ドン・パッショーネのためのフィオレット

 学校帰りのジョルノは時々物凄く嫌そうな顔をする。眉根を寄せるわけでもないし、舌打ちをするわけでもなく、貧乏ゆすりをするわけでもないが、何となく空気が痛いというか、目がちょいと怖い。物凄くどうでもいい人から物凄くどうでもいいものをプレゼントされた時はこういう顔をするんだろうという感じ。今日も執務室のデスクで書類を睨んでいたが、それは書類の内容が関係しているのではなくて学校であったことが関係しているのだろう。女の子に囲まれたとか、女の子に手紙を渡されたとか、女の子にベタベタ触られたとか。
 ミスタにはどうだっていいことだ。不機嫌な顔をしていてもミケランジェロの彫刻のような美しい顔をした少年はやはり美しいから目の保養にはなるし、不機嫌だからといってやつあたりするような間抜けな男じゃないことはよく知っている。そして、その不機嫌の理由も何となくだが察しているために、女であるミスタは出来る限り不機嫌時のジョルノに声をかけなかった。
 ジョルノは書類から目を離して、一息ついた。首を回して、目頭をグリグリと抑えている。細かな字がびっしりと詰まっている文章と何時間も向き合っていたんだから目が疲れて当然だ。ジョルノはちょっとだけ何かを考えていたみたいだが、諦めて席を立った。
「ミスタ、ちょっと散歩に出かけたい、付いてきてくれますか」
 麻薬に代わる新たなパッショーネの収入源を確保する為にジョルノは今必死に様々な可能性を探っていて、ポルナレフと共に毎日難しい書類や書籍と睨めっこしている。
 僕は権力も富も名声も自分のためにほしいとは思わない、そんなのは無駄だからだ。それらはいずれ時が経てば失われる。僕は自分の目的の為にそれを利用する、全ては真実の未来の為に。そういってミスタの手をとって、手伝ってくれるかと訊ねたジョルノの目の輝きをミスタは一度だって忘れたことがない。ジョルノの目的に共感したからとかじゃなく、そのお綺麗な顔面にクラッときたからでもなく、ミスタが最も尊敬した男と同じ生き方をする男がここにもいるんだという単純な驚きと面白さにやられたのだ。自分の利益よりも他人の幸福のために生きることを躊躇なく選ぶ奴がブチャラティ以外にいるだなんて考えたこともなかった。だから、ちゃんと給料と休日さえくれりゃあキチッと働くぜと約束したら彼はちょっと微笑んで(それがまた美術館に飾られてる宗教画のような美しさで!)、よろしく頼むよ、ミスタと返したのだ。
「Si, GIOGIO. 今日はどこ行く? 最近出来た新しい店が気になんだけどさァー」
「そこ行きましょう、あなたの気分に任せます」
 あ、何かやけっぱちっぽい? いつもと雰囲気が違う? と思いつつ、ミスタは先程まで手入れをしていた銃をブーツに突っ込んで帽子と袖、ブーツに潜ませている弾丸の数を確認してジョルノと連れ立つ。いつもならミスタのお願いなんて聞かずに自分の行きたい所に行くくせに、何かあったんだろうかと勘繰るが、そんな事をしたってジョルノが学校で何をしているのかすらよく知らないミスタには全く分かりゃしなかった。

 新しく出来たジェラテリア・バルにジョルノは満足したらしく、おとなしくイチゴ味のジェラートを食べている。これからもちょくちょくこの店に来ることになるかも、とミスタもチョコ味のジェラートを食べる。中々に美味いんだが、これはジョルノが二種類を一人で食べようとしていたから半分こするために食べているだけだった。流石に一気に二つも食べるのはやめておけと進言すると、なら僕はチョコを頼むから君はイチゴを頼んでくださいよ、と言い出したのだ。
 ジョルノとプライベートを共にしていると小生意気な弟ができたみたいで面白かった。朝が苦手らしいジョルノを叩き起こすのはミスタの役目だったし、チェーナの面倒を見るのもミスタだった。ジョルノの洗濯物はまだ処理されていない学生寮に山積みにするわけにも行かないからということでミスタがついでに洗濯しているし、仕事が遅くなった時にジョルノが寝に来るのはミスタの家だった。ジョルノの偏食に真っ向から勝負を仕掛けるのはジョルノお気に入りのリストランテの料理長のおっさんとミスタだけだし、いつも澄ました顔をしてるジョルノのダサいところを見ても怒られないのはミスタだけだった。
 ジェラートを食べ終わると仏頂面だったジョルノも殆ど回復したみたいで漸く口を開いて喋りだす。何か考え事をしている時や、非常に不機嫌な時は一切何も喋らないという恐ろしい癖をドン・パッショーネはお持ちで、喋るのが好きなミスタにとっては居心地がたまらなく悪くなるのでそういう時にジョルノの護衛を命じられるのは勘弁して欲しいところだが、現在のパッショーネ構成員でジョルノが最も信頼できるのがミスタしかいないから仕方がないので、いつも戦々恐々としながら護衛につく。
 スタンド使いとしては間違いなくポルナレフの方が信頼できるが(何せミスタたちの倍の時間を生きている)、ギャングとしてはミスタのほうが多少先輩であったし、ポルナレフは亀にしがみついている幽霊だから、ブレーンになれても共に行動することは出来ない。護衛は務まらない。
 それに加えて、ジョルノはそれ以外の理由でミスタを信頼しているようだった。あの奇妙な一週間を最初から最後まで共に生き延びたジョルノとミスタの間には名状しがたい感情が横たわっていて、それはジョルノとミスタを強い力で引き寄せ、消して解れることのない絆を作り上げた。この感情と関係はこれから先共に過ごす仲間とも共有できないものだと二人は言葉にせずとも分かっていて、それで何となく二人は共にいる時間が多い。相手の好きな音楽や映画を知らなくても抱けるこの関係は何と言えばいいんだろう。でも言葉にする必要はないとミスタは知っている。だから何も言わないで不機嫌なジョルノに付き合ってやっている。
 一頻り談話するとジョルノが席を立った。ドン・パッショーネの見せる神々しい笑みではなくて、そこらへんの学生が見せる普通の笑みをした。そうしているとギャングスターには思えないくらい普通だ。
「散歩に付き合ってくれてありがとう。戻りましょうか」
「そうだなァ。チェーナにゃまだまだ早いし、適当にぶらつきながら戻ろうぜ」
「あんまり寄り道はしませんよ」
 二人で肩を並べて歩く。のんびりと歩きながら、アジアから来たらしい観光客の団体にくすくす笑ったり、あっちのバルもなかなか美味いらしいから今度行こうぜと提案してみたり、ジョルノの知り合いらしい女の子に挨拶されたり(間違いなく学校の女生徒)、ビスコッティを買ったり、ジョルノの好きな様に歩く。どうせ執務室に戻ればジョルノはまた仕事に取り掛かって息抜きなんてしやしないんだから、二人で出かける時はジョルノがリラックスできるようにしてやるのが先輩として、部下として、友人としてのミスタの出来る最大限のことだった。ジョルノもそれを分かっていて、ミスタといる時は甘えているらしく十六歳の少年らしいわがままを言ったり屁理屈をこねたりだらしない姿を晒している。そういう時にミスタはちょっとこの小生意気でプライドの高い山猫のような少年に特別懐かれているという気妙な優越感に浸ることができるので、全然悪い気はしなかった。
「そういえば、アンタは僕に恋人はいらないのかって聞いてきたことありましたね」
「ああ、そんなことも言ったっけなァ」
「アンタの方こそどうなんです? ここ何ヶ月も一緒にいるけど、恋人の影すら見た覚えがありませんが」
「いや、アタシは要らないね。つーか恋人は作らねえって決めてんだ」
 おや、とジョルノが驚いた。
「それはまた何故」
「フィオレットだよ。純潔を守っている限りアタシの狙撃の腕は落ちねえ」
 ミスタは元々結婚してからじゃないとセックスするつもりがないくらいには恋愛関係に関してはロマンチストかつ真面目だったが(好みの男がいれば声をかけるというのはまた別)、ブチャラティに銃の才を買われ救われてからは、ブチャラティのためにならば青春を捧げたっていいという気持ちで自分にまじないをかけたのだ。純潔を守っている限り、運はミスタに味方する。そうじゃないかもしれないがそういうことにしておく。信じるっていうのが大事で、信じていればいいことはあっちからやってくるものだ。それにホイホイ誰かと関係を結んで下手な足かせになられても困るという実質的な問題への対策でもある。
 まあ、その青春を捧げてもいいほどの男はもうどこにもいなくて、そいつに似た男が今横で歩いている。
「処女でいれば、って。修道女みたいなことをいいますね。目的が物騒だけど」
「そう言うなって。おめーのために貞潔でいるようなもんなんだから喜んどけ!」
「はあ、それはどうも」
「全然嬉しそうじゃねーなッ!?」
 全く気の抜けたような返事をしてくれるボスが、今まで見たことがないような表情でミスタを見ていることに気がついた。なんていうか、観察している。いや、今までだってジョルノはミスタが信頼に値するかどうかをきっちり見定めるような目をしてきた。それはミスタも同じことだからそのことについて特別なにも言うつもりはなかったが、今回の目はそれとはちょっと種類が違う気がする。
「何か言いてェことでもあんのかよ」
「いや、不思議で。女性って謎だなあと」
「謎?」
「純潔にどれだけ意味や価値があるのか僕にはわからないんでね。女性ってやつは理解し難いと前々から思っていたんだが……君のお陰で益々分からなくなったな。そうか、験担ぎのために純潔を貫くか……」
 ジョルノの女性観はミスタの知る中で最も奇妙で最も否定的で最も消極的で最もフラットだった。なんの感情も入り込んでいないように見せておきながら、その奥には女に対する嫌悪感が覗き見えていた。女性を可愛いとも美しいとも思ったことがないらしいことがこれまでの会話の端々から見えていたし、女性の裸体を見た所で「お、いいねえ!」なんて反応も示さないし野次も飛ばさない。そういうことは下品だと嫌っていて、じゃあお前の股間についているものは一体何で立ち上がるんだと密かに疑問を抱いていたが、多分そういう話題にも興味が無い。猥談を持ちかけられた所で、コミュニケーションを円滑に行うために適当な返答をすることは分かっているし、ジョルノにとって女性というものはこの社会を構成する上で約半分の割合で存在する生き物というだけなのかもしれない。
「そうだなァ、意味とか価値とかわかんねえけど、貞潔ってのは要するにまあ生き物の三大欲求の一つを限りなく押さえつけるってわけだし、男は枯れるまではどんな年齢でも子供を孕ませられっけど、女は出産に適した年齢っつうもんがある。そういうのを犠牲にしてもいいって思えるくらい、強い意志なんだって思ってくれりゃいいよ。少なくともアタシの覚悟に関しちゃな」
 女の幸せが結婚と出産だけにあるとは考えていないが、子供を生むことが出来るのは女の特権であることに違いはない。だが、出産には危険が伴うもので、医学や技術が発展した所で、高年齢出産はあんまり宜しくないらしいことは聞いたことがある。若すぎても体に大きな負担がかかっていけないらしいが。とにかく、そういう女の特権を放り出して、欲望を抑えてでもミスタはジョルノの夢を手伝うことを決意したことさえ伝わってりゃいい。
 それなのになんだかミスタの言葉はミスタの思い通りにジョルノに伝わらなかったらしい。
「どんな男にも靡かないってことですか、僕のために?」
 心なしジョルノの目がキラキラしているんだが、多分気のせいだ。ちょっと嬉しそうな顔をしているようにも見えるが、多分気のせいだ。
 何が嬉しいのか、何に反応したのか。やはりジョルノも男らしく、自分のテリトリーの女が他の男とよろしくするのは気に食わないのだろうか。
「なんか語弊があるが……まあそういうこったな。いい男が目の前に現れたらクラクラッとするかもしんんねえけど」
「ちょっと、それって浮気じゃありません?」
「浮気じゃねえよ、男前は仕方がねえの! 男前だから!」
 ジョルノはにやっと笑って、いつも適度に保っている距離を詰めてミスタの手を握った。ぎょっとしてミスタが驚くとジョルノはとても楽しそうにしている。
「じゃあ僕が口説いても君は応えないってわけだ」
「そうだな! 手を離しやがれ、くそったれ!」
「戻るまで手を繋いだっていいでしょ。手を握られると不都合があるんですか」
「お前、咄嗟にアタシが構えられなくても文句言うなよッ!?」
「それならご心配なく。僕が君を守ってあげますよ」
 一時間前までだんまりを決め込むほどの不機嫌だった男が上機嫌でミスタの手をしっかり握って歩き出した。何が嬉しいんだか……。
 ジョルノの考えていることは全然分からないが、今までだって不機嫌か上機嫌か、それくらいしか分からなかったんだから、ジョルノの上機嫌の理由が分からなくてもどうにでもなる。
 とにかく、七月のこの糞暑い時に手を握られると汗を掻くからヤメろと言いたいところだが、ドン・パッショーネはそんなつもりがないらしい。

ある人のために祈ったり願い事が成就するまで、一番好きなものを断つ禁欲の行為をフィオレット(Fioletto)と呼ぶ。もともとは聖母マリアや聖人に対して、敬意を表するために生まれた宗教的なもの。
http://emilia.exblog.jp/13356287/

SCARAMANZIAスカラマンツィア <厄除け、まじない>
FIORETTOフィオレット <聖母マリアへの祈りとして好物を絶つ行為>
PORTA FORTUNAポルタフォルトゥ-ナ <幸運を運ぶもの>
http://nakoli.exblog.jp/6538847

スペルはどちらが正解か不明