かれたいから見ていたわけではなく、自分の理想そのものが具現化していたから見ていたので、それを性的アプローチと受け取った宿儺の口説きも空回りだったのだ。最終的には見事恵を手に入れて、恋人らしく生活するようになったのに、恵の視線が宿儺の顔ではなく、逞しい胸、見事に割れた腹、引き締まった尻などに行くのが不思議で仕方がなかったが、恵は宿儺の肉体に理想を見出していたわけだ。
「お前の肉体が……まあ、かっこいいから……目がついつい行っていたのは認める」
少々気まずそうに恵が宿儺を見る。宿儺が家ではほぼ裸族であることは恵にとってとても嬉しいことだったろう。何も言われないので問題ないのかと思っていたが、寧ろ喜ばれていた可能性があるとは想定していなかった。
しかし、この際の「かっこいい」が、例えば子供が言うところの車両のデザインがいいとか、そういう形としての「かっこいい」であって、対象が宿儺でなくても抱く感情だろう。
自分個人を見られていないというのは宿儺にとって別に珍しいことでもないが、何とも言い難い気持ちになったのは初めてである。恐らく、宿儺が初めて執着した相手だからだ。見つめられているのに、声を掛けても手応えがない。その奇妙さにハマって追求して、挙句の果てにこんな馬鹿げたことが発覚した。
しかし、恵とて身持ちの固い男だ。宿儺の肉体がいくら理想的とはいえ、交際するまでに至るはずがない――そのはずがないと断言させてほしいと初めて宿儺は願った。今回ばかりは自信がない。何せきっかけが筋肉だと判明してしまったので。
「それでお前は俺に犯されても構わんと思ったのか」
「んな訳ねえだろ、そこは違う、断じて」
言葉だけ聞けば安心したいところだが、微妙に表情が固い。いや、普段は理性的かつ合理的な性格で、そっけない態度もとるくらい冷静だし、誘惑にも強い男だ。しかし、もし、宿儺と付き合うにあたって、理想の筋肉の男になら抱かれてもいいと少しでも考えたのだとしたら、宿儺の方も少々思うところはある。宿儺だって男も女も掃いて捨てるほど弄んできたし、相手の性器にしか用がないと思っていたのだから、そういう判断の仕方も分かる。そのはずなのに、少々恵に意地悪をしたくなるほどには気にしている。自分にも人の心があったかと笑いつつ、恵に躙り寄れば、彼は宿儺が何を言い出すのかと身構えた。
「お前が俺の肉体のどこを好ましく思っているのか、全て白状しろ」
元から自分の好みを語ることも多くなかった上、今まで筋肉フェチであることを隠していた恵にしてみれば、口にしづらいことだろう。案の定、恵は「勘弁してくれ」と顔を隠そうとしたが、結局宿儺が抱き上げてベッドルームに連れ込むと諦めたらしい。
「……好き勝手言うけど、聞き流せよ、マジで。頼むから」
「お前の思考を聞くのは面白い。ほら、さっさと言え」

そこからは流石の宿儺も驚き呆れ、飽きてくるほどの長い解説が待っていた。首から始まり(胸鎖乳突筋や前から見える僧帽筋など)、上半身(大胸筋のたくましさ、腹斜筋の引き締まり具合)、背中(ボコボコと鍛え上げられた広背筋が特にいいらしい)、下半身(やわらかい大臀筋、しっかりと浮き出た鼠径靭帯、盛り上がった大腿四頭筋やハムストリングス、下腿三頭筋の手触り)などをしっかり、いつものような淡々とした口調でいつも以上の熱量で語られた。
今後、恵に接するに当たって参考になるだろうと初めの頃はきちんと聞いていたが、あまりにもマニアックではないだろうかと思われるような表現・単語なども混じってきたので、「触りながら教えてくれないか」と誘ってみた。恵は何の疑いもなく、本当に触りながら解説し始めて、どうにかしてセックスする雰囲気に持ち込めないだろうかと考えている宿儺を置いていくように話を続ける。内転筋に触れているときにフェラさせてやろうかとあれこれ恵に仕掛けたが、見事にスルーされた。今までにこんなことはなかった。愕然とする宿儺をほっぽって、恵は宿儺の全身を解剖していく。インナーマッスルにまで言及され、その知識量と観察力に感服しつつも、やはり筋肉にしか興味を持たれていないのだと確信してしまった。無論、自分で鍛えてきた筋肉だから別に嫌な気持ちにはならないが、宿儺の方は恵の能力にも人間性にも興味を持って惹かれたので、初めて敗北感を感じてしまう。
すべてを語り終えた後、恵は我に返って俯いた。
「悪い、いや……マジで……」
「お前、途中で俺が誘ったのにも気付かなかったのか」
「……無視した、その、……悪かった……」
宿儺の誘いを気付いていながら無視する男がいるなんて、ありえたのか。面白いといえば面白いが、今日はもうやる気にならない。何せ数時間にも及ぶ解説だったし、恵が体のあちこちを触ってきたのに対して宿儺は何も出来なかったのだ。このことを愚弟が知れば大笑いするだろう。
数日後、いっそセックス中にどこにどう興奮するのかを逐一白状させたら、意外と盛り上がったが、恵がいちいち筋肉の名称を言うのは、かなり宿儺の忍耐を試すことになったので、もう二度としないと決めたのであった。