ポルナレフが到頭天に登る決意をした。もう十分やるべきことは果たしたろう、と言ったのが彼と出会って四年目の春のことだった。
四年間で、パッショーネは大きく変わりながらも、イタリアの政治と経済、あるいは敵対組織との対立に揉まれ、僕はかつて夢見たことを実現するだけではいけないのだと思い知らされた。その間、ポルナレフは世界中を旅した経験と、多くのスタンド使いとの戦いで得た知識、そしてジョースター家及びスピードワゴン財団というパイプを利用しながら、パッショーネを支えてくれた。僕達のような子供を放ってはおけないと、亀にしがみつきながら、年若いドンと幹部を指導し、時には叱りつけ、大人として果たすべき役割を十分に果たしてくれた。
彼が「もう十分だろう、私がいなくても」と言った時は酷く驚きながらも、どこか納得していた。いつでも居なくなれるよう、彼は常に気を配っていたと振り返れば思うのだ。あまり親しくなりすぎないように。いつか去ってしまう時も、残された者達が悲しみに暮れないように。
僕は彼と出会って初めて、親しくなりたいのに薄くて見えないながらも確かな壁によって近寄らせてもらえない寂しさを知ったのだ。しかし、彼は彼として当然のことをしたまでだ。人の肉体をもたず、幽霊という曖昧な存在になってしまった彼は、置いていかれる悲しみをよく知っているからこそ、僕達にそれを与えたくなかったのだ。
「やあ、ジョルノ。皆への挨拶は終えたよ」
「お疲れ様です、ポルナレフさん」
ココジャンボの部屋に入れば、ポルナレフはいつものようにエスプレッソを淹れてくれた。彼のコーヒーを飲みながら報告を聞くのもあと少しの間と思えば、胸が痛い。
「ジャンルッカに言われて気付いたんだが……私は今まで君達に私自身の話をあまりしなかったらしい。まあ、私は既に死んだ身だからと遠慮していたのかもしれないな」
「僕はいつでも聞きたかったんですよ、あなたの話は面白いし、興味深くて、聞いていると旅に出たくなる」
「それなら話さなくて正解だったかもな、君が旅に出てしまったらまずフーゴが気絶してしまう」
「彼も連れていけばいいんですよ。ミスタも、ジャンも連れていきましょうか。勿論ポルナレフさんが道案内してくださいね」
「私が一番楽しかった旅路は五十日掛かったぞ。しかも出発点がアジアで、ゴールはカイロだ」
「いいじゃあないですか。偶には」
ポルナレフに差し出されたカップを手に取り、ゆっくりと味わう。甘いもの好きのジョルノに合わせて砂糖がたっぷり入っている。一番美味いとは言わない、しかし、この四年間で一番馴染んだ味だった。
何か悩むたびに彼に相談した。媚びることなく、求めるべき真実を導き出そうと協力してくれたし、人生の先輩として学ぶべきところのある人だった。学問には疎く、しかし、いろいろな体験と彼の豊かな感性が、彼を魅力的で知的な人間に見せていた。実際に、彼は彼の美学を持ち、騎士道精神に則りながらも、時には卑怯を使うことのできる大人だった。
「私の人生の半分は妹の為に捧げた。そして残りは我が友の為に捧げた。私の人生はそれだけなんだ」
「恋人は?」
「口説いた翌日には別の国へ行ってしまう男に女はついてこないさ」
「あなたには……そう、優しい人が似合う。穏やかに微笑んで、この辺の女みたいに姦しくない、そういう人が似合いそうですね」
「そうだろうか。元気の良い子も好きなんだよ。腹から笑える相手とともに過ごすのはとても素敵なことだ」
「確かにそうですね」
僕は受け入れている。この悲しい幽霊が消えてしまう事に納得している。だからこそ寂しい。引き止める事は無駄なのだと僕は理解している。彼は僕達を置いていく。元々、こんな長く留まれるはずがなかったのだ。神の気まぐれでただ生きているだけなのだ。
僕は何故、死にかけた人間の最後のかすかな命の炎を見守るだけしか出来ないのだろうか。最初の共犯者、ブチャラティに続いて、ポルナレフまでも。
「ジョルノ、私のことを心配することはない。私が逝ってしまって悲しむものは、ほんの一握りだけだ。パッショーネの数人と、ジョースター家の二人くらいなものだ。案ずることはない」
それは彼にとって心の負担が軽くなることなのだろうか。置いていってしまう後悔が少なく済んでしまう人数なのだろうか。それならもっとこの人をいろんな連中に教えておくべきだったかもしれない。いや、それでも彼はほんの数人しか別れの挨拶ができなかったなと少し悲しそうに笑っていってしまいそうだ。
「僕は、あなたみたいな良い人には長生きして欲しいんです。幸せになるべきなんだ。なのに、そういう人に限って、何かや誰かのために命を燃やしすぎて、すぐにいなくなってしまう……」
ブチャラティだけじゃあない、アバッキオもナランチャも、良い人だった。世間一般でいうところの品行方正とは言い難いかもしれない。ギャングだったし、暴力には慣れていて、人を殺す覚悟のある人間は品性高潔と一般的には言わないだろう。それでも僕にとって彼らは良い人だった。
「私もそれはいつも思うことだ。私は君の長い幸福な人生を祈っているよ」
「ああ、その点に関してはご心配なく。僕はしぶといんでね」
「そりゃあよかった」
ポルナレフは逝ってしまう。明日から、この亀には誰も住まわない。正しいと信じるもののために生きた人がまた一人いなくなってしまう。
「今までありがとう。四年もひとところにいたのは久々で、随分楽しかった。この四年は今までにないくらい楽しかった」
ポルナレフは微笑むと、するすると亀の外に出て行ってしまった。いつもは上半身までしか乗り出さないのに、今日は下半身まで飛び出して行って、そうして彼は逝ってしまった。
あなたは風のような人だった。来た時も、去る時までも、あなたは風だった。
銀の風がもう僕らを導いてくれることはない。
