海を見たことがないというのは木ノ葉では普通のことである。内陸にある火の国の軍事力たる木の葉隠れの里の忍は、国のために戦うことしか出来ない。
初代火影の頃より長く続く戦争に終わりはあるのかすら、下っ端の忍には分からぬことであるし、考えることではないと教えられる。カカシはこの戦争が終わるとき、木ノ葉、延いては火の国が勝利を収めるであろうことを望んでいるかというと、そうではなかった。仲間が全滅してでも勝ちたいかといわれると否定するし、だからといって、仲間が生き残っているが他国の属国扱いを受けてもいいのかというと、それも否定する。カカシは大名でもないし、火影でもない。ただ、任務遂行を目的とし、生存率を上げ、出来る限り無傷で木ノ葉まで戻ることしか考えないようにしていた。国の利益になることを考えて行動する。それが正しい忍の姿なのだと何度も復唱した。
今は亡き父は仲間を優先した結果、国の損害を与え、詰られ、失意のまま自殺をし、カカシだけを置いていってしまった。母はなく、子供一人が住むには広い屋敷と父の所有していた多くの巻物や道具、そしてチャクラ刀が遺産としてカカシに受け継がれたが、物言わぬそれらはカカシにとって何の意味もないガラクタも当然であり、そしてどうしても手放すことの出来ない唯一の父が生きていたという証でもあった。
それらのガラクタの中に一枚の絵があった。それは海を描いていた。荒々しく風が吹き、煽られて波立ち、白い水飛沫とは反対に空の黒さを写す海面は恐ろしく、とても印象がよいとは言えない絵だった。芸術に関する教養は木ノ葉では教わらないため、カカシはその絵にどんな価値があるのか分からない。千両で買えてしまうような安い絵かもしれないし、実は何千万ともする絵かもしれない。父は色々な任務につき、様々な人脈を持っていた。父のしでかしたことや、死を知ったら、大半は父と一度も会ったことなどないという素振りを見せたが、その中の一人にこの絵を描いた人がいるのかもしれなかった。戦略パターンを何通りも考え出し、属する小隊を勝利に導く才気煥発のカカシには他人の衝動的で混沌とした感情を想像することすら困難だったが、何を思って描いたのか、少し気になった。海というのは書物の中と数枚の絵の中でしか知らない。任務で海岸のほうに出ることのあった者達はいるが、カカシは海側に出ることは殆どなかった。ある学者に言わせると、全ての生き物は海から生まれたらしいから、海は偉大なる母なのだとか。それはまるで詩の一節のように現実感がなく、根拠もなく、不必要な情報だとカカシは思っていた。
海は広大で、天気によってその表情を変える。海の幸を人間に与える反面、大高波が人間を襲うこともある。その程度しか海について知らないし、火遁使いは戦いづらい場所だろうなあと思ってしまうから、カカシはロマンチックなことを想像することすら不可能だった。雷遁使いの自分は水中から雷撃で多数の敵を拿捕若しくは撃退することが出来るが、使い方を誤れば無限の水が存在する海は危険そのものだろうとしか考えられない。水遁使いは材料がたくさんあって不便がなさそうである。安定しない海面と、隠れる場所のない海上は水遁使い以外にとって不利でしかないのである。
でも、と父の遺した絵を見て考える。行って見たい、という小さな願望が頭を過ぎった。見たことのない世界があるのだという興奮とわずかな恐怖が心地よく、その反面、リアリストの自分が任務や仲間や戦況を考えてしまい、小さな願望は押し込まれそうになってしまう。自分の立場を考えれば、里から遠く離れた海へ行くためには任務という口実しかありえないのだが、任務から離れたプライベートでこそ、海を見たいと思うのだ。一人で、誰もいない砂浜に立ち、ただ海を眺めるだけの時間はどれほど無駄か分かりきっている。そんなことをする暇があるならば泉が如く湧き出てくる任務をこなさなければならない。忍の能力は平均化されておらず、個々に才能が偏るため、一人欠けるだけで大損害を食らう場合もある。カカシはオールマイティーだからこそ、諜報・奇襲・援護・陽動・斥候などの任務を容赦なく振り当てられ、馬車馬が如く働かされる。木ノ葉は大国・火の国の軍力であるから全く金のない小国の隠れ里とは違い、蓄えはある。食糧、武器、火薬、様々だ。しかしながら、人員を大幅に失っている今、下忍一人ですら惜しい状況なのである。上忍となってしまったカカシが私情で里から離れるわけにはいかない。
忍として生きることに何の疑問も抱いたことはない。呼吸するのと同じで、忍になるのは当然のことだったし、忍以外の生き方をカカシは考えたことがない。家にクナイや手裏剣が置かれてあり、忍の心得を記した巻物が散らばり、様々な戦術パターンを繰り広げた書物が積み重なっている家に住めば、誰だってそうなるだろう。そして忍という職業は一生をその里で暮らすことを国に誓い、里に誓い、仲間と約束することでもある。里独自の情報の詰まった忍一人の肉体でさえ奪われてしまえば機密漏洩であり、国の地理を知り里の忍の癖を知るものが裏切ればそれは反逆罪なのだ。そして忍は単一で動くものではなく、複数人で一つの隊として動くものである。規律を乱すものがいればそれは死に繋がると言っても過言ではない。忍に自由や個人が与えられると考えるのは愚かなことであり、戦時下では人間であることすら忘れろといわんばかりの無残な戦いを強いられる。
だからこそ、海を見てみたかった。
叶わぬ我侭であることは百も承知である。海のあるところまで最速で移動したとしても、往復で三日以上掛かる。忍の休暇は一日程度、長くて二日だと考えていい。重傷でも負わぬ限り、忍に休まる時間などはない。この戦争が終われば、或いは海を見れるのかもしれない。飽くまで仮定の話である。戦争が終わることがあるのかどうかも分からぬ。疲弊しきった国同士の意地の張り合いだけが続き、劇的展開が起きぬ限りは泥沼の状態から抜け出すことも出来ない。カカシはそっと左目に触れた。もういない友達と仲間と、海でなら出会えるような気がした。どうしてだろうか。ミナト班は一度たりとも海を臨んだことはない。なのに、カカシが海の絵を見たその夜、遠泳勝負を申し込むオビトとそれの応援をするリンがいて、カカシはどうしようもなく嬉しいのに呆れたような声で「溺れないでよね」と言う夢を見たのだった。
