妻が言う。お義母さん、近頃はお部屋に籠もりっぱなしで、お散歩にも出掛けにならないで、ずうっとお待ちになってらっしゃるけれども、体に良くないんじゃあないかしら、だって気まぐれにやってくるだけで、この家に住み着いてるわけでもないのでしょう、なのに待っていた処でどうとなるものでもないのだから、やっぱり外に連れ出して気持ちを変えてもらったほうがよろしいんではなくて。
私は妻の言うことに概ね同じ気持ちで、母を見遣る。今日もどこからともなくふらりとやって来た野良猫の機嫌を取るように小魚を与える母にかつてのような気丈さはなく、猫と戯れることしかやることもないというような姿で、私はなんだか腹がむかむかするような、胸がざわめくような感覚を覚えるのである。
緋村家は母が大黒柱であった。私が生まれた時からそうであったし、私が生まれる前からも母が父親のようなものであった。神谷活心流の師範は母であったし、出稽古で稼いでくるのも母であったし、私に剣術を教えたのも母であった。父は不在がちで、幼い頃は父親などというものを知らないほどであった。ふらりと帰ってくる赤毛の小柄な男を喜び迎える母の気がしれないと思っていた。その頃の私はまだその男が母の夫であるなどと知らず、小汚い男がやってきやがった、と怒っては追い出そうとしたものである。父上になんてことをするの、と母に叱られても、その男が父である実感がなかったものだから、母はこの変な男に騙されているのではないかとも疑った。親父と呼んでいたが、親父という名前の男でしかないような認識で、心からあの男を父親だと思ったことはなかった。つくづく親不孝な息子であった。
そんな私も、父が亡くなった時は相当泣いてしまって、後に妻となろう女の膝まで借りた始末で、私の兄貴分で、父とは古い知り合いの明神弥彦は涙は堪えたものの、正体を無くすまで飲んだくれて危うく父の後を追うところであったし、京都の知り合いの四乃森蒼紫という男も年甲斐なく弱いくせに酒を煽って女房に心配をかけてしまったし、とにかく父と深く関わりのあったものは皆が皆そんな様子で、その中で母だけは涙をぼろぼろ零しながら、笑っていて、何がおかしいのかも分からなかったが、今思えばあの時母は父の長く苦しい人生が終わったことを誰よりも喜びながら、母の人生の半分以上も共に過ごしてきた父を亡くしたことを深く悲しんでいたのだ。そして、母の魂の半分を父は抱えて逝ってしまったから、あれほど元気で明るく大きな存在だった母がこんなにも小さくなってしまったのだと思うと納得をし、更に父を憎む事になった。しかし、そんな父は母を唯一叱ってくれる人でもあった。母には悪い癖があって、時には騒動になることもあった。そんな時は、父しか母を叱れなかった。母は父の苦言には従った。
野良猫は母が散歩の途中で拾ってきた。怪我をしていてぐったりとした様子で、母は随分慌てながら猫の手当をしていた。それは昔からの母の性分で、飼い主のない畜生を見ると可哀想になってついつい拾ってきては、漸く家に居着くようになった父に説教を食らうのであったが、父が身動きできぬほど衰え始めるとその癖もぱったりやんで、父につきっきりであったのに、父が亡くなったのでまたその癖が猫の手当てなどに母を駆り立てたのだろうと思われた。母のこの性分故に父と出会ったらしいのだが、人ならば礼儀もあろうが畜生となればそうもいかず、これならばまだならず者を拾ってこられたほうがマシだと文句を言いながら父は無残に破られた障子を張り替えたり、汚された畳を拭ったりしていたので、この男に言えたことだろうかと常々毒を吐いたが、その気持ちが今になってわかるような気がしてきた。
母はこの怪我をした猫と出会ってからはこの猫をことさら可愛がるようになったが、猫の方といえば犬のような忠誠心はかけらも持ち合わせぬ生き物なので、あちらへいっては戻ってきて、こちらへいっては暫く姿を見せず、母が到頭諦めたかと思った時にニャアと鳴いて母を喜ばす所が父に似ていて私は憎たらしかった。
母は猫に名を与えず、ねこ、ねこ、と呼ぶ。たまでもなんでも名をつければいいのに、と零したことがあったが、母は名乗ってくれるまでは呼べないわ、と返すのだった。猫が名乗ろう筈もないのに何を言うんだか、とその時に母の老いを感じた。母は猫とじっと見つめ合って、あなた、名はなんていうの、どこから来たの、あの時の傷は他の猫にやられちゃったの、と呟いている。猫は時折鼻をひくひくさせたり、目をきょろきょろさせたり、ごろんと寝転がったり、自由にしながらニャアと鳴く。別に母に答えてやってる訳ではなかろうが、母はそれで満足のようで、よしよしと撫でる。
私が一緒に活動写真を観に行こうと誘うと着いてきてくれるし、孫にも優しくしてくれる自慢の母であったが、その猫が来る時だけは母は我々のことを忘れてしまっているようだった。
