彼氏が異世界で魔王になっていた件

1.

宿儺がいなくなった。行方不明だ。もう何日も姿が見えないし、連絡も取れない。財布もスマホも置いて、彼は何処かに消えてしまった。
恵には、どうして宿儺がいなくなってしまったのか見当もつかない。
二人が付き合い始めて二年、そろそろ同棲をしたいという話が持ち上がり、その日は恵の家でいろんな物件を見ながら、具体的な計画を立てていた。風呂トイレはセパレートタイプ、キッチンにこだわりたい宿儺と、犬を飼いたい恵の希望する理想の物件を探して、あれこれ批評しては来る日を楽しみにしていた。家賃の許容範囲と通勤経路を考えながら、ここはどうか、あそこは悪くない、この間取りはどうなっているんだろう、などと宿儺のノートパソコンを覗きながら話していると夜が更けるのも忘れていた。
馬鹿みたいに恵にだけは優しい宿儺は、いつ何時も恵を不安にさせたことはない。何事においても恵が最優先で、時には仕事すらほっぽって恵との時間を作ろうとするから、その愛情の激しさは常々理解させられていたし、馬鹿だなと呆れながらも嬉しかった。実の親にすら、こんなに愛されたことはない。世界で唯一の相手だと互いに確かに感じていた。
なのに、この物件の内見に行こうと決めた日の翌朝、宿儺がいなくなっていた。
荷物も何もかも置いたまま、宿儺だけがいない。ベッドにいないのはよくあることだ、キッチンで朝食を作っているのかも。しかし、キッチンには誰もいない。いや、キッチンにいなくても昨日使い果たしたゴムを買いに行ったのかも、いや、ありえない。朝からそんな物を求めに恵を置いて出かける男じゃない。
朝食の用意は中途半端で、ベーコンエッグが皿に盛り付けられ、焼けたトーストが虚しくオーブンに乗っていたままだった。コーヒーはまだ温かかったので、宿儺がキッチンを離れてからそれほど時間が経っていないのだろう。今さっきまでそこにいた気配があちこちに残っているのに、肝心の宿儺がどこにもいない。
どうしてだ。何か急用でもできたのだろうか。でも、宿儺は薄情なので、家族が危篤になっても、仕事で大きなトラブルが起きても、恵に何も言わずに駆けつけるなんてことはしない。世界一の愛情は恵にしか向けられていないから、たとえ血縁であっても、重要な取引先であっても、宿儺にとっては全て恵以上にはならない。恵を放置しなければならない急用なんて、宿儺にありはしないのだ。
時間が経ってしまい、既にベッドのぬくもりは恵の分しかない。
最愛の男がどうして消えてしまったのか、恵には何も分からなかった。
警察に届け出た後、宿儺の身内で恵の友人である悠仁に事情を説明し、宿儺を探し出すため、あまり世話になりたくなかった後見人である五条の力まで借りた。はじめ、五条は恵が恋人のためとはいえ、頼ってくるのが珍しいと茶化していたが、恵が憔悴していると気付いてからは、全力で捜索してくれるようになった。宿儺が行きそうなところだけでなく、宿儺を恨んでいそうな人間関係まで洗い出して、ありとあらゆるアプローチで宿儺の捜索をした。
だが、現時点で事件性がないために警察は積極的な捜索をしてくれず、五条の伝手で雇った探偵などからも発見したという報告は聞けなかった。海外に飛んでいる可能性まで探ってもらったが、宿儺のパスポートは彼の家に残ったままだった。
一週間経っても、宿儺からの連絡は一切ない。これまで、宿儺はどれだけ忙しくても一日一回は恵に電話をしてきて、恵の声を聞こうとしたし、仕事を可能な限り早く切り上げて帰ってきてくれた。
悠仁も五条もそんな宿儺を知っているから、これは家出などではなく、誘拐ではないかと事件性を疑ったが、規格外な宿儺であれば自力でその状況を打破できるはずだから、やはり宿儺の意思で出ていってしまったのだろうかと議論していた。
そんなはずがない。宿儺を取り押さえられる人間なんて、この世で片手しか存在しないし、たとえ何か弱みを握られたとしても倍返しの方法をすぐに思いつくような狡猾さと残虐性を持つ男だ。それに、恵と前日まで、この先の未来の話をしていたのに、恵を置いていきなりいなくなるわけがない。恵を困惑させたり、怒らせたりすることはあっても、悲しませることだけはしてこなかったのに。どうして。
最悪な結果を想像してしまいそうになる。これからの人生で、あの男がいないなんて考えられない。不安で眠れなくなる。
人生で一番楽しいと思えたのは、宿儺が隣にいる時だ。姉とも友達とも違う、たった一人の存在が、こんなにも恵の心を支えてくれていたのに、今、彼は恵の傍にいない。
不安と寂しさと悲しみでいっぱいいっぱいなのに、毎日会社に出社しては仕事をしなければならなかった。しかし、情緒が不安定かつ、睡眠不足ゆえに、集中力に欠けた今の状態ではまともな判断ができない。ミスを連発して上司に追い詰められ、ミスのフォローをするために残業して一日の労働時間がズルズルと伸びていく。恵の会社は業種的にブラックになりやすい。転職しろと再三言いながら、宿儺が美味しい料理を作ってくれたのが遠い過去のように思われる。嫌だ、遠くに行かないでくれ。
付き合う前は寧ろ苦手な相手だったのに、どんどんと見せつけられる魅力と恵への強い愛情に惹かれ、今では宿儺がいなければまともな生活もできないようになってしまったのに、肝心のその男がいない。
何処に行ったんだ、と恵は何度も家の中をひっくり返しては、書き置きなどがないか探している。お陰で家中ぐちゃぐちゃだ。玄関の靴箱も、廊下にある小さな収納棚も、部屋にあるクローゼットも、台所の流し台の下も、冷蔵庫の中身も、ベッド下の収納ケースですら、全部中身を出して一つ一つ確認して、何もないことに落胆しては、投げ捨てる。部屋の状況はまさに恵の心境そのものだ。
でも、あの日の朝、間違いなく宿儺はいたし、恵のために朝食を用意していた。だから、何かあったならば恵を起こしてくれたはずだ。恵が熟睡していて起こせなかったとしても、メッセージがスマホに残されているか、書き置きがあるはずなのだ。しかし、スマホには何も残されていなかったし、家具を退けても、その中身をひっくり返しても、宿儺の書き置きなどは見つからなかった。
一体どうして。
そればかりが恵の頭を占める。だめだ、夜中まで家中を探していて、最近、管理会社から騒音の注意を受けたところだし、明日も仕事を七時からしないと会議に間に合わない。もう四時だ。寝ないと。風呂にも入っていないし、そういえば、食事も取っていないのではなかったか。
キッチンに立てば、何日も洗っていない食器が目に入った。一人分を作るのが億劫で、最近はコンビニ弁当生活になってしまった。体臭が嫌なニオイになっているのはこれのせいだろう。宿儺がいたら、絶対説教される。その後、美味しい料理を作ってくれて、恵の体を労ってくれるだろうに。いない。どこにも。
キッチンに蹲る。だらだらと流れる涙もどうでもいい。宿儺がいない現実に、これ以上は耐えられない。
どこ行ったんだ、お前。何か連絡寄越せよ。実は急に仕事で地球の裏側に行くことになったから連絡が付かなかった、とかでもいい。何でもいいから、どこにいるか教えてくれ。
そこで、恵は足元がいきなり光り始めたのを見た。
何も光るようなものは台所に置いていない。足元灯すら置いてないのにどういうことだ。涙も引っ込み、警戒心が高まる。円形に文字のようなものが配置されており、恵を中心にくるくると回っている。何だ、これは。幻覚でも見ているのか?
一歩下がって逃げようとした瞬間、一際光が強くなり、恵の意識はそこで途絶えた。

目を開けて、すぐに眩しさで瞬いた。眩しい? ありえない。恵は台所の手元灯しかつけていなかったのだから、眩しい程明るいはずがない。それに、埃っぽい空気で咳き込んだ。いくら家のことを放置していたとしても、砂埃っぽさはない。一体どういうことだ、と少しずつ瞼を開けて、明るさに慣らしていく。
まず、目に入ったのはひび割れた大理石の床だ。恵はその上で膝をついているようだった。
恵の家の台所は普通のフローリングだ。若者向けのワンルームマンションなのだから、大層な材質を使用しているわけがない。だから、今目の前にある床は自分の家のものではない。
何が起きている?
顔を上げて、改めて見渡すと、そこは何者からも忘れられそうになっている廃墟のようだった。部屋は広く、天井も高いが、あちこちが薄暗く、人が住んでいるような気配が感じられない。一体ここはどこなんだ。先程は動揺して気付かなかったが、足元には台所で見たような模様が描かれている。少々鉄臭い。立ち上がると、正面にある玉座の男と目があった。
男は目が虚ろで、眼窩が窪んでいるのに、怪しげな雰囲気に包まれていて、とても弱々しそうに見えない。茫々と伸びている手入れのされていない長い髭と髪は不衛生だった。服装もボロボロで、いつから着替えていないのかを想像したくなかった。痩せ細り骨と皮だけの男が恐ろしくて、恵は一歩退いてしまった。
男は立ち上がり、「勇者よ、よくぞ我が願いに応えてくれた……!」と感極まっている。
言葉は聞き取れたが、意味が分からない。勇者とはなんだ?
距離を置きながら、どのようにして逃げ出すかを考える。足場はボロボロだが、崩れ落ちる気配はない。この建物の構造はこの部屋だけでは想像がつかないが、門はここから遠いと考えて間違いないだろう。ちらりと見える窓の外には城壁が見えるが、それも一部は崩壊している。何が起きているんだ?
「勇者よ、ああ、我らを救う者よ! 名を聞かせてはくれぬか。我らを救う偉大なる人物の名を知らぬは恥というものだ」
こんな不審者に誰が名乗るものか。恵は逃げ出そうとして、大きく後退ったが、バチッという大きな音と共に鋭い痺れが体に走る。とてもじゃないが、立っていられなくて蹲ると、男は息を荒くして近寄ってきた。
「そなたはわしに縛られておる……役目を果たさぬ限り、自由はない」
ニチャアという擬音が似合う汚らしい笑みで男は恵を見ている。気持ち悪い。恐ろしい。すぐさま体勢を立て直して、男と向き合う。
「……伏黒、恵……」
一瞬、男が固まった。何か不味いことを言っただろうか。名乗っただけだろうが。言葉が通じないということはないはずだ。相手の言葉の意味を理解できている以上、同じ言語を操るはずだから、意思の疎通はできるに違いない。そうでなかったらどうしてくれようか、と考えていた恵を飛び上がらせるほどの大声で男は狂喜した。
「フシグロ゠メグミ! フシグロ゠メグミとな? 正しくこれは運命の導きか? 神は我々人類を見捨ててはいなかった!」
男は大きな声で叫び、咽び泣き、歓喜し、飛び跳ねている。寒々しい廃墟の中で、男の狂ったような笑い声だけが響いている。男がひっくり返りそうなほど背を反らして笑っているのを見て、恵は冷静になっていく。
まずは状況を整理しなければならない。
今、この場について、改めて気付いたのは、空気の湿度が違うことだ。日本は湿度が高いため空気が重いが、ここは昔、宿儺と旅行したヨーロッパに近い、湿度が低い乾いた気候のようだった。
明かりもなく、豪奢だったであろうシャンデリアが虚しく吊るされている。今この場を照らすのは、壁の穴や窓から差し込む弱々しい月の光だけだった。だが、昼間になってもこの建物の薄暗さに変わりはないだろう。物理的に光を遮断するものがあるからではなく、ただただこの建物に蔓延る男の気配が、雰囲気を明るくさせないだろうと思われたからだ。
その男は爛々とした怪しい目で恵を見つめている。
「勇者フシグロ゠メグミ、そなたには魔王リョウメンスクナを倒してほしい」
唐突な言葉に、恵は何を言われたのか分からず、「は?」と聞き返した。
「リョウメンスクナって――いや、まず、勇者ってなんだ? お前は俺に何をした?」
「召喚の儀に応えた以上、そなたは魔王リョウメンスクナを滅ぼす者なのだ」
「そんなのはありえない! 俺は勇者じゃないし、それに――」
両面宿儺とは恵の最愛の男の名前だ。訳が分からない。リョウメンスクナを滅ぼす者? バカバカしい。ふざけるな。
「聞くのだ、勇者よ。魔王は百年前いきなり現れ、次々と人を殺しまわり、残虐の限りを尽くし、八十年ほど前から北の森の奥の山に籠もっておる。気紛れに姿を見せては家畜を攫い、或いは人々を殺すことをやめぬ。腕に覚えのあるものが何度もリョウメンスクナを滅ぼさんと立ち向かったが、帰ってきたのは骨だけじゃ。古の言い伝えによると、彼の者はフシグロ゠メグミのみが鎮められるという。そして、そなたの名は、フシグロ゠メグミ。これが運命の巡り合わせでなければなんとする」
何を言われているのか、さっぱり分からない。単語だけは聞き取れるが、そのように聞き取れるだけの別の言語を使っているのではないのかと疑いたくなるほどだ。
経験上、会話が通じない相手とわざと会話を成立させない相手がいることは知っている。
会話が通じない相手というのは、まずこちらの話を一切聞いていないで、自分の主張だけを一方的に話す人間だ。その場合は適当にあしらってしまうことが多い。そのまま相手をしていても、苛立つだけで時間の無駄だからだ。会話というキャッチボールをするつもりがないのならば、生産性は皆無だ。
わざと会話を成立させない相手は、会話が成立すると都合が悪いから誤魔化し、のらりくらりと会話をしているふりだけなので、これもまた生産性がない。分かっている上でそんな事をするから、余計たちが悪い。恵が無視できない相手に限って、こういう子供っぽいことをするため、経験だけは豊富だ。
目の前の男は前者だ。恵の話を一切聞き入れず、質の悪い冗談で恵を混乱させている。正気を失っている様子から、恵の言葉を聞き入れることも期待できない。
そもそも、恵は一介のサラリーマンで、つい最近運動したのはランニング程度だ。喧嘩も十年以上していない。期待されたところで何も出来やしない。暴漢を捕まえるくらいならともかく、「勇者」という肩書に見合うようなことは成し遂げられない。
だが、今ここで、この男の言葉を否定し、逃げ出しても、先程のように電撃のような何かが走るのであれば、恵の選択肢なんてないのだ。この場に留まらなければならない以上、男は恵にしつこく要求するだろう。
急に足元から力が抜けるような感覚がした。目の前が真っ暗になる。どうすべきなのか。
「そなたに我が国の勇者に与えるべき装備を授けよう。どうか、我が国を救ってほしい」
男が恵に跪く。
恵は拒絶できなかった。

2.

居館の応接室にて、紅茶と茶菓子を出されて、恵は食べるべきか否かを悩んでいた。
第一に、カップにヒビが入っていて、唇が触れるのは危険である。
第二に、絶対に恵が認められる衛生基準を満たしていないと予想された。腹を壊しても治す方法があるかどうか分からないので、結局、恵はそれらを視界に入れないことにした。
「この国は、諸外国に比べて遥かに領土が狭く、土地は痩せており、お世辞にも豊かな国とは言い難い。だが、地理的に山に囲まれていることによって、大国の侵略を長らく免れている国でもあった」
自国の歴史を語る王は、先程よりもいくらか理性を取り戻した様子だった。歴史書らしい本をめくり、恵に図を見せる。世界地図らしいが、精度は低い。衛星データによって細かなところまで暴かれた現代の地図とは比べ物にならないが、確かに地図の中心に位置するこの国の周りには険しい山々が描かれている。
この国は土地に恵まれていないこともあって、勇者召喚の儀式を編み出したり、山に住まう竜を飼い慣らしたりすることで自国を守っていた。山を超えた隣国との関係は良好と言えず、隣国の辺境伯とは何度もぶつかり合ってきた。
そのようにして、小競り合いを繰り返しながらも、可能な限り国の平和を保ってきた小国は、百年前、唐突に現れた男の所為で平和な日々を奪われた。
男は切り裂くような魔法と火の魔法を操り、この国の各地で散々暴れ回り、田畑を食い荒らし、家畜だけでなく人まで喰らって、この国を蝕んだ。
しかしながら、百年前の当時は何故か勇者を呼び出すことが出来ず、被害は広がるばかり。諸国は今までの経緯故に助けてくれず、人々は安全とは言えないこの国から逃げ出し、当時の王の孫に当たる目の前の男が即位した時には、国としての体を成していなかった。
今回、恵を呼び出した儀式は、幾度となく失敗した勇者召喚の最後のチャンスだった。儀式には様々な捧げ物が必要だが、その捧げ物を用意できるような人間はもう数少ない。皆、逃げ出してしまったからだ。だからこそ、彼らはこの儀式に全てを賭した。そして、その最後の最後のチャンスで、リョウメンスクナを倒しうる者を呼び寄せたということだった。
いい迷惑だ。こちらは最愛の人が失踪し、心身共に疲弊して、生きる気力も失せているのに、何故、知らない場所で関わりのない他人の事情に付き合ってやらねばらないのか。
宿儺に繋がる可能性がなければ、こんな廃墟から飛び出し、家に戻る方法を探し出すことに専念しただろう。
この国どころか、この世界は恵の生まれ住んだ地球とは異なるらしい。魔法が存在し、世界地図に描かれる土地の形はユーラシア大陸とは似ても似つかぬ形をしている。中世あるいは近世のヨーロッパのような外見をした人々の名前はインドヨーロッパ語族との繋がりを感じさせない。恐らく、この世界にはキリスト教がない影響もあるのだろう。世界三大宗教は、異世界にまで伝播しなかった。
一通りの説明を受け、納得も理解もしなかったが、王は残り少ない侍従のうちから、一人、恵の世話係を呼びつけた。恵よりも頭一つ分背の高い、中年の男だった。これほど荒廃した城でも残るくらいだから、王家への忠誠心が強いらしく、少々草臥れた外見ながらも、目つきは鋭く、恵を歓迎している様子ではない。
「貴方様がこの国に現れたことを、魂より感謝いたします」
感情のこもっていない平坦な声を聞くと却って不気味だった。何を考えてこの男は王に付き従っているのか。ただ、恵のことを信用していないのは見て取れた。
それもそうだろう、勇者召喚の儀式は長らく失敗し、誰もが期待していなかったに違いない。しかも、現れたのは筋肉隆々な益荒男ではなく、三十手前の薄っぺらな体をした恵だ。
王はともかく、この侍従は落胆したことだろう。
しかも、恵は今、誰かを救っていられるような心境ではない。恵こそ、救われたい状況なのだ。召喚儀式による強制的な契約履行までの縛りさえなければ、恵はこんなところに留まっていない。
その態度をありありと見せているわけではないが、不服であることを隠しもしていないから、侍従も恵を歓迎していないのだろう。
顔の筋肉が死んでいるのかと思うくらいの無表情で、男は言葉を続ける。
「リョウメンスクナを鎮めるものは、フシグロ゠メグミだけだと、私の故郷では言い伝えられていました。それが一体何なのか、今日初めて理解しました。貴方様しか、あの災害を止めるものはおりますまい」
一応おだてるくらいのことはするらしいが、恵はそれで騙されるような人間ではない。
この連中は、右も左も分からない人間に死地へ赴くことを強要している。常に近隣諸国と小競り合いをしていたこの国の兵士は恵よりもずっと強かったであろうに、その彼らが死んでしまうような相手に、喧嘩しか知らない恵を送り出すのはおかしいことなのだ。理屈に合わない。
魔王と恐れられている男と真面目に戦うつもりは更々ないが、しかしながら、その名がリョウメンスクナであることがどうしても引っかかるのだ。元より、召喚儀式に組み込まれていた強制的な縛りのせいで、恵は逃げ出せやしない。
これで、同姓同名の別人だったらどうしてくれようか。今までの生活を奪われた挙げ句、何の恩義もない他人のために命を使うなんて、恵は認めない。決して、この男達に屈することはない。
「リョウメンスクナとは何者ですか」
侍従は首を振った。
「誰にも分かりません。どこから、あれほどの邪悪な者が流れて来たのかすら、知る術もなく、我々は日々あの魔王の機嫌を損なわぬよう息を潜めて生きております。幸い、国境沿いを飛び回っておりますので、王都は比較的安全です」
廃墟のようではあっても、崩壊していないのは、リョウメンスクナが王城を破壊していないかららしい。王都に近付かない理由でもあるのだろうか。いや、近寄らないのではなく、近寄れないのではないか。
今の状態で判断するのは早すぎる。情報が圧倒的に足りない。
「リョウメンスクナの外見が分かるものはありますか。似顔絵とか」
「こちらに。遭遇した者は例外なく死んでおり、死に際の言葉と、遠目で見た者の言葉から作ったイメージですので、正確性は保証しかねますが」
参考資料としての精度が低いのはどうかと思うが、それも致し方ないのだろう。
紙に描かれているのは、四本の腕と、四つの目をした怪物だった。誇張表現なのだろうか。
恵の知っている二足歩行の生き物に四本の腕を持つものは存在しない。だが、ここは恵の知っている世界とは異なる物が数多くある。これは誇張表現ではなく、現実である可能性も高い。今際の際の言葉と遠目から見た時の印象とはいえ、腕が四本あるのは事実と考えておいた方がよさそうだ。
また、リョウメンスクナの大きさは、比較対象として描かれている人間の約一.六倍である。この人間のサイズを尋ねたら、恵の知らない単位で回答され、一瞬わかりかねたが、会話を重ねて、約百八十センチほどであることが分かった。この国の兵士としての雇用基準だそうだ。
即ち、この絵に描かれている怪物は三メートル近くあるという計算になる。これが真実ならば、人間が勝てないのも無理はない。ベンガルトラやホッキョクグマが魔法を使って襲いかかってくると考えれば、命を落として当然だ。
「そういえば、リョウメンスクナという呼び名は何が由来なんですか。この国の言葉の響きとは異なるようですが」
「由来は不明です。いつからかそう呼ばれておりました」
侍従の回答に偽りはないようだったが、本当とも思えない。
驚異に対して名をつける行為には色々な意味合いがあるが、全く自分たちの言語に馴染まない言葉で命名することはない。
意思疎通が出来ない化け物であれば、外見的特徴を端的に示した言葉で表されるだろう。今回の場合、目や腕が多いことに着目した名前で噂されるはずだ。日本の神話における両面宿儺の事を知っていれば、確かにそう名付けられる可能性もあっただろうが、ここは異世界だ。世界三大宗教が伝播しなかったのだから、日本の神話なんて伝わっているはずもない。ならば、この怪物がリョウメンスクナと名乗った、そして、その名乗りを誰かが聞いていたのではないのか。
それは、恵が探し求めていた男ではないのか。しかし、恵の恋人には腕が二本しかないので、身体的特徴がそぐわない。また、リョウメンスクナの出現したのが百年前なのだから、かなり時間が経過している。宿儺がいなくなったのが一ヶ月前で、計算が合わないが、恵の時間感覚が通用するような世界ではないかもしれないし、ウラシマ効果のような事象が起きているのかもしれない。時間経過については深く考えないでおこう。
この二点については、また情報を集め、精査した上で考えたほうがいい。
ぐだぐだと王城で考えていても、結論は出ない。王は半分気が狂っているようだし、この侍従は情報をペラペラと喋る男ではなさそうだった。外に出て、別の人間に会う必要がある。
「わかりました。リョウメンスクナの元に送って下さい」
「では、装備と供を……」
「不要です。俺はあなた方のような装備をつけて歩くことにも、供を連れて歩くのも慣れていませんから、却って思うように動けなくなる」
正直に言えば、ろくに整備もされていないであろう鎧やら防具やらをつければ、動きにくくなるだけだし、もしも本当にリョウメンスクナが恵の恋人であるあの男だった場合、一対多の状況は、宿儺の加虐心を煽るだけだ。学生時代も一対多を好み、圧倒的な膂力で制圧するのを楽しんでいたのだ。ただでさえ、人間サイズの宿儺を抑えられる人間はいなかったのに、あの化け物の肉体で暴れられたらどうなることやら。ただ、恵が一人行けば宿儺は恵を虐めることはしないだろう。ただし、宿儺が恵のことを覚えていればの話だが。
侍従はありえないという顔で聞き返したが、恵は再度同じ説明をした。
「せめて、何か身を守るものを携えなければなりません。無防備な者を魔王へ送り届けるほど、我が国は落ちぶれていない」
そもそも、勇者召喚の儀式に頼っている時点で良い国とは思えないのだが、それは彼らにとっての汚点にはならないのだろう。そういう伝統を続けてきたのだから。
侍従は恵が本当に必要と思っていないことを理解すると、馬車と最低限の支度を用意し始めた。いくら防具がいらないと言ったところで、雪山であるから防寒具は必要だ。
その間、恵は老齢の騎士に剣の使い方を軽く習っていた。短剣すら必要ないと感じているのだが、それでは勇者として呼び出した意味がないと向こうが焦ったのだ。
確かに、今のままでは恵は死ににいくだけだ。恵はこの国のために働いてやるつもりは更々ないので全く構わない。リョウメンスクナが恵の宿儺でなかったら、確かに死ぬかもしれない。だが、死ににいくつもりでもない。
不思議な心境だった。心のどこかで、リョウメンスクナは恵の宿儺であると予感しているのだろうか。そんな不確かなものに縋るような性格じゃなかったのに。長らく会えていないから、おかしくなってしまったのだろうか。
とにかく、剣を振り回すくらいならやってやってもいいだろうと指導を受けている。老騎士いわく、恵は筋が良いらしい。恵は得物を使って喧嘩をしたことはないが、人体の攻撃すべき箇所は分かっている。
しかしながら、妙に剣が軽く感じるのが不思議でならない。程よい重さではあるが、最近の恵は本当に運動をしていない。鉄パイプの一メートルあたりの重量が二.七キログラムだったはずだ。それよりずっと軽い。竹刀と変わらないくらいの重さに感じるが、見た目から推測される素材からして、金属であることは間違いないから、これほど軽いはずもない。
「なんだ、気付いておらなんだか。貴殿は魔法を使って剣を握っているだろう」
老騎士の言葉に恵はびっくりする。
「俺は魔法なんて使えませんよ」
「いいや、使えておる。勇者として召喚されたものは、必ず魔法の才があるのだ。そう伝え聞いている。その魔法の才をもってして、窮地を切り抜け、我々を新たな時代へ導くという」
「貴方は魔法を使えるんですか」
「生活に役立つ程度だ。戦闘に使えるほどではない。寧ろ、我々は戦いに魔法を用いない」
「何故ですか」
「人に向けて、況してや命を奪うために、魔法を使ってはならないと言われている」
「それは……倫理的問題のためですか?」
「倫理的問題? いいや、魂の問題だ。禁を破れば、魂が変容すると伝えられているのだ。だから、誰も人に向けて使うことはない。使った者はいない。少なくとも、我々の知る限りでは、リョウメンスクナ以外の誰も、そのような悍ましいことはしていない」
「ですが、勇者は魔法を使って戦うんですよね」
「勇者はこの世の理とは別の理で生きておる。故に、何ら問題はない。寧ろ、使わねば窮地を脱せぬ」
どういう理屈だ、と恵は眉を顰める。魔法を使って他者を傷つけるような行為は「魂の問題」が生じる。だが、勇者は別のルールが適用されるので、「魂の問題」は起きないし、使ってもらわないと困ると。
一体何なんだ。魂が変容するという言葉の意味も分からない。実際には何が起きるのだろうか。恐らく、魂が変容した者はなかったことにされているのだろう。戦地で魔法を使わないで済むようなことがあり得るだろうか。今正に殺されそうになっている時に、相手を殺して生き延びるために魔法を使うという選択肢を選ばないでいられる人間がどれほどいるだろうか。今を生き延びるために、蔑まれるような方法で切り抜ける人間なんて、たくさんいる。命の喪失を前に、魂の変容を恐れるものがいるだろうか。
無自覚で魔法を使用していることについては、制御する必要性を感じたので、老騎士に願って、魔法を教えられるような人間がいるかどうか尋ねたが、そういう連中はとうの昔に逃げ出して、この国にいないという。老騎士は、大昔に隣国で犯罪行為をしてしまったため、寧ろ逃げ出せなかったらしい。
「貴殿を呼び出した召喚士は既に全ての力を使い果たして事切れた。この城も、もうお終いだな」
老騎士もまた、恵に何ら期待していないらしい。ありがたいことだが、少々腹も立つ。そっちが呼び出しておいて、身勝手すぎやしないか。
それでも、生活に役立つ程度でも構わないので、老騎士に魔法について教わることにした。
まずは世界の流れと、自分の流れの違いを感じることが大事らしい。その時点で、恵にしてみれば、少々頭が痛かったが、そういうものだと割り切って、目を瞑る。
「貴殿は既に全身を魔法で強くしておる。それを解いてみるといいだろう」
鎧のように魔法をまとっているというので、一箇所ずつ剥ぐようなイメージをすれば、確かに、その箇所が薄ら寒くなったような、頼りない感覚になる。
その後も、拳や足などの一部に魔法を掛けてみたり、蝋燭に火を灯してみたりと、指導を受けて、魔法を使ってみる。
道具を使わなくても火を熾したり、ロープを使わなくても壁を伝って移動できたりするのは便利だ。これから向かうリョウメンスクナのいる山はそれなりに険しく、また常に雪が積もっているということだが、足の強化さえしていれば、滑って転落死することは回避できるらしい。老騎士はあの辺りで働いていたこともあるらしく、色々と話を聞かせてくれた。

3.

無理やり召喚された七日後、道案内人も用意できたということで、恵はリョウメンスクナの住まう北の山に向かうことになった。
老騎士は恵のことを息子のように可愛がり、親身になってくれた。恐らく、この国にはもう若者がいないこともあるのだろう。働ける者は皆逃げ出してしまい、残された者たちもほそぼそと暮らすだけだ。聞くところによると、侍従の中年の男は代々王に仕えてきた一族の出らしく、百年前からずっとこの地に一族揃って残っているのだそうだ。その中で一番若いのがあの男だというのだから、将来性などまったくない。
逃げ出せばよかったのに、未練がましくこの地に残ってまで、怪物を倒そうとしているのはどうしてなのだろうか。確かに諸外国との関係性が良くないために、国としての助けを求められないのかもしれない。国際的関係は感情的かつかなり利己的であり、単なる親切心で誰も助けたりしない。見返りがなければ誰も手を差し伸べない。
だとしても、身分を隠して他国へ逃げ延びることも出来ただろうに。
これは召喚されて以来の疑問点だ。恵は生家に何の未練もなく、寧ろ早く捨てたくて、津美紀と一緒に五条の世話になることを決めた。独り立ちしてからも、あまり長く同じ家に居座れなくて、大学生になってから今まで、五回も引っ越しをした。漸く落ち着いたのは、宿儺と出会ってからだ。転居を伴うような異動のない職なのに、就職してから二回も引越したくなった衝動は、宿儺と知り合い、恋人になってから落ち着いた。漸く、本当の意味で自分と向き合うことが出来るようになったのは宿儺のおかげだ。
だから、住居よりも何よりも、「誰と生きるか」が恵にとっては重要だ。
血が繋がらないとはいえ、ずっと姉弟として過ごしてきた津美紀よりも、誰よりも世話になった五条よりも、宿儺といることで呼吸が楽になって、自分がいていい場所があるのだと知った。だから、二人で暮らす家を探すことは、宿儺が考えているよりもずっと、恵にとって意味があったのだ。
これほどまでに荒廃し、どこにも人影が見えない、国とも言えない有様になっても、百年も固執する気持ちを恵が理解できる日は来ないだろう。
老騎士に見送られ、生き残っていたスレイプニルという八本足の白馬に乗る。かつては何頭ものスレイプニルで牽いた勇者用のチャリオットもあったようだが、最早手入れもされず、錆びてしまっていたらしい。老騎士が嘆いていた。サスペンションのないチャリオットなんぞ、現代育ちの恵には無理だ。まだ乗馬の方がマシなので、今回はその衰退に感謝した。
ただ、乗馬の経験もあるわけではないから、魔法で鞍と体をくっつけて、落馬しないようにしているだけである。老騎士と案内人にも乗馬のコツを教えてもらったが、一朝一夕で出来るようになるものではない。追々魔法に頼らなくていいようになればいいだろう。
案内人も老齢の男で、リョウメンスクナが住まう北の山にかつて住んでいた一族の末裔だという。ぼろぼろの王都を出て、北に向かう道中、男は話をした。
「親父がな、言うんだよ、何度も何度も、あのバケモンを引きずり下ろして俺らが戻るんだってな。そんで死んじまったもんで、おらぁここから出られなくなっちまったんだ」
案内人にはその山に住んだ記憶はまったくない。生まれは、両親が避難した王都の外れだという。父親は山に固執し、母親はそんな父親を見限り、案内人が生まれてすぐに国を出てしまったそうだ。だから、この男は女というものを知らない。
「あんたみたいな、髭のない、細っこいやつは女だと思ってたんだが、あんた、女じゃねえんだろ。勿体ねえなあ」
女に生まれりゃあ可愛がってやったのになあと言われて、気分が悪くなった。
早くリョウメンスクナを倒すべきだと強く言えば、案内人は素直に従って、馬を早めた。
山を奪った魔王さえいなくなれば、母親も女達も戻ってくるし、女を抱けるようになると思っているらしい。父親がずっとそう言っていたから、間違いないと空虚な笑みで言われた時、恵はどうすればよかったのだろうか。
リョウメンスクナは存在しているだけで周囲を不幸にしている。波紋のように広がった不幸の先はどうなっているのだろう。恵の推測が正しければ、リョウメンスクナが現れたことそのものはリョウメンスクナの責任ではない。だが、その後の暴力的行為については、決して庇うことはできない。この男だって、国がこんな事になっていなければ、幸福でいられただろうに。
だが、恵がこの国にリョウメンスクナが現れなかった仮定をしたところで無意味だ。
ただただ、一刻も早くこの国を蝕む魔王に会わなければならない。
この国はあまり大きくないそうだが、だからといって一日二日で国の端にある北の山まで辿り着けるわけではない。スレイプニルの速度は自動車と同じくらいなので、乗り手は魔法で風圧等から自分の身を守ることが必須だ。案内人は今までの人生で苦労しているからか、愚鈍そうな外見や話し方からは想像できないくらい魔法の使い方が上手かった。
恵の想像以上に魔法は自由が効き、同時に、発想力を試されるものだった。効率よく前からくる風、ゴミなどを避けるために魔法でウインドシールドのようなものを作り上げるだけではなく、スレイプニルのコーナリング時にかかる重力加速度のコントロールなども、魔法を部分的に効率良く使えば快適に乗馬できると案内人は最初に説明した。
実際にやってみなければ分からないところもあったが、やってみれば随分と面白い。
老騎士は、魔法を人に使う者はいなかったというが、やはり恵にはそれが嘘だとしか思えない。これほど、使い方次第で化ける力を、命の懸かった場面で使わないわけがない。
今まで得た情報から考えて、リョウメンスクナは魔法に魅入られ、この国の人間が使わないようにしていた領域まで踏み込んだのは間違いない。
宿儺は何でもできてしまう才能があったし、同時に出来ることの限界まで突き詰めるほどのめり込んでしまう嫌いもあった。ただ、常に宿儺はその限界まで最短距離で詰めてしまう。故に、何もかもつまらないと言うのだった。そのうち、生まれ持った凶暴性とその才能は結びつき、周りから歓迎されないような人間に育った。
恵と出会ったことで落ち着いたのは奇跡だと言われたし、毎日槍の雨が降るに違いないと宿儺を昔から知る人間には言われたのだった。
今、その人達がリョウメンスクナの話を聞いたところで「あいつならやると思った」としか言わないだろうなと思うと、少しだけ気分が明るくなった。
そもそも宿儺が幸せにした人間なんて、恵だけだ。それ以外の他人は家族といえども不幸にさせかねない男だった。横暴で、凶暴で、手のつけられない、才能豊かで頭の回る人間なんて、迷惑千万なのだ。実力主義だからといって、やっていいことの限度はあるし、しかし抗議したところで宿儺の前では無力だった。
宿儺が彼らを不幸にさせたことについて喜ぶことはないが、だからといって、宿儺の存在が彼らを幸せにすることはなかっただろうという可能性に思い至ったことは、恵にとっては気が楽になる発見だった。
心做し、馬が早くなったような気がする。
「待て! 待て……! うま、馬に魔力、与えんじゃねえ!」
後ろから案内人の焦る声が聞こえて、あ、と恵は自分から魔力が溢れ出して、八本足の白馬をドーピング状態にしていたことに漸く気付いた。馬は嬉しそうにしているし、思考の奥深くまで潜っていたから、全く気付いていなかったのだ。
この世界の生き物の生態について何も知らないのに、とんでもないことをした。
「おま、おまえな、これ、王様から借りてんだろうが、盗もうとすんな」
ぜいぜいと息を乱しながら、後ろから追いついた案内人が言う。
「いや、盗むつもりはなかったんですが……」
馬を盗んで何処かに行こうという気は元々ない。地理も事情も分からないまま、案内人から離れるほど馬鹿ではない。しかし、案内人はそういうことじゃねえと言った。
「魔力をやるってのは、子分になれってことなんだ。だから借りてんのにやっちゃなんねえ」
「知らなかったとはいえ、すみません、こいつはどうなんです?」
「お前の子分になっちまった。えれぇこった……王様、盗られんのがいっちゃんきれえだからなあ……」
あ~あ、と困った顔をしたが、案内人はすぐに「ま、仕方ね、帰ってから考えるかあ」と切り替えて、先に進んだ。あんまり深く考えない質らしい。そうでなければ、気が滅入ってしまうのだろう。
案内人は深く物事を考えることのない、思慮深いとは言えない人間だったが、慎重ではあった。この荒廃した国に居残る事自体は愚かではあるが、生き延びるには知恵がいる。彼は道中に出てくる野生化した家畜や小さな魔物などを上手く回避してくれた。
スレイプニルの世話にも慣れているし、野営の時もテキパキと効率よく設営したので、恵の方がお荷物だった。なにせ、まず地面を踏んで地均しをしなければならないと言われたのだが、恵には魔法なしでは全く上手く出来なかった。テントも市販のキャンプ用品のような簡単に設置できるものはなく、持ってきた布とそこらにある木の枝を上手く組み合わせて、ティピーテントのように組み上げたのだが、恵は初め、案内人の説明が理解できず、ただ見ているだけだった。案内人との会話は主語がないことが多いし、知っている単語も少ないようで、意思疎通が難しい場面が沢山あったが、今回ばかりはかなり困惑したし、同時に迷惑をかけてしまった。要領を得た二回目以降はどうにかなったが、かなりショックだった。
ふと、宿儺とはキャンプに行ったことがなかったな、と思い出す。宿儺はアウトドアを嫌っているわけではないが、キャンプ場に行けばいろんな人間がいる上に、案外話しかけられることが多い。それを煩わしく思っているようだったし、恵もあまり初対面の人間と用もないのに話をするのは得意ではなかったから、二人でいつも都会に引きこもっていた。
こんな事になるなら、何回か行ってもよかったかもしれない、と考えてから、頭を振った。
そもそも、こんな状況に陥っているのがおかしいのだ。状況に振り回されるな。
翌日以降は、雪山を進むことになるからと、雪目を防ぐための横長の水平な切込みがあるスリットゴーグル、速乾性を高めた魔法のかかった肌着と暖かなアウター、凍傷を防ぐための目出し帽や手袋などを装着した。ある程度は魔法で寒さをしのげるとは言え、魔法は単体で使うものではなく、物に魔法をかけて強化することで便利にするのが基本らしい。案内人がウインドシールド代わりに魔法を使っているのは特殊事例だったようである。
恵はそもそも雪山どころか登山も慣れていないので、間違いなく案内人の足手まといになる。だが、自分のものになってしまったスレイプニルが早く乗って欲しいとせがむのを見ていると、なんとかなるんじゃないかと思えてきた。
案内人によれば、スレイプニルはその八本足で何処へでも行けるという。空も飛ぼうと思えば飛べるらしいが、初心者向けではないとか。また、リョウメンスクナに空中で襲われる可能性もあるので空路は危険度が高く、面倒であっても陸路で北の山を目指すことになった。
スレイプニルが自動車並みの速度とはいえ、舗道されていない道を歩むこと、長年誰も近付こうとしなかった北の山の道であるということから、三日以上はかかるようだった。
既に三日ほど費やしている上に、更に三日。雪が積もっていない場所では動物を狩ることで肉を得ていたが、ここから先は王都から持ってきていた保存食を食べることになる。
簡単な旅程ではないが、案内人はぎりぎりまで近づいてくれるらしい。
「王様から、お前連れてそこまで行けばいいことあるって言われてよ」
間違いなく、いいことなんて一つも起こるわけがない。あの王はこの愚鈍な男を騙しているのか。いや、違う、確かに、恵がリョウメンンスクナと会い、滅ぼせば、それはあの王にとって大変いいことが起きる。この男にではない。
なんとも言えず、恵はスリットゴーグルと目出し帽の下で顔を顰めたが、当然、案内人にはバレていなかった。

4.

スレイプニルは順調に恵と案内人をリョウメンンスクナの縄張り近くまで運んでくれた。
白い雪で覆われた山は何処も景色が同じで、方向を見失いそうになるが、案内人は方位磁針に似た物を携帯していたので、道に迷うことはなかった。
途中、吹雪いたことで時間を取られたが、その間、恵は案内人が魔法で作り上げた、かまくらともイグルーとも言えるような、雪小屋で話をしたり、魔法の練習をしたりした。
勇者は必ず魔法の才があると老騎士は言っていた。それがずっと気になっていて、恵は雪小屋で案内人との会話に苦労しながら、自分の魔法の才とは何かを考えていた。
魔法の才については老騎士にも色々話を聞いたが、前に勇者を召喚できたのが百年も前で、尚且つ元は他国の人間であることから、詳しいことは知らないというし、待機期間中に王に許可を得て侍従と共に探した文献の中にも大した記述はなかった。
何故、国を救う奇跡たる勇者に関する記述が少ないのか。不自然に切り取られたページもあったが、いくつかの書籍を侍従が恵にバレないように隠しているのを見た以上、これは国が勇者について誰にも知られたくないことがあると見ていい。老騎士はこの国生まれではないから、勇者に関する知識に乏しいし、案内人は王どころか、侍従にすら会えない身分の人間だ。文字もほとんど読めない。
何を隠す必要があるのかと考えていたのは、ほんの少しの間だけだ。今は大体見当が付いている。バカバカしい。連中の罪を隠そうとも無駄だ。ちょっと考えればすぐに結びつく。
だから、今は魔法について考える。
自分の魔法。
世界と自分の流れ。
自分に何が出来るのか。
リョウメンスクナは火と斬撃の魔法。
宿儺は料理が好きだったから、そうなったのだろうか。
自分はどうだろうか。
ふと、雪小屋の中で燃える火の影を見た。おもちゃを持たない子供時代、よく影絵で遊んでいたものだ。犬が飼いたかったので、いつも犬の影絵をして津美紀と寂しさや惨めさを紛らわしていた。
今は、雪山で寒いし、携帯食は美味しくないし、最愛の人は隣におらず、最低な人間達の思惑で気分は最低だった。子供の頃に状況が似ているような、より一層悪化しているような。
だから、犬の影絵で遊んでみたくなった。手を重ね、指のポーズを取る。いつか、宿儺と家を買ったら犬も一緒に暮らしたい。宿儺にはまだ大型犬を二匹飼いたいと伝えていないことを思い出した。今はスレイプニルしかいない。犬はこの世界にもいるだろうか。
久々に見た影絵に、懐かしさと虚しさを感じていたが、次の瞬間には案内人が悲鳴を上げたので、恵も立ち上がってしまった。
影絵は平面的な姿から、スゥっと立体的な形を得た。しかも二匹。歩行姿勢から見て、犬ではなく狼だ。二匹の白と黒の狼は恵にマズルを擦り寄せる。これが恵の魔法なのだろう。
それからは案内人に怯えられながら、恵は己の魔法を試しまくった。畢竟するに、これは影を使って何かを作る、或いは何かを収納できるようだった。自分の考えを柔軟にすればするほど、使い道は増えるだろう。今は犬、鳥、蛇、蛙、兎などしか呼び出せない。象の影絵も知っているが、こんな狭い所で呼び出すサイズではない。
使い方、特徴などは雪小屋の中だけで試せる範囲を全て試すことで大体把握した。この狭さで出来ることは限られているものの、これだけでも知れてよかった。
案内人は恵を不気味がっていたが、丁度いい。どうせ、リョウメンスクナの山へ案内をさせたら切れる縁だ。宿儺と恵を引き離した事について、この男は何ら関係なく、寧ろ被害者ではあったが、恵にはどうすることもできないし、するつもりもない。ただ、この男がこれ以上不幸にならなければいいなと思うだけだ。
恵の魔法が判明した二日後、吹雪のせいで行程は少し遅れたが、スレイプニルの働きのお陰で、無事、リョウメンスクナが棲家にしているであろう旧辺境伯邸まで約一キロというところまで到着した。
木々も生えていないので、目を魔法で強化すれば城の影がうっすら見える。辺境伯の城だからか、華美なものではなく、軍事目的で作られているようで無骨だ。加えて、塔がいくつか破壊されている。リョウメンスクナの仕業だろうか。
なんにせよ、あとはあそこに向かって真っ直ぐ進むだけだ。
「ここからは一人で行きます。あなたは王都へ帰還して下さい」
「でもよう、待たなくていいのかあ?」
「大丈夫です」
案内人はちらちらと恵を振り返りながら、二頭のスレイプニルを連れてもと来た道に戻っていった。野営では恵の方が足手まといだったが、これから先、宿儺と対峙するにあたっては彼こそが足手まといになるし、恵が男と連れ立ってここまで来たと宿儺が知れば、気分を悪くするだろうと思われたからだ。自分なら嫌だ。道を知らないのだから仕方がないと分かっていても、感情は理性で押さえつけられるものではない。ましてや、自分の気分や我儘を押し通す質の宿儺が、あの案内人を怪我させないとは思えない。
元々は民家があったであろう場所は廃墟が雪で押しつぶされている。重量に負けたのだろう。人が住まなければ家は荒れて、衰えていく。ここで生まれ、生活していた人達はもうこの世にいないはずだ。それを少し申し訳なく思いながら、城を目指す。
やはりというべきか、跳ね橋が引き上げられており、普通ならばここから先へ進むのは断念するだろう。だが、恵は鳥を呼び出してその足に捕まり、難なく飛び越えた。足を止めている間にこの魔法を発見できてよかった。
城には誰かがいる気配はない。居住者がリョウメンスクナ一人だからだろうか。雪が音を吸収しているということもあってか、この城は死に絶えた大きな生き物の骨のように見える。
それでも、リョウメンスクナはここにいるはずなのだ。確かめなければならないと足を一歩踏み入れた途端、数メートル先に火柱が立った。
雪が溶け、辺りが蒸気で覆われる。とっさに腕で視界を守り、そうっと火の中心地を見ると、男が立っていた。身長は三メートル、腕は四本あるとシルエットだけで分かる。やはり、あの絵は真実だったらしい。地球上の生き物では、三メートル以上の体長があれども、縦に立つことはあまりない。流石に命の危険を感じたが、蒸気が消えてようやく見えた男の顔を見て、恵は泣きそうになった。
「宿儺、イメチェンしたのか?」
相手は恵が誰なのか分かっていないようだった。急いで顔を覆っていたゴーグルも目出し帽も何もかも剥ぎ取って、宿儺の炎で雪の溶けたぐじょぐじょの地面を駆ける。魔法が使えてよかった。泥に足を取られず、一直線に駆け寄る。
それで漸く相手も恵のことを分かったようだった。跪いて、駆け寄った恵を四つの腕で抱きしめた。
「本当に伏黒恵か?」
宿儺にしては自信のなさそうな、頼りない声だった。どれだけの月日を一人ぼっちで過ごさせてしまったことだろう。しかと宿儺にしがみついて、抱きしめる。
「お前、幻覚見るほど心弱くないだろ」
三メートルの身長に見合うだけの大きさになった顔に口付ける。あまりにも大きな口で、一口で頭をがぶりと食べられてしまいそうだったが、それもいいかもしれないと思うくらい、今は気分が高揚している。
「待て、ここではお前が凍える。中に入れ」
さっと四本の腕が恵を強く抱きしめると、恵が投げ捨てたスリットゴーグルなども回収して居館へ入る。人気は全くない上に、王城と同様、埃っぽくて所々ひび割れがあったり、穴が空いていたりしたが、宿儺はまっすぐ一番広い広間へと移動した。宿儺はそこで生活しているようで、寝床らしきものもあった。元々は大広間として大勢の人間がここでパーティーなどを開いていたのだろうが、今となってはその華やかさもまるでない。
そっと四本の腕を器用に動かして恵を下ろすと、宿儺は指をさっと動かしてどこからか椅子を引き寄せて座らせた。その目の前に宿儺が胡座をかいて恵を上から見下ろす。
「まずはお前が何故ここにいるか説明してもらう」
「そっちこそ、いきなりいなくなりやがって」
双方、顔を近付けて睨み合う。一ヶ月前、宿儺の瞳は光に当たると少し血液の赤色が透けるような不思議な色合いをしていたが、今はアルビノの兎のように真っ赤だ。その真っ赤な瞳の中に不機嫌そうな自分が映っているのがちょっとおかしいようにも、擽ったいようにも思えるし、あるいは、近付かなければ分からなかった、あの不思議な瞳の色はもうないという事実が寂しいような気持ちにもなる。
恵が少し眉を顰めて考えていると、宿儺が溜息を吐いた。
「お前と離れてしまった日のことは覚えている。あの日はお前の家の台所に立ち、朝食を用意していたが、いきなり足元が光り、ここに来ていた」
やはり、宿儺も恵と同じ経緯でこの地に来ていたようだ。あの家の台所に変な装置でも埋められているのだろうか。訳あり物件ではないと思い込んで相場の家賃を支払っていたが、こんなことならもっと安い金額にしてほしかった。
「王と名乗る爺が俺に戦えと言ってな。あの時は随分と反抗したが、召喚の儀式で強制的な服従契約を結ばれていたらしく、この俺が逆らえなかった。まあ、あの時点ではただの人間だったしな」
宿儺が呼ばれた時、この国は他国と大規模な戦争状態になっており、百人力の戦力が欲しかったらしい。それに相応しいのが宿儺だった。確かに、学生時代は喧嘩で負け知らず、勉学でも常に満点、能力だけは誰よりも高い男だから、条件は一致していると言えよう。
しかしながら、長い歴史の中で何度も勇者召喚という仰々しい名で、自国のために奴隷を呼び出していたこの国は、最終的に自らの首を絞める最悪の男を呼び出したのだ。
戦争を勝利に導いた勇者は王の娘との婚姻を拒み、結婚式場で王と花嫁を切り裂き、王城の一部を破壊した後、逃亡した。
宿儺は、召喚時に結ばされた契約の第一目的を達成したため、体の自由がきいて王を殺せたのではないかと推測している。しかしながら、召喚時の契約がまだ生きていたようで、この国から出ることは叶わなかったらしい。
勇者召喚の儀式は、土地と召喚主に束縛させることで宿儺をこの国の勇者たらしめているのではないかと睨んでいるが、まだ確証を得ていない。
また、召喚主である王を殺したためか、肉体に変化が現れ、城を飛び出した直後から徐々に異形へと変容し、北の山へ辿り着いた頃にはこの姿になっていたという。
事の顛末を聞いても、宿儺を召喚したこの国の末路も、宿儺の現状も、自業自得としか言いようがない。宿儺に首輪をつけて飼い慣らそうというのがそもそもの間違いなのだ。
職場でも、暴れ馬どころか、自然災害レベルで恐れられていたと聞いているし、お陰で何をしても誰にも文句を言われなかったという最悪の男だ。
この国で暴れた後の話を聞いていると、益々、この男は恵以外の人間を幸せにできないのだと確信した。宿儺の居場所は恵の隣しかない。
「国が荒れ、この地から人がいなくなれば、土地の力も失われて自由の身になれると思ったんだがな」
「だから人間に襲いかかっていたのか」
「腹いせもある。異形になったこと自体はどうでもいいが、自由がないのは流石に暇だった」
「人を食ったとか聞いたが」
「噛み殺しただけだ。胃に入れていない。食えたものではなかったからな」
「食人趣味に目覚めなくてよかったよ」
椅子から立ち上がり、宿儺にもう一歩近付き、分厚くて乾燥している唇を指で撫でる。
この唇の裏に噛み殺せるだけの鋭い歯があると思うと少し緊張するが、だからといって離れるつもりはない。この制御不能な獣がいなければ、恵だって幸せになれないからだ。
「そういや、お前、俺の名前をあちこちで言い触らしてたのか? 言い伝えにされてたぞ」
「お前の名を呼ばなければやっていられなかっただけだ」
宿儺が恵の頬を指で撫でる。この男はいつでも恥ずかしいくらいに恵を一番に思ってくれている。しかも、遠い異国の地どころか、世界も違う場所で恵の名前を呼んでいたことに胸が熱くなる。
恵はたった一ヶ月でも寂しかったし辛かったが、宿儺はどうだったろう。恵にすら弱みを見せない男だが、再会したあの一瞬だけは宿儺の心の弱いところに触れられた気がした。
恵の頬を撫でる指に顔を擦り寄せる。恵の頭部を簡単に握りつぶせるほど大きな手だ。
「魔法を人に使えば変容するとは聞いていたが、こんなにでかくなるとはな」
「それは俺もあとから聞いたが、殺人を犯した存在をより凶暴な形に変えるとは、どういう理屈だろうな。より罪を犯せと唆しているようなものだろう」
「いや、犯すなよ……」
普通の人間は、今までの姿と異なり醜く人間から逸脱した容貌になることに恐怖を抱き、それ以上罪を重ねることを恐れるのだろうが、宿儺の精神構造は普通の人間とは全く異なっており、より攻撃的になることに疑問は抱けども、恐れ、立ち止まることはない。
そもそも、宿儺は好奇心のまま、物事を究めるのが好きな男だ。魔法での殺し方も、つい興が乗ってしまったのだろう。殺された側にしてみれば堪ったものではないが、諦めてもらうしかない。
宿儺をよくよく観察する。身体の比率に変化はないので身長が伸びたというより、体が約一.六倍に膨れ上がったようにも見える。腕は四本に増え、目も四つに増えていた。眼輪筋の外側にしっかりと存在している目は、通常の目玉とは動きが異なり、ぎょろぎょろと動いているのだが、どの瞳も恵を見つめているので、気恥ずかしい。
そんな恵をもう一撫でしてから、宿儺が恵の顎を捉える。
「伏黒恵、お前も話せ」
「お前を倒すために俺を呼び出したのは、お前の時から三代後の王だ。……俺にとってお前が消えてたのは一ヶ月ほどだったが、お前は百年こっちにいたんだな」
「ああ、随分と長かったようにも、一瞬だったようにも思える」
大きくなった手の甲で恵の頬を優しく撫でる。これは宿儺の手だ。恵を労り、恵を守ろうとしてくれる。守られるほど柔ではないが、だからといって、その愛を否定したくはない。
手をぎゅっと握る。大人と子供というより、飼い主とペットくらいサイズが異なるのではないだろうか。一.六倍の差を考えて、溜息をついた時、くう、と恵の腹が鳴った。
案内人は道中食事を用意してくれたが、腹が膨れる程の食料はなかったし、王都でも最低限の食事をもらっただけだ。この世界に来てからずっとまともな食事を取れていない。
宿儺は笑って恵から離れて、「飯にする。待っていろ」と大広間から出ていった。
暫くして戻ってきた宿儺は、丸焼きのイノシシ肉とスープを持ってきた。宿儺が片手で持ち上げていると随分小さく見えたが、実際には一五〇センチくらいの体長だった。体重も恐らく百キログラムはあるはずなのだが、持っているのが宿儺なので、兎でも掴んでいるのかと思うくらい重そうには見えない。
「火は通しているから安心しろ。塩などは手に入らなかったが、食えんこともない」
「それじゃあ、遠慮なく」
ぼたん鍋やジビエ料理は食したことがあるが、猪肉をそのまま焼いて食べるのは初めてだ。
少々食べにくかったが、それ以上に、宿儺と一緒に食事をしているという現実が、胸に迫って、涙が出てきた。宿儺に比べれば一ヶ月なんて一瞬の出来事だったが、何も分からないままで過ごした一ヶ月は恵の心を抉った。一日一日が長くて、いつまでも抜け出せない暗いトンネルの中で彷徨っているような不安と恐怖に苛まれた。
でも、漸く会えたし、一緒に食事を取ることができた。肉を豪快に歯で噛みちぎる宿儺を見ていると、涙が我慢できなくなって、泣きながら肉に齧り付いた。
「そう泣いてくれるな、この手では拭いきれん」
宿儺の指が恵の目尻を拭う。大きすぎて細かい作業が不得手になっているかもしれない。前はマフラーを編んでくれるくらい手先が器用だったし、飾り切りで皿の上を彩るのも得意だったのに。
「夜の方も困ったものだ。お前の小さな体では受け止めきれるはずもない」
唐突な発言に面食らったが、確かにそれは重大な問題だ。この体に伸し掛かられたら、絶対圧死するだろうが、そこは魔法を上手く使えば何とかなるのではないか。集中力が切れた時に起こりうる悲劇については深く考えたくない。
「そこは……なんとかする。遠慮したりするなよ」
ぺしっと頬を叩いたら、宿儺が目を見開いて、嬉しそうに唇を恵に押し付けてきた。別に親指サイズほど差があるわけでもないのに、巨人の唇はとても大きく感じる。
ディープキスをする時はどうすればいいのか、二人で話し合うべきなのかもしれない。
ただ、どんな問題が生じたとしても、宿儺と一緒にいられるのならば、何も怖くなかった。

5.

数日後、恵は宿儺を伴って王都に帰還した。
寂れ荒れ果てた王都を見て宿儺がフフンと鼻で笑ったのを窘めながら、恵は宿儺の首輪についている鎖をしっかり握って王城に入ろうとした。
しかし、一歩踏み入れようとした途端、バチィッ! と派手な音と光に弾かれてしまった。
「結界だけは生きていたか。しぶといものだ」
「まだお前を呼び出した奴の血族が残っているからだろう」
閃光弾のように長時間視力や聴力を奪うものではなかったのが幸いだ。宿儺が王都を襲わなかったのは、この結界によるものらしい。既に予想していたことだったので、恵は宿儺を自らの影の中に仕舞うと、するりと結界を通り抜けた。
侍従と老騎士が慌ててこちらに向かっているのが、魔法で強化した視界に入ってきた。
彼らはまだ結界が反応したことくらいしか分かっていないはずだ。
結界の概念は詳しくないが、内外を分ける不可視の壁でしかないのであれば、宿儺を出しても平気だろう。恵の足元から、宿儺の四本の腕が現れたのを見て、向こうからやってくる二人が驚いている。
「相手にするな。本命は一人だけだ」
「お前の言う通りにしよう」
影から完全に姿を現した宿儺の腕に捕まり、ひとっ飛びで王城の居館の一番高いところへ移動する。そこには震えて失禁している王がいた。
「フシグロ゠メグミ、何故、魔王を連れておる⁉ 余はその化け物を倒せと命じたのだぞ!」
「うるせえ、これから聞くことに答えろ。余計な口は利くな」
老騎士から譲られていた剣を喉元に突きつけると、王はがくがく震えてそれ以上何も囀らなくなった。
「勇者召喚の儀式は、『条件に合致した人間を強制的に呼び出し、服従させる』儀式で間違いないな」
「な、何が知りたいのだ――余は何も知らぬ、知らんぞ!」
「お前、知っていただろ。リョウメンスクナが、かつて自分の祖父が呼び出した勇者だと」
「知らぬ知らぬ! 何も! 余の所為ではない! 余は何もしておらん!」
「確かにお前に罪はなかったとも。俺を呼び出すまでは」
剣先で顎を持ち上げると汚い顔が恵の視界に入った。涙と鼻水で汚れ、絶望と怒りで顔が歪んでいる。
「救いがたい連中だ」
ばたばたと侍従と老騎士が部屋に入ってきたが、状況を一瞥して、抜き差しならない状況だと理解したらしい。老騎士が恵の名前を呼んでいる。
「この中で、リョウメンスクナを人間の姿に戻す方法を知っている奴はいるか?」
顎から喉仏まで、すうっと剣先を移動させる。唾を飲み込むことすらできないでいる王があまりにも哀れで滑稽で、だからといって、気分が良くなることもない。
後ろで宿儺が窓辺でゲラゲラ笑っている以外、とても静かだ。答えはここにないらしい。
「今まで呼び出した『勇者』達は役目を果たした後、元の場所に返したのか?」
「いや、そのような例は……ない」
喉仏から少しだけ血が垂れている王に代わって、侍従が答えた。
「一方的に呼び出すだけか。お前らの都合しか考えていない、不平等で不条理な魔法だな」
「勇者として呼び出されるのは名誉あることだ! お前達はその意味を理解しておらんからそのように――ヒィッ‼」
「余計な口は利くなっつったろうが?」
首筋に赤い線が走ったことで王は到頭気絶した。血を見て老騎士が剣の柄を握っているが、恵を止めようとしたところで、後ろに控えている宿儺が邪魔をするのは分かっているだろう。
「どうか、どうか……その方を殺さないで……何も知らないのです、本当に、何も」
「じゃあお前が答えられるのか」
侍従は頷いて、頭を垂れた。

大昔からこの国は勇者召喚の儀式によって国を守ってきた。呼び出された歴代の勇者達はそのまま国に居付くことが多く、中には王族と結婚して、王になった者もいたとか。
宿儺のことも、当初は反抗的な態度をとっていたものの、戦時中は王の命令に従っていたので、里が恋しいだけだろうと誰もが軽く思っていた。実際には、服従契約の所為で仕方なく仕えていただけだったから、宿儺は最も王が油断している時を狙って殺したのだ。
誰もがこの野蛮で恐ろしい元勇者を元の場所に戻したかった。王家に使える魔法使い達は必死に方法を探ったが、勇者召喚の儀式は一方的に呼び出すだけで、どのように手順を変えても宿儺を元の世界に突き返すことができなかったらしい。
その間、勇者召喚の儀式に使われていた捧げ物は、逆の行為をするために消費されてしまった。捧げ物を用意するにも時間がかかる。特別な儀式のための供物なのだ、そうやすやすと調達できるものではない。だから、宿儺を倒すための勇者を呼び出すこともできなくなってしまった。
だから、元の世界に恵達が戻る方法は、この国にはない。
それさえ分かれば良かったので、恵は王の首を刎ね、宿儺の爪が侍従の体を貫いた。
「フシグロ゠メグミ――! 何ということを!」
「こいつらが生きていると、俺も宿儺もこの国に縛られたままになるんです。貴方には悪いと思っていますが、俺達も手段を選んでいられない」
血に塗れた剣を老騎士に向けることなく端切れで拭い、鞘に納める。王と侍従を殺した途端、不思議な浮遊感とも解放感とも言える感覚に陥った。数秒もすれば戻ったが、あれこそが服従契約の解除だったのだろう。王を斬れたのは恵の想定通り、宿儺の魔力を浴びて、宿儺の所有物になったからだ。宿儺の魔力に比べれば、どんな人間も劣るに決まっている。
「やはり、あの侍従が最後の要だったらしい。民が勇者を呼び出し、王が魔力を勇者に与えることで服従させ、土地に縛り付けるんだろう」
宿儺が老騎士を見やるが、恵はそれを手で遮った。
「あの人はこの国に住んでいるが、この国の民として生まれたわけじゃない。対象外だ」
それよりも侍従の一族を殺さなければならない。彼らは王家の共犯者だ。一旦、この国の国境を出るテストはするつもりだが、それで出られなければ撫で斬りにしなければならない。
宿儺が王を殺し、地を荒らしても尚、この国から出られなかったのは、もう一つの要因があるのではないかと二人は推測していた。
最も怪しいのが侍従だった。一族揃って残る理由をずっと考えていたのだが、恐らく、彼らの一族は、リョウメンスクナをこの国から出さないために残らざるを得なかったのだろう。
リョウメンスクナという怪物を作り上げたのは王の責任だが、侍従として彼らなりに責任を取ろうとしたのかもしれない。その結果、呼び出した元勇者二人に殺されることになろうとは、哀れなことだ。
宿儺の腕に捕まり、恵は老騎士を見た。
旅立つ時は息子のように暖かな目で見てくれていた彼はもういない。正しく化け物を見る目で恵を恐れている彼を責めることはできない。
「恩を仇で返して申し訳ありませんでした。さようなら」
宿儺が窓辺から飛び出す。王が死んだ城はどんどんと小さくなり、やがて見えなくなった。

魔法で殺すなと言われたせいで、何人もの返り血を浴びた恵は、川で全身の汚れを洗い流した。恵に制限を設けた宿儺もまた同様だった。
「何処に行きたい?」
恵が乾かした服を着ながら尋ねる。宿儺は器用にも火の魔法で服を乾かしてくれた。
「とにかく南だ。雪は見飽きた」
「南か……海にでも行くか? 魚が食べたい」
「マグロでも釣れれば良いんだが」
「マグロじゃなくても、でかい魚はいるんじゃないか? 調味料とかも揃えねえと」
今の宿儺に見合う調理器具は作れるだろうか、と真剣に考えるが、結論は出ない。この世界の技術の限界を知らないからだ。見聞を広めるべきだろう。
着替えが終わり、宿儺を見上げようとしたら太陽が眩しかった。前も少しだけ見上げたがここまでじゃなかったな、と目をつぶって回顧していると、宿儺がそっと抱き上げた。
「道中は俺を馬とでも思え。この方がいい」
近づいた顔に口付けて、恵は「海まで走ってみろよ」と軽口を叩いたら、宿儺がニヤッと笑った。

翌日には二つほど国境を超えられるほどのスピードで移動され、恵は途中で気を失った。
だが、そんなことすら楽しくて、スレイプニルほどの速さに落としてくれた宿儺と二人でやりたいことを言い合う。
この世界をまだ把握しきれていないが、宿儺と二人ならなんとでもなるだろう。
どんなところであっても、宿儺と生きていけるのなら、そこが恵の居場所だ。

魔王との初夜

異世界という謎の状況下で、宿儺と恵は再会を喜びながら、宿儺が占拠している北の山の城で食事をした。かなり大雑把な料理だったが、宿儺が作ってくれたものと思うとそれだけで涙が出たが、食べ終わると、次に大きくなった恋人の肉体に興味が出た。
以前からまるで巨人のようだと恐れられていた体が、正真正銘の巨人になった。手の大きさだけでも随分と違うが、それ以外にも足で踏み潰されたらひとたまりもないだろう。
宿儺の胡座の上に跨り、遠慮もなしにペタペタとその肌に触れる。以前はボディケアが施された滑らかな肌をしていたのに、今は乾燥してカサつき固くなっている。筋肉は更に増していて、上腕二頭筋だけでも一つの山のようだったし、腹直筋の割れ方は以前と比べ物にならなかった。腕は二本も追加され、四つの目は全て恵を注視している。宿儺の肉体は人間離れしてしまったが、変化したのは目に見える範囲以外にもあるはずだ。
元はシーツであっただろう大きな布を巻いた腰の下には今の体格に見合う大きさのペニスがあるだろう。人間だった時でさえ、大きく太く、恵の体で受け入れるのは大変だったのに、それ以上の大きさとなると想像できない。馬ほどの大きさと長さなのだろうか。馬と性交しようとして死んだ男を馬鹿馬鹿しいと思ったのに、その男と今の恵は大差ない。
尻が裂ける覚悟を再びしなければならないとは、人生何が起きるか分からないものである。
そっと腰布の上から触ると、かなり大きいことが分かった。というか、触った感覚だけだが、これは下着をつけていないのではなかろうか。今の宿儺のサイズに合わせた服など作れないから仕方がないのだろうが、ちょっとドキドキしてしまう。
宿儺を見上げると、少々悩ましげであった。
「お前と再びまぐあう日が来るとは思っていなかったからな、不衛生な状態だ。直に触るな」
「そんな」
別にそれだけの関係だったわけではないが、二人にとってセックスは大きな意味のあるものだ。初めてセックスをした時、宿儺がどういう人間であるかという認識を改めた。勿論、宿儺が普通じゃないことも再認識したのだが、恵への感情は生半可なものではないこと、恵を蔑ろにするはずがないであろうことを見せつけられて、恵は宿儺をより一層好きになった。
宿儺とのセックスは、いつも無視していた暗い感情を少しずつ癒やしてくれるものだ。決して宿儺にそのつもりはないだろう。だが、性欲を露わにし、本能に身を任せても尚、宿儺は恵を軽んじることも、無視することもない。二人で行為をしていることに意味があると実感させてくれる。それが何より嬉しくて、恵は宿儺とのセックスが好きだった。
それが今、宿儺本人に拒絶されてしまったのがかなりショックだった。今まで一度だって誘いを断られたことがなかったのに。
しかし、恵も、この世界に来てから風呂に一度も入っていない。気候のお陰か、汗がベタついて不快だったことはなかったし、城での待機中は気が張っており、一日一日をやり過ごすので精一杯だったし、服に汚れ除けの魔法がかかっているので、服装の汚れなども気にする必要がなかった(雪で濡れたはずの服すら、よく見たら濡れていなかった)から、風呂に入っていないことを忘れていた。
「浴室はあるのか、この城」
「ないわけではないが、一度も手入れしたことはないからな。使えたものではないだろう」
「普段どうしてんだ」
「不快になれば、近くの湖へ行くが、それだけで清潔になるはずもない」
要するに水浴びしかしていないということだ。現代人の感覚で言えば、それで清潔とは言えない。
「石鹸とかはあるのか、この世界」
「さて。覚えていないな。あったかもしれんが、ここにはない」
石鹸の歴史は古く、人類初の石鹸は紀元前三千年頃にできたから、この世界にだって石鹸が存在する可能性は極めて高い。あるいは、石鹸の代わりになる魔法があるかもしれない。
何かしら身を清める方法があってくれ、と恵は切に願ってしまった。
宿儺は今まで、どうせ一人だからとやけっぱちになって、全く身嗜みを整える気力が湧かなかったらしい。恣にする宿儺ですら、この世界に呼ばれたことはストレスだったようだ。
現状、二人はセックスするには不衛生だったが、恵は一刻も早く宿儺とセックスをして、二人だけの時間を楽しみたかった。探し求めていた相手を前にして、何もしないでいられるだろうか。愛すべき相手がいるのに、ただ手を繋ぐだけで満足しろと言われても、今の恵には耐えられないことだった。
しかしながら、この状態でセックスをして病気などになった場合、治療法がこの世界にあるのか、あったとしてその治療を受けられるのか分からない以上、冒険はできない。
折角会えたのに、馬鹿なことをして早死したくはない。
「そも、ローションがないだろうが」
セックスを行うにあたって、いくつもある問題の一つである。ローションがなければ滑らない。男同士で使用する臓器が内性器ではないのだから、仕方がない。
以前はそんなことを気にすることがないくらい、宿儺が頻繁に買い足していて、在庫を切らすことすらなかったから、全然頭になかった。セックスするにあたって、宿儺の家ならばどこにでも、恵の家ならばベッド横に絶対に置いてあった物が、今手元にないのが、かなりショックである。セックスをしたいだけなのに、そこに至るまでの障害が多すぎる。
いや、そもそも出すべき所に挿れているのがおかしいのかもしれないが、ならば何故、挿れたら気持ちよくなるような体の作りになっているのだろう。肛門の広がる大きさと男性器の直径が違っていたら、誰も挿れず、男同士で挿入することもなかったかもしれないのに、と腹立たしさで思考が脱線しそうになったが、恵は気を取り直して少し考えて、布の上から宿儺の股間に触れた。
「洗濯はできるよな」
服に掛けられている汚れ除けの魔法は、軽い汚れなどは弾くが、泥などを大量にかぶった場合は洗濯する他ないと聞いている。恵は城で剣の稽古を受けている間も服を汚すことはなかったが、老騎士がそんなことを言っていた筈だ。即ち、洗濯が全く不要なのではない。
だから、宿儺が使っていなかっただけで、この城にも洗濯用具くらいはあるだろう。
「雪解け水を使えば確かに洗濯はできるな」
恵の考えていることが分かったのが、宿儺はニヤニヤし始めた。雪解け水にも細菌が入っているかもしれないから飲水には向かないだろうが、洗濯くらいなら出来るだろう。
「直接触れなければいいんだろ」
今、布の下にある宿儺のペニスの太さも長さも大幅に変化している。太さは八センチほど、三十センチほどだ。普通の人間だった時から平均より長くてすぐに奥の奥まで届いて泣かされていたのに、更に長くなるとは。普通の人間はペニスの長さが十センチも伸びることはない。宿儺の状況が特殊なのだと分かっていても、恵はこれが自分の体内に入ることを考えて、頭を抱えたくなった。記憶にある限り、直腸の長さは十五センチから二十センチであり、直腸を遡ればS状結腸がある。今までだって直腸S状部で酷い目に合わされてきたが、更にその奥ともなれば、流石にいろいろな覚悟が必要だ。今日は挿入できないから余り考える必要はなさそうだが、今後のためにきちんとあれこれ調べないと腸を裂くことになりかねないし、洗浄だってきっちりしなければ大惨事になる。魔法なんてものがあるのだから、治癒に関しても現代日本とは違う何かがあるかもしれない。雑事を終わらせたら、街に出て調べる必要がある。
真剣に考えながら、宿儺の竿を撫でていると、宿儺が溜息をついた。
「恵、悪いがそれ一本だけではない」
「は?」
言葉の意味が分からなくて、思わず聞き返した。宿儺は見たこともないような表情で、「剥いでみろ」とジェスチャーした。
布を捲ると、恵はマジかよと両手で顔を覆った。ただでさえ、逞しくて凶暴だった宿儺のペニスが何故か二本に増えている。
「なんで増えてんだよ! 一本でいいだろ⁉」
「知るか。勝手に生えたものを千切れと?」
「だって……お前、どうやって挿れるんだよ、勃起してなくても太いのに」
宿儺はぱちくりと瞬かせると、ゲラゲラ笑い始めた。
「二本とも咥えてくれるのか? 随分と積極的だな」
瞬間、恵は顔を真っ赤にして俯いた。宿儺のペニスが二本に増えたとしても、どっちも挿れるものだと認識していた自分が恥ずかしい。宿儺は二本とも捩じ込むつもりはなかったのかもしれない。恵の方がよっぽど好き者である。確かに、会えば必ずセックスをしていたし、一回で終わることはほとんどなく、更に恵から痴態を晒したこともある。十分好き者だった。
「まずは一本、それからだな」
「うう……そ、そうだな……」
その一本を挿れるためにも石鹸や衛生的になるための設備あるいは道具を手に入れなければならない。今後の計画のメインはこれだ。生活に必要なものは意識せずとも、それなりに手に入れられるだろうが、生きていくのに必須でないものはどうしても後回しになる。だが、恵の精神的には死活問題である。絶対に調べ尽くして、問題を可能な限り排除してみせる。
頬を微妙に染めたまま、恵は両手それぞれに宿儺の二本のペニスの亀頭を布越しに掴んで揉んだ。亀頭も大きくなっている。人間のときとは違い、亀頭と陰茎の太さにあまり差がない。これほどのものがちゃんと入るのか、この時点で心配になってくる。片手では掴みきれない八センチという太さが恐ろしい。
だが、両手に宿儺のペニスがあるという不思議な状態に段々興奮してきた。宿儺もニヤニヤと恵の様子を見て笑っている。
「早くお前の口にも尻にも咥えさせたいものだ、どんな痴態を見せてくれるやら」
ケヒッと上機嫌に笑うものだから、恵もドキドキしてしまう。恐らく、今までのセックスに比べて酷いことになるだろう。初めてセックスをした時から、一ヶ月も間を空けたことがなかったから、まず気持ちがいっぱいいっぱいになるのは確かだ。それに、恵も少し期待してしまっている。最中は触られているところ全てが気持ちよくて堪らないのに、四本の腕と二本のペニスで愛されたら、この体が保つだろうか。そんな期待が募って、腹の底から疼いているのに、今日は外性器を布越しに触ることしかできないのだ。
仕方がないから、指先で宿儺の尿道口を刺激してやる。爪を立てて、ぐりぐりと苛めれば、宿儺が笑顔を引っ込めた。恵と違って情けない姿を見せることはないが、宿儺のペニスがどんどん太く固くなっていくことで、宿儺の興奮も分かった。宿儺は以前から射精する量が多かったが、これだと更に増えるのではないだろうか。想像するだけで恵の表情が崩れていく。
恵が宿儺のペニスを扱いていると、宿儺も恵の股間に手を伸ばし、指先で恵のペニスを摘んだ。
「あっ! ヒッ」
はしたない声が漏れる。宿儺の手だと思うと腰が勝手に動きそうになる。
「俺のをイジっているだけで、こんなに興奮したのか」
既にテントを張っているズボンは、汚れよけの魔法の所為であまり目立っていないが、染みができている。
「ぅンッ! あ、ぐっ、や、そんな…、やめ、!」
「一ヶ月も慰めなかったのか?」
「だって、お前じゃなきゃ意味ねえだろ…ひぐ! あっ、! つよ、つよいぃ……!」
「俺が責任を持って慰めてやる」
ぐりぐりと恵のペニスをズボン越しに弄られる。直に触られるのとは違い、布の感触が妙な性感を呼び起こして気持ちがいい。擦れる感覚の痛みと刺激の狭間で苦しんでいるのに加えて、不埒な宿儺の手の動きが恵の頭をだめにしていく。
「一度イけ。まずはお前のだらしない顔が見たい」
「ひぅっ! あ、ひッ、あ、イくっ! あ、ああァ!」
下着の中で思い切り射精してしまった。自慰では感じられない充足感は宿儺に苛められなければ得られない。自己では決してコントロールできないもどかしさと、支配されていることに対する微かな屈辱、それ以上に宿儺に支配されている幸福感。どれも、一人では決して味わえないし、他の誰からも得られない感覚だ。宿儺でなければならない。
息も絶え絶えに涙を流し、唾液を飲み込みながら快感に耽る恵を宿儺が見ている。
恥ずかしくて、嬉しくて、腹が疼く。挿れてほしい。対面であるなら、座位でもなんでも構わない。宿儺を全てで感じたい。でも今はだめだ。
だから、せめて、キスをしたくて手を伸ばして宿儺の頭を引き寄せる。
「百年ぶりのお前は実にいい。夢を見ているのではないかとさえ思う」
恵にとっての一ヶ月は、宿儺にとっての百年だ。その事実に胸が一杯になって、噛み付くようにキスをする。宿儺も恵の激しさに応えてくれた。舌先を絡ませ、相手の口を飢えた獣のように貪る。
次第に宿儺がのめり込んで、恵に覆いかぶさってくるから、恵はもう宿儺を受け入れるだけで必死になってしまった。分厚く長くなった舌は恵の小さな口内をすぐに蹂躙してしまう。唇の裏を舐められて背中がぞくぞくする。上顎、舌の付け根まで宿儺の舌先で可愛がられたら、恵は先程出したばかりなのに、もう股間に血が集まっているのを感じた。
だらだらと口の端から宿儺のものか、恵のものか分からない唾液が垂れて顎が濡れるが、拭っている暇なんてない。恵も宿儺の勢いに負けないように宿儺の舌に吸い付く。フェラをするように宿儺の舌に絡みつけば、宿儺のペニスが完全に勃った。
宿儺は片方のペニスを恵の前に持ってきて、布越しに両手で握らせた。もう一本は恵の腰の真下だ。どちらも布越しなのに、宿儺の生命力の強さを感じさせるくらいに勃起しているから、これからのことを期待してしまって胸が苦しくなる。
「恵、腰を動かせ」
キスをしながら、宿儺の一対の腕が恵の腰を掴んでペニスを刺激するように前後に動かし始める。あまりに力強く恵の股間で自慰をするものだから、その激しさにヒィヒィ言いながらも、手の中にある宿儺のもう一本のペニスをしっかり扱く。大きくて太くて立派なペニスが恵の与える刺激で育っていくことで達成感を覚える。出させたい。射精させて、気持ちよくなってもらいたい。宿儺の精液を見たい。早く、早く、早く!
それに加え、布越しに下半身が感じる宿儺の逞しいペニスに、恵のアヌスが疼いてしまう。抱かれたい。腹の中に挿れてもらったら、どうなってしまうだろうか。胃腸穿孔の恐れもあるが、それでも挿れてほしい。繋がって幸せを実感したい。挿れられているという事実が、一番気持ちいいのだ。宿儺が恵を求めて、その薄い唇も、太い腕も、立派なペニスも、逞しい脚も絡めて、恵を愛してくれることが幸せなのだ。
キスと宿儺の自慰に使われている事実に、じわじわと恵も勃起し始めて、揺すられる度に快感を拾ってしまう。
「ひゃっ、あっ、あン、あっ、や、すく、すくな!」
懇願するように啼けば、恵の舌を宿儺が甘噛した。
「挿れてやりたいのは山々だが今日は我慢しろ」
頭では分かっているのだ、衛生面と医療面の問題をクリアしなければ、感染症などで恵が倒れるかもしれない。ローションがなければ恵の内臓に傷がつく。その上、宿儺のペニスが恵の体内に入れるには大きくなりすぎた。全ての問題について解決手段を手に入れない限り、宿儺は恵を抱いてくれないだろう。分かっているが、今、この瞬間にほしいのだ。
涙目になりながら、宿儺に顔を寄せてせがむ。
「さわ、さわって、いれなくていいから……っ」
宿儺の亀頭をぎゅっと握りながら強請ると、宿儺が堪えるように呻いた。その顔が色っぽいことが嬉しくて、くぱくぱと反応している尻を擦り付ける。
「飛ぶなよ」
宿儺がズボン越しに恵のアヌスに指を突き立てる。布に阻まれて深く入り込むことはないが、アヌスに宿儺からの刺激を与えてもらったというだけで、「ッ! あああ!」と悲鳴のような嬌声を上げて達してしまった。下着がぐじょぐじょに精液で汚れているから、脱いでしまいたい。脱いだら直に触ってもらえないだろうか。無意識のうちにズボンに手を掛けていたが、宿儺がそれを阻んだ。
「脱ぐな、我慢がきかなくなる」
「でも……っ!」
ぐずる恵の顔を宿儺がぺろりと舐める。まるで動物の親が子を毛繕いするようで、恥ずかしくて情けないのに、それにすら感じてしまって、体がビクビクと震えてしまう。
久しぶりの宿儺の匂い、確かな感触、強すぎる刺激に体がバカになっている。どこを触られても感じてしまう。今夜はずっとイきっぱなしになるのではないか。挿入もされていないのに、今からそんな調子では、この先どうなってしまうのだろう。
「俺とて、お前を抱き潰したい。この――」と宿儺が爪で恵のアヌスを引っ掻く。イったばかりの体には過剰な刺激に、ひゃッと反応すれば笑われた。
「――はしたないお前の穴をぐちゃぐちゃに犯してやりたいとも。俺の精液に塗れた開きっぱなしの尻穴はさぞ見物だろう」
今まで散々ヤった後の、ぐぱぁと閉じることを忘れ宿儺の精液を垂らしているアヌスを見られてきた。その度に宿儺が満足そうにするので、恵も早く見せてやりたかった。
「ぶっかけるのも……なしなのか?」
腹の中に挿れることができなくても、今、恵の手の中で膨れるものや、あるいは腰の下にあるものから腹から胸まで精液をかけることは許してもらえるのではないか。粘膜ではないのだから、と目で縋る。
「そんなに俺で塗れたいか」
「……だめなら、いい」
目を逸らして、宿儺の雁首のあたりを刺激してやる。鈴口を指で執拗にいじってやったら、宿儺の腹筋が堪えるように震えた。
「準備が整い次第、泣き叫ぶほど犯してやる。それまで待て」
恵の腰を掴んでいないもう一対の両手が恵の頬を掴み、顔を上げさせた。宿儺も恵と同じように繋がることを求めている。燃えるような瞳に抑えきれない欲望を湛えている。
不満そうな恵を宥めるように深くて優しいキスをされた。以前は、宿儺の方から誘うことが多く、恵は渋々という体で乗っていたのに、今日はやたらと宥められている。
分かっている。こちらに来る前は、宿儺が全部調べ尽くして、様々な準備もした上で性生活を楽しんでいた。必要な道具の在庫管理もしっかりしてくれていたし、病院での検査もしていた。
この世界では道具だけでなく検査施設および設備があるかどうかも分からない。医療レベルですら把握できていないのだから、体に負担を強いる真似はできない。
その上、宿儺のペニスが二本に増えたし、そのどちらも長大だ。恵もすぐには受け入れられないし、医療・衛生の問題が解決しなければならないことも理解している。だが、恵は早く宿儺とセックスしたいのだ。
「その日まで、ずっとこんな感じかよ」
「お前が死ぬよりずっといい」
そう言われたら、恵は何も言い返せない。宿儺は人間を逸脱してしまったので、恐らく、多少の病気は跳ね返せるだろう。その上、百年生きていたのだ、もう百年生きる可能性だってある。
恵はただの人間だ。感染したり、怪我がもとで死んでしまったりする可能性が高い。一人で百年過ごした宿儺を置いて先に死ぬくらいなら、我慢しなくてはならない。その時後悔したところで、手遅れになってほしくない。だが、宿儺の孤独を憐れみながらも、宿儺のペニスに尻を押し付けてへこへこと腰を踊らせる自分が抑えられない。だって、目の前に宿儺がいるのに。いつもだったら、もう宿儺が恵の体を好きなように弄んでいるはずなのだ。
うう、と顔を顰めて呻く恵を、宿儺がニヤニヤ笑いながら眺めていた。
「それに、たまにはこういう趣向も面白いだろう」
「バカ」
もう一度キスをしながら、腰をグラインドさせる。恵の腰の下にあるペニスがあまりにも逞しくて、挿れて欲しくて堪らない。手の中にあるもう一本のペニスの亀頭も片手で握ってやりながら、鈴口も責める。
宿儺が恵の与える刺激を感じている声を聞きながら、恵は更に宿儺を追い詰めようとする。抱いてくれないのならば、せめて艶めかしい顔を見せてほしい。
恵の与える刺激に合わせてくぐもった声が聞こえるのは、最高の気分だった。もっとその声を聴かせてほしい。その声で恵の耳を犯してほしい。
「すくな……イけって、どんだけ出るか見せてくれ」
懇願するように、はしたなくくぱくぱと開く尻を押し付け、手にあるペニスを一際強く刺激してやると、ぶるっと震えて宿儺が射精した。
布があるために、手には直接掛かっていないが、薄くない布がかなり濡れて染みになっている。恵の腰の下もじんわり濡れて、随分卑猥だった。
布を取り払い、どんんなものか見てみると、むわっと精液独特の濃いにおいがした。いつもの倍以上出された精液が、持ち上げた布からネタァと垂れていた。かなり粘り気があって黄色っぽいし、においがきつい。自慰すら暫くしていなかったようだ。よもや、百年ぶりの射精ではないよな、と少し心配になった。
ふぅ、と宿儺が息を吐くだけでも、随分と色っぽくて、腹が疼く。
「久しぶりのお前はなかなかどうして刺激的だった」
恵の額にキスをして、宿儺は汚れた腰布でさっとペニスを軽く拭うと、別の布を持ってきて、腰に巻き付けた。
それとは別に、恵用にブランケットを持ってきてくれた。ベッドはこの部屋にはないし、城の居室は手入れがされていないから、眠るのには不適切だ。床に眠る他ないのだが、仰向けになった宿儺が、恵が床に触れないように自らの身体に乗せてくれた。
「今夜はもう寝ろ、こんなに我慢を強いられては頭がイカれる」
「……これからのこと、明日になったら話し合おう」
「そうだな」
恵の立てた仮説を宿儺と共有し、明日からのことを考え、話し合わなければならない。
宿儺の体のこと、元の世界のことだけでなく、これからの生活のことも考える必要がある。
それに、石鹸とかローションとかコンドームとか、医療についての情報収集も行わなければならない。
しなければならないことはたくさんある。
ただ、どんな所で、どんな姿になったって、二人が一緒にいることが何よりも大切で、優先すべき事柄だ。
その為なら、どんなことだってやり遂げてみせるし、どんな困難も乗り越えてみせる。
ただ、愛すべき人との日々を守りたい。
恵は宿儺に口付けて、しっかりと手を握って目を閉じた。

南の夜の夢

1.

崩壊して無人になった国を離れて暫くした後、王都に置いてきたはずのスレイプニルと共に恵と宿儺は大きな街を目指していた。
今の二人にはありとあらゆる情報が必要だった。一番の目的は宿儺を人間の姿に戻すことである。どこで生きていくことになるか分からないが、人間の姿は利便性が高い。生活するための道具の殆どが今の宿儺のサイズに見合っていないので何かと不便だし、今の姿を警戒されるだけならまだしも、周囲の不安を煽り、追われるようになるのも望ましくない。
また、元の世界に戻る方法も探したかった。置いてきてしまった家族や友人達は恵がいなくなっていることにまだ気付いていないだろう。宿儺と恵の時間経過の差はおよそ千二百倍も違う。こちらで約三年過ごしたら、ようやく元の世界の一日に相当するのだ。
あの国を出た時点で二週間は経過しているが、あちらにしてみれば、まだ十七分ほどしか経過していない。可能であれば気付かれない内に元の世界に戻りたいが、さて、どうなることだろうか。あの国しか勇者召喚をしていないということもないだろうが、あの様子を見ているとメジャーな魔法でないことは知れた。帰る方法を探すのは容易でないだろう。
次に、この世界で生きていく場合、常識を知らないことが問題だった。恵達を召喚した国はまともに機能しておらず、最新の情報を手に入れられないのは明らかだった。その為には国境を超えてあちこちを訪ねて見聞を広めなければならない。王族が所有していたスレイプニルを連れているのがリスクになるのかすら、今の恵達では判断できない。
万が一、スレイプニルを連れて歩くのが一般的でなかったら、この馬を手放さなければならないのかと思うと今から胸が痛む。恵のうっかりで所有物になってしまったスレイプニルは随分と恵に懐いてくれ、鼻面を擦り付けてくるのが可愛かった。スレイプニルは、恵の所有者である宿儺にも礼儀正しく、恭しく宿儺にお辞儀をする姿は美しかった。可能な限り、このスレイプニルは連れていきたいと考えている。
また、医療に関する情報も同じくらい必要だった。宿儺は今の姿になってからというもの、どんな物を殴っても蹴っても怪我をした覚えが一切ないし、刃物で切れた記憶もないという。人間を超越した外見だったが、その皮膚の防護機能や丈夫さも同時に飛躍的に向上したのだろう。もともと掠り傷すらつけない男だったから、今更不思議に思わない。
だが、恵は怪我をすれば治療が必要だ。鎧のように魔力を纏うことができるのは分かっているが、だからといって油断できない。あるいはこの世界特有の感染症などに掛かった場合、治療方法が分からねば命を落とす危険性もある。日本は予防接種があったし、医療機関も発達していたから健やかに生活できていたが、この世界ではどうなっているのか分からない。
高度な医療を受けるのに身分が必要ならば、恵は自力で医療を学ぶ必要がある。
そういった理由で、恵達は他国に向かつて歩いているのだが、人里に必要以上に近づきすぎずに、まずは荒くれ者達を締め上げて、軍資金や情報を得ることにした。
宿儺とスレイプニルを隠した状態でいれば、細身の男が一人で不用心に歩いているようにしか見えないためか、それなりの数の犯罪者が釣れた。多くが大したことのない連中だったが、様々な地域から集まっていたようなので、各地の様子を聞き出し、逃してやった。
避けるべきは戦争状態にある地域だ。宿儺とスレイプニルがついているので、戦場を駆け抜けることは造作もないだろうが、必要もないのに危険な場所へ近づきたくはない。
宿儺についての情報も少しばかり得ている。恵達を召喚した国は魔王によって滅ぼされた国として近隣に知られ、国境近くには誰も近寄らないくらい恐れられていたらしい。何故か魔王が国境を超えて出てこないので、普段から怖がっていたわけではないみたいだったが、それでもこの容貌を前にすれば魂が抜けるほどの恐怖を覚えていた。恵のことも魔王の手下だと罵って虚勢を張っていたが、宿儺がフンと鼻を鳴らせば失禁して気を失った。やはり、宿儺が姿を見せると問題が生じやすい。恵は渋々宿儺を影の中に隠すしかなかった。
また、スレイプニルの価値も、何でも売り捌いて生活している連中の意見はあまり参考にならなかった。裏の流通ではなく、表の流通での価格や一般的な扱いを知りたかったのだが、多くがまともなルートでの取引をしたことがないらしかった。
治安が良い世界と言えないことだけは分かったし、スレイプニルを見れば奪おうとする連中がいるのも分かったので、スレイプニルも中に仕舞うしかなかった。
とにもかくにも、情報が集まりやすそうな大きな街や港町の場所の中から、近場の街へ向かうことにした。港町ならば、様々な場所から人が集まるため、多少非常識なことをしても目立ちにくいだろう。その間、宿儺とスレイプニルは恵の影の中に入ってもらわねばならないが、どちらも恵の影の中を気に入っている様子だったので、問題はない。
襲ってきた連中から奪った最新の地図を頼りに南へ向かって進む。
道中の休憩では様々なことを試した。再会した翌日に話し合い、試したところ、恵は宿儺の魔力を全身にたっぷりと浴びて宿儺の所有物になった。その影響か、影の中に潜んでいてもテレパシーのようなもので宿儺と会話ができた。
魔法の使用できる範囲についても、もっと調べる必要がある。今現在、宿儺も恵も肉体に作用するような魔法を使えないことが判明している。宿儺の炎の魔法も、恵の影の魔法も、イメージすれば望むような結果を得られるのだが、姿を変えるイメージを何度しても、肉体に変化をもたらすことはなかった。即ち、魔法とは事象を発生させられるが、元あるものの姿を偽るようなことはできないのではないかというのが現時点での仮説である。実際、目の前にある物に対し、炎で燃やしたり、魔法の斬撃で切り裂くことはできても、その物の色を変えたりすることはできない。映画などで見るような幻想的な魔法は使えないらしい。
あるいは、恵が着火程度の魔法は使えても、宿儺のような大きな炎の魔法が使えないように、宿儺が影絵で生き物を作り出すことができないように、変身魔法を宿儺と恵が使えないだけで、この世のどこかには使える人間がいるかもしれない。また、このことから医療に関する魔法は一部の人間しか使えない可能性も高まった。
この世界に来て恵の気分を上げたのは宿儺との再会とスレイプニルとの出会いだけだ。何もかも思い通りに行くはずがないと頭で理解していても、どうしようもない現実があると実感するのは気が滅入る。
道中での夜は、宿儺に抱きしめられて眠るが、もっと触れ合いたい気持ちが毎夜恵の中で暴走していた。だが、安心して過ごせる拠点もないままに無防備な状態になる訳にはいかない。そのもどかしさも恵を気落ちさせる原因の一つだった。
恋人と二人だけしか知らない時間を過ごしたい欲求は常にある。性的欲求を満たしたいというより、性的行為をしている間にしか見られない宿儺の様子を見たかった。夢中になって恵を求めている宿儺がどれほど魅力的か。恵に腰を突き上げて、激しい情熱を注ぎ込む宿儺に何度惚れ直したか。全てを終えた後の充足感に満ちた宿儺の顔を撫で回して、キスをしてやりたかった。
宿儺はそんな恵を励ますこともなければ、否定することもなかった。恵がいればそれでいいという心境らしく、少々過保護になりながらも、基本的に恵のやることなすことを見守っているだけだった。恐らく、体が大きくなりすぎて、普通サイズの人間を小さく感じること、長い孤独を経ての再会故に懐かしさを感じていることが原因なのだろう。性欲がないわけではないのは遣り取りの中から分かっていたが、今は満たそうとしていない。
恵が宿儺と同じような大きさになれば、あるいは抱いてくれるのだろうかとさえ悩んでいるのに、宿儺は恵が魔法で他者を傷つけることだけは許さなかった。使用するのは王を殺した剣とその他奪った武器だけで、魔法で呼び出した動物達で攻撃してはならないと強く言った。魔法による主従関係の所為で、恵はその言葉に逆らえない。
宿儺は決して無駄なことはしないし、意味のないこともしない。恵が人間のままでいることは、宿儺にとって意味のあることなのだろう。だが、恵はいざとなれば宿儺と同じ道を辿るつもりである。一緒に生きていたいのは、他の誰でもない宿儺で、溶け合いたいほどに求めているのも宿儺なのだ。どんなことになろうとも、宿儺がいればそれでいい。

2.

南の港町へ向かって歩いている半ば、やたらと広い草原に出た。石造の建物跡が残っているので、かつては集落があったのだろうが、今は何もない。今夜の野宿地としては悪くなさそうだった。
宿儺を影から呼び出し、食料を調達しようとしたところで、人の気配がした。草をかき分ける音が野生動物と異なっている。恵は佩いていた剣の柄に手をかける。
「こんなところに噂の魔王様がいるとはね」
現れたのは、薄水色の長髪の軽薄そうな男だった。顔面にいくつもの手術痕のようなツギハギがある男は、恵ではなく宿儺を見て上機嫌になっている。
「本当にあの国から出てこれたんだ? どうやったの、って聞く必要もないか」
男は宿儺に近付こうとしたが、恵がそれを阻んだ。キッと睨む恵に、一瞬きょとんとしたが、次の瞬間には更にいやらしい表情で笑った。
「なるほど?」
「お前は何だ」
警戒を顕にし、今にも剣を抜きそうな恵の、頭の天辺から足の先までじろじろと見て、ふむふむと一人で勝手に納得している。恵の誰何に答えるつもりがない様子が腹立たしい。
「君ら、召喚された勇者なんだね」
男が名乗らない以上、恵も宿儺もなんの反応も返さない。腰を落とし、恵が抜剣の構えを見せると、「せっかちだなあ」と笑いながら両手を挙げた。
「とりあえず、俺は敵じゃないよ。保証する。魔王サマをどうこうできるほどじゃないし、君のことをイジるつもりもないさ」
「俺達はお前に用がない。退け」
「いいや、君らは俺に会う必要があったと思うよ。その姿、どうにかしたいんじゃないの?」
恵は男を凝視する。
「もう一度聞く、お前は何だ」
「俺も別の世界からこっちに来た、異邦人だよ。真人っていうんだ」
よろしくね、魔王サマと宿儺をまっすぐ見つめて真人は挨拶をした。

真人は二百年ほど前にこちらの世界に来たらしい。召喚されたというより、こっちに迷い込んできたようなものだから、最初は何度も死にかけたそうだ。だが、自らの持つ魔法により、多くの窮地を乗り越え、今に至る。現在、定住せずその日暮らしの日々で面白おかしく生きているのだそうだ。
「俺もねえ、魔法でだいぶ人を殺しちゃってさ。あちこちのお尋ね者になっちゃったんだよね。でも人間がうじゃうじゃしているとキモいじゃん。集合体恐怖症じゃないけどさ、群体はねえ……」
「お前の好悪に興味はない」
「魔王サマも人嫌いだから殺しまくってその姿になったんでしょ、もっと語ろうよ」
真人はニヤニヤ笑っていたが、宿儺が目を細めると、ハイハイ、と降参したように両手を上げて、話を続けた。
「何故あんたがそんな姿になったのか。それは呪いさ」
「呪い?」
「そう、人々があんたの所業を目の当たりにして、『化け物みたいに恐ろしい』って思った。その結果、その恐怖がこもった視線があんたを呪い、今の姿に変容させたんだ」
人は理解できない恐ろしいものや警戒すべきものを化け物として扱い、自らから遠ざけようとする。その結果が、より恐ろしい形に変化させたということだ。魔法を使った場合に限られるのは、魔法を使っている瞬間がもっとも魂が無防備になるかららしい。
「この世界では魔法ではどうにもできないもの、コントロールしようがないものを『呪い』と呼ぶんだよ。あんたの姿を恐ろしく思ったことは誰にも制御できない根源的な呪いだった。おおよそ、瞬間的に発生した感情に基づく魔法は呪いになる。通常の魔法は基本的に意思を持って行われるからね」
魔法は結果をイメージした上で行われる。それは意思に基づくものだ。
「この世界では、視線は呪いになりやすい。目で見ることは古いまじないの一つなんだよ。だから、あんたに掛けられた呪いを更に上書きするように、人々の尊敬を集めるのが人間らしい姿に戻る手段の一つ」
「何故尊敬を集める? それ以外に、手段があるのか?」
確証を得られないので、男の説明を真に受けるつもりはないが、一理あると思われた。宿儺が戦場で鬼神のごとく活躍したことや、王城で当時の王とその娘を殺したことは、多くの人間の目に触れていただろう。人の認識は案外曖昧でいい加減だし、その時の心境などで印象は容易に変わる。宿儺を恐ろしく思ったのは、たった一瞬の凶行だけではなく、積み重なった戦場での活躍もあるのだろう。
「尊敬を集めるような人間は美化されやすいからね。聖女と呼ばれるようになった女は、聖女として尊敬を集めるからこそ、より美しくそれらしい姿へ変化し、光り輝く。逆に、人から蔑まれるような人間はより見窄らしく、醜く、誰もが関わりたがらないような姿へ変わってしまい、終いには人間かどうか疑わしい姿にもなるのさ。君らを召喚した王様は、多くの民からの尊敬を失ったけど、残った一族は宿儺を食い止める王を蔑んだりはしなかったし、寧ろ尊敬していたみたいだね。だから、あの男は正気を失いながらも、人の形を保てていた」
「もう一つの手段は?」
「俺の魔法さ。魂に干渉することで、結果的に人の形を変える。安全は保証するよ。なんせ、百年くらい使ってるからね。コントロールもバッチリ」
「魂に干渉して人の形が変わる理由は何だ」
真人は恵の問いに、ニヤァと笑った。随分と信用出来ない顔の男だ。ここまで分かりやすいと、警戒すべきなのかどうか判断できない。恵はぎゅっと剣の柄を握り直した。
「この世界の全ての生き物たちは、魂の形を表すために肉体を持っているんだ。そして他者からの観察により、その姿を固定している。俺は、魂そのものに直接触れることが出来るし、俺が見つめれば、肉体が変化する条件を満たすから、結果的に人の形を変えられるのさ」
「それでお前自身の姿も変えているというわけか」
「ご名答! 因みに、急激な変化に魂も肉体も追いつかない場合は死んじゃうけど、魔王サマならまあ平気でしょ。その姿、徐々に変化していったわけじゃなくて、一瞬で膨れ上がったんだろ。不自然な盛り上がりが肩のところに残ってる。一気に変わった上に変わった瞬間で固定されちゃったんだね」
べらべらと話す真人は、宿儺にしか興味が無いらしい。恵の問いには答えるが、それはあくまでも宿儺に情報を提供するついでのようだった。本命は宿儺。一体何の本命というのか。真人の魔法を掛けられる対象としての本命か。恵は変貌しておらず、ただの人間の姿でしかないから、真人の興味を惹いていないから、用がないのだろう。
宿儺と恵を離すつもりなのであれば、この男を排除しなければならない。
恵の顔が険しくなった時、宿儺が恵の肩に手を置いた。
「お前の魔法は確かに有用だろうが、今は不要だ」
「どうして? そっちの男、魔王サマのコレだろ? 抱くのに苦労しない?」
小指を立てられて、古い表現だなと一瞬警戒を削がれてしまった。
「用ができればお前を使う」
「ふうん? 俺は今すぐあんたをどうにかしたいんだよね。連絡手段なんてないんだし。待ては嫌いなんだ」
真人が宿儺目掛けて走り始めた。見た目の身軽さ以上に素早い動きにびっくりしながら、恵は剣で迎え討とうとしたが、すいっと躱され、真人は宿儺に迫った。
宿儺の目を覆うように手を広げて掴もうとしている真人の腕を宿儺が握って、思い切りぶん投げる。十メートル向こうに投げ飛ばされた真人は、それでもピンピンしていて、受け身を取っていた。戦いに慣れているのだろう。宿儺も攻撃することに慣れている。
恵も喧嘩はしてきたが、そういう次元ではない気がする。少々心臓が逸っているのを自覚しながら、恵は真人から目を離さない。この男は恵から宿儺を奪おうとしている。絶対に許してはならないし、野放しにもできない。
剣はこの場で役に立たないだろう。剣をおさめ、代わりに影絵で動物達を呼び出す。狼は足も早いし牙も爪もある。
「魔王サマの愛人も、やっぱり勇者なだけあるね。その魔法、見たことないや」
「何故、俺達が勇者だと分かった」
「簡単だよ、ニオイが違う。まあ、嗅ぎ分けられるのは俺くらいだから、他の人は分かんないかもね」
「ニオイ?」
白と黒の二匹の狼が真人に迫る。鋭い牙を剥き出しにして噛みつこうとしている獣を前にしても、やはり真人は恐れを抱くことなく、楽しそうに笑って狼の攻撃を躱してしまう。
「なんていうかな、この世界の人間は無臭なんだ。でも、この世界の外から来た連中は、プンプン臭う。美味そうとも、不味そうとも言えない、奇妙で強烈なニオイが、俺を呼ぶんだ」
狼の鼻面を掴んで投げ飛ばし、どこからともなく取り出したものを狼に投げる。瞬間、爆発音と発光、衝撃波で、咄嗟に顔を腕で守ると、目の前に真人が現れた。
だが、恵は足元に呼び出していた蛇で真人の体を拘束し、影から出した怪鳥の足を掴んで空中に逃げて距離を取った。
「案外使いこなしてんじゃん」
「宿儺!」
蛇で拘束されたままの真人に宿儺の斬撃が襲いかかったはずだが、真人の絶叫は聞こえなかった。
拘束されていたはずの真人は、恵が立っていた場所から二メートルほど離れた場所に逃げていた。体の形がチーターのようなのに、頭だけは人間のままで、気持ちが悪い。
「二人で俺を追い詰めようなんて卑怯じゃない?」
「お前にとって不利になる要素じゃねえだろ」
恵が言い捨てると、それもそうだね、と真人はケラケラ笑った。
「あの国の生き残りを全員殺す奴らだもんね。正々堂々なんて言葉はお好きじゃないか」
真人は一瞬人間の形に戻ったが、次の瞬間、腕を何メートルも伸ばして、恵を引きずり降ろそうとした。怪鳥が飛ぶスピードの方が早いが、時間の問題だろう。恵はこの魔法を使い始めてまだ二ヶ月程度だが、相手は二百年も魔法で人を殺している。経験の差は歴然だ。
宿儺が真人に攻撃を仕掛けるが、真人はその瞬間、バラバラになっても、五秒後には肉片を接着させて、元通りになる。はっきり言って気味が悪い。人間を辞めてしまっているのだ。
あれは人間の形をした魔物だ。人の形を装っている分、更に恐ろしい。
「魔王サマが抑えているのは君のせいなんだろうなあ」
腕を巨大な翼に変えた真人が恵の直前までジャンプして来たが、恵は怪鳥の足から手を離し、けしかける。完全に落ちる前に宿儺が抱き止めてくれた。怪鳥は真人に触れられた箇所からぶくぶくと変則的に膨張して、パァンと弾け散ってしまった。
「あいつの魔法、手で触れないとだめなのかもしれない」
宿儺に耳打ちし、恵はどうやってこの男を追い払うか考える。かなり厄介で面倒な相手だ。宿儺に執着しているのが最悪だ。舌打ちしていては考えに集中できない。
だが、宿儺は思考している恵を下ろすと、宿儺めがけて滑空してきた真人の首を掴んだ。
「一度目は同郷のよしみで見逃してやったが、二度目はない」
宿儺がそんな基準で許すことがあったのか、と恵が驚いている間に、真人にありったけの魔力を浴びせて、宿儺は真人を自分の所有物にしてしまった。気持ち悪い呻き声を漏らしながら真人が抵抗していたのも、全く無意味だった。パシパシと首を掴む宿儺の手を叩くも、宿儺に全く効いていないことに驚いている様子である。
首を解放され、そのまま地面にべしゃりと落ちた真人は咳き込みながら笑っていた。
「いや~! これが所有物になるってことか! うええ、全身魔王サマ臭いね! めっちゃ臭い! やば、吐きそう、吐いちゃおッ」
おぇえええと吐く真似をしているが、何も出てこない。一体どういう男なのか、いまいち掴みきれない。ただただ、何もかもを面白がっている様は不愉快だった。
「は~残念だな。これじゃあ、俺もただの魔王サマの使いっぱしりになっちゃった。これ、絶対に逆らえないんだよ? あ~あ、もったいないなぁ」
「とっとと失せろ。使う時が来れば呼ぶ」
「付き合い悪いなあ。それじゃあ、またね、魔王サマ」
真人は宿儺の命令に逆らうことなく、何処へともなく消えていった。だが、スレイプニルが恵を見つけ出したように、真人もまた、宿儺に呼びつけられたら、何処にいようとすぐにやってくるのだろう。宿儺の所有物が恵だけでなくなったことに腹を立てている場合ではない。宿儺は快不快で物事を判断しがちだが、合理的に判断することもできる男だ。真人がどれほど不愉快だと思っても、利用価値があると思えば、利用するくらいには冷静である。
先程の戦闘を振り返り、恵は宿儺を見上げた。間違いなく、戦闘において恵は宿儺の足手まといだ。体格的にも宿儺はどんな相手にも負けることはないし、その躊躇のなさや残酷さもまた決して宿儺を不利にすることはない。だが、誰も何も恐れない宿儺が、恵を守ろうとすれば隙が生まれるだろう。冷静な宿儺は、恵を遠ざけることも考えるかもしれないし、あるいは自らの欲求に従って恵を傍に置くかもしれない。どちらもありうるから怖い。
ぐっと拳を握り込んで、強くならなければならないと決意する。喧嘩とはレベルの違うものだと分かっている。だが、強くなって宿儺の傍にいても足手まといにならないようにしなければならない。
その晩、宿儺は再会した日以来、初めて恵に口付けた。恵の心などお見通しなのだろう。夢中になって口付けることで、気付かれたことへの痛みを見なかったことにする。
服を脱がされ、宿儺の副腕の手の中で大きく足を開かされると、宿儺が恵の股間をその分厚い舌で舐めながら、じゅうじゅうと吸った。
「あ、やば、ぅン! それ、あ、カリ、もっと、あ、ああッ、いい、それ…っ!」
恵が久しぶりの性的行為に喜んで声を抑えられないでいるのに、宿儺は咎めず、アヌスも舐めて、恵の興奮を高めていく。抱いてくれはしないのにと思っていても、宿儺から与えられる刺激で冷静さや寂しい気持ちよりも、快楽に従順な肉体が勝っていく。それを分かっていて、宿儺も今こうして恵に触れているのだろう。
裏筋をつぅっと舐められ、唇で扱かれる。臍を舐められるのも、恥ずかしさと気持ちよさで混乱して、それだけでイきそうになる。それこそ、こちらに来てから一ヶ月以上お預けだった行為だから、恵は自ら膝を抱えて、宿儺に見せつけては煽る。
宿儺は恵がイって出してしまった精液を逆に恵に塗り込み、ぺろぺろと舐めたり、じゅうっと吸ったりして、恵を弄ぶ。時たま乳首を抓まれて、潮を吹いたりしても、決して口を離さなかった。時々、宿儺が恵の精液も潮も飲み込んでいるのだろうという嚥下音や僅かな動きを感じて、耐え難い羞恥と共に心が満たされるのを感じた。
恵がぐったりしていると、宿儺は恵に服を着せ、寝支度をし始めた。宿儺は何も出すつもりがないのだろう。恵ばかりが求めているような錯覚に陥って、また落ち込みそうになる。
しかし流石に疲れて、恵はその晩、すぐに眠りについた。

3.

南の港は活気があった。商港らしく大きな客船や商船が泊まっているのを見たが、船の形はほぼガレオン船に近かった。中世から近世のヨーロッパに似ているという印象はあながち間違いではないようである。行き交う人々の様子を観察しながら、恵は田舎者を装い、様々なことを聞き出した。山賊から奪ったコインを人目につかぬようそっと渡せば色々と教えてくれた。
まず、恵が危惧した医療魔法の存在はあるらしいが、あまり広く伝わっていないらしい。医療魔法が使える人々は大体都会の王族や貴族に雇われており、平民には少しばかりの金を取って、医療を提供しているようだった。ごく僅かなものにしか使えぬ医療魔法医師は貴重な存在ゆえに特権階級だけが独占することは多い。医療魔法と言えるほどではないが、医学の心得がある者が、魔法を用いて医療行為をするのはよくあるものの、精々、手術の真似事をするのに便利がいい程度らしい。
真の医療魔法は肉体を修繕するという。肉が裂け、骨が砕け、手足を失っても、見事に完全な肉体を取り戻すことができると言われている。実際にそれを見た者は聞き込みをした中にいなかったが、医療魔法を学べるところはあるという噂を耳にした者がいた。無論、適性がなければ敷地に入ることも叶わない。だが、医学の本は、ここから西にある王都にいけば売ってるかもしれないと教えてくれた。
昼間は真面目な聞き込みをしたが、夜は酒屋で人々の性生活の実態について探った。恵はろくでなしの父親の遺伝なのか、酒には強い。細身で色が白いので弱そうと言われることが多いが、一度も酒で肌を赤くしたことはない。アルコール度数が高い飲み物でも酔わない恵にとって、酒場での情報収集はなんてことのないものだった。
何人かの会話に聞き耳を立てて、人々の会話に加わらせてもらい、色んな話を聞く。雑談の中にこそ、生きた情報はあるのだ。
この世界でもセックスは生殖活動である傍ら、人々にとっての娯楽だった。宿儺という恋人がいることを隠して誰とも寝たことがなく不安だと話すと、周囲はあることないことを恵に吹き込んだ。情報の精査は後ですればいい。とにかくかき集めるのが目的だ。
この世界では同性愛は珍しいことではないため、そのための道具はたくさん売られている。尻穴を拡張するための器具や、コンドームも種類があるらしい。性に奔放な人々がたまたまその場に集まっていたのか、かなり踏み込んだ話も聞けた。恵はそれらを慎重に聞きながら頭の中に叩き込む。
今の宿儺のままでも交わることができるのであれば試してみたかった。宿儺は百年あの姿でいたのだ。だから、一度でいいからあの姿のままで抱かれてみたかった。どんな姿であっても、宿儺は恵の恋人で、忌避する気持ちはないのだと行為で示したい気持ちもある。
とりあえず店でいくつかの品を買い、いそいそと宿に帰った。情報の精査をしたいのと、宿儺と顔を合わせて会話したかったのだ。
宿の部屋に入ると、恵は自らの影の中にとぷんと沈んだ。中はただただ黒くて広い空間だけがあり、その他は何もない。光はないし、地面もない。ビッグバンが起こる前の宇宙とはこんな感じだったのだろうかと思われるような、上下の区別もつかない空間だが、宿儺とスレイプニルは特段居心地が悪いとも言わずに日中はここで過ごしている。
恵が入ってきた途端、宿儺もスレイプニルもすぐに近寄ってきた。ぐいぐいと擦り寄せられるスレイプニルの鼻面を撫でてやりながら、宿儺の頬にキスをする。
「随分と面白い話を聞いていたようだな」
「必要な情報だ」
この港町で聞けるのは、一般に普及している医学の程度と、性生活くらいしかないだろう。
宿儺の姿を元に戻す方法として、真人の示した二つの方法は現在、未検証であるため選ぶ予定がない。何か他にもあるかどうかを知りたいが、一足飛びに調べられる立場になるはずもない。無い無い尽くしで困ったものである。
だから、今夜は宿儺にたっぷり触れたかった。
購入したばかりの肛門拡張の器具を取り出して宿儺に見せれば、手に取りじっくりと検分を初めた。スレイプニルには餌をやり、遠いところに行っていてほしいと頭を撫でれば、素直に従った。馬とはいえ、これから始める行為を宿儺以外の存在に知られたくなかった。
直腸を洗浄するための器具まで売られていたのだから、意外と文明が進んでいる。魔法を補助に使いながら綺麗にした後、ローションとして売られていた液体を手に取る。とろとろの透明な液体を宿儺が掬い、恵のアヌスに塗り込む。その一方で、恵の乳首や亀頭を別の手が弄っている。四本も腕があると忙しないが、寂しい瞬間が一秒たりともないのがいい。
キスをしながら、両乳首も陰茎もアヌスも触られて、恵は一度小さく射精した。久しぶりだったからか、すぐにへばってしまった。心なしか精液に粘性がある。それを宿儺がネタネタと弄んでいる間、恵は購入した拡張器具を自分の尻に入れた。拡張器具の先端はあまり太くないが、中頃になれば徐々に太くなり、最後には八センチほどの太さになっている。
これを見た時、絶対に使わなければならないと恵は判断した。素材は金属製だがあまり重くないのも決め手の一つだった。金属製ならば洗いやすいし、途中で破損する可能性も低い。
恵の精液で遊ぶのをやめた宿儺が、道具を少しずつ入れている恵の様子をじぃっと見ている。体を丸めて、呼吸を整えながら、じわじわと道具を受け入れる様を見られているという現状に羞恥心が暴れ出すが、普段はもっとすごいことをしているのだから、と言い聞かせ、道具を体になじませていく。
前の世界では、宿儺のペニスが太くて、付き合った当初は本当に苦労したのだが、なんとか全てを収められるようになった時は、感動というよりも「やっとか…」という気持ちになった覚えがある。その後すぐに宿儺にぐずぐずにされて、大変な目に遭ったので忘れられない日になった。
今は、とにもかくにも、全部は入り切らなくてもいいから、少しでも入れられるように入り口だけでも拡げたい。だからといって焦れば怪我をする。ゆっくりと、丁寧に慎重に動かしながら、今の宿儺を受け入れるための準備をする。
そんな恵の体を宿儺が再び弄る。乳首などのすでに育てられた場所ではなく、背中や足を撫で擦るだけで、決定的な刺激を一切与えようとはしなかった。強い刺激で恵の手元が狂わないように、やんわりと触るだけにしてくれているのだろう。
「あ、あ……んっ……」
「リラックスしろ」
「わかっ、て……ぁ…、ん……」
宿儺の四つの手が優しく恵の体に触れている。もっと強い刺激が欲しいが、一度与えられたら欲望を満たそうと際限なく乞い願ってしまいそうで、恵は我慢するしかなかった。今のままでも、全く触れられないよりはずっといい。恵を前から抱きしめ、額にキスを落としながらゆっくりと撫でられると、何とも言えない焦燥感で締め付けられていた胸が徐々に楽になり、穏やかになっていく。勿論、物足りない感覚は変わりないが、それ以上にずっと恵の胸の中で蔓延っていた寂しさや不安が溶かされていく。
にゅるにゅると滑るローションのおかげもあり、道具は徐々に恵のアヌスを拡げてくれている。萎えてしまっていた恵のペニスもゆるゆると反応し始めた。宿儺と触れ合うだけのキスを繰り返しながら、少しずつ拡げていく。キスを重ねる度に深くなり、激しくなっていく。
触れるだけだった宿儺の唇に縋って、絡みつこうとする恵を宿儺は止めなかった。宿儺の唇を舐め、その中に入り舌を絡める。口の大きさが違うからか、遠慮がちな宿儺を攻め立てるように休むことなく宿儺を求める。その間にもゆっくりと恵のアヌスは道具を飲み込んでいく。状況に興奮しているのか、触ってもいないペニスがしっかりと勃っていた。
徐々に気持ちよさで頭がぼうっとしてきた。口で感じる気持ちよさと体全体を触れる大きな手の熱に酔いながら入れていけば、最近全く使っていなかったせいで閉じていたアヌスもかつての宿儺のサイズまで開いてくれた。そうだ、この感覚が恵の限界だった。
アヌスを見れば、道具は三分の二ほどが入ったようだった。一番太い部分が八センチであることを考えると、今の恵の肛門径は五センチほどだろう。コンドームのXLすら小さいとのたまった巨根を小さく感じる日が来ようとは。
宿儺の唇に甘噛した後、恵は覚悟を決めてその先をちょっとずつ入れていく。焦ってはいけない。体内を傷つければ宿儺は暫くの間、性的接触を控えるだろうし、恵から道具を取り上げてしまうだろう。焦るな。宿儺と体を繋げたいのなら、慎重に事を運ばなければ。
「ぁ……ん、はっ……すくな……ッ」
宿儺は息を潜めて恵の様子を凝視している。少しでも痛がれば道具を引き抜くつもりなのだろうか。そんなことはしてくれるなよ、とキスをする。
一旦、今の恵の限界以上には入れすぎずに、道具を出し入れする。ゆっくりと引き出し、入れていく。作業でしかないはずなのに、前立腺に掠るせいで気持ちよくなってくる。宿儺の手も背中や腰を撫でているし、足もあたっていて、堪らなくなってきた。
「すくな、舐めたい…お前の……」
べえっと舌を出して要求したが、宿儺は少々渋った。だが、恵がなりふり構わずに宿儺の股間に手を伸ばせば、諦めて前を緩めてペニスを出した。
八センチのペニスはむちっとしていて、どう考えても亀頭すら口の中に入り切らない。とりあえず、鈴口だけをちゅうちゅうと吸って、どうやって射精させるほどの刺激を与えられるかを考えるが、むわっとした宿儺の匂いを嗅いでいると、自分の気持ちよさばかりを追いかけてしまう。前を触らず、宿儺の鈴口を吸い上がら、ぬこぬこと道具を動かす。宿儺のペニスも徐々に固くなっていく。膨張率が相変わらず凄いようで、どんどん太くなるペニスをどうやって腹に納めるべきかを考えている。宿儺は絶対に入れようとはしないだろう。魔法で拡張できたら便利だ。皮膚が裂けたり傷づいたりしないように保護膜のようなものができればいい。
そう思った瞬間、道具がスルッと中に入ってしまって、恵は「」と短い悲鳴を上げて達した。だが、まだ腹の中に入っている道具が前立腺を刺激して、腰が揺れてしまう。
「う、あぁ――や、やば、あ、ああッ!」
「恵?」
宿儺の声が聞こえるのに、道具の刺激が強すぎて応えられない。すぐさま、宿儺が道具を恵のアヌスから抜き、触って確かめている。それにすら反応してしまい、恵のペニスからはだらしなく精液がこぼれている。久しぶりの強い刺激だったから、過剰に反応しただけだと思われるが、宿儺は問題がないとわかるまで眉を顰めていた。
「恵、道具を使うのはやめろ」
「でも……」
「協力してやる。だからこんなものを使うな。不愉快だ」
宿儺が片手で道具を握りつぶすと、ぱっくりと空いた恵のアヌスに指を入れた。
「あっ! あ、いい、すくなの、あぁッ! もっと――」
「ほしいだけくれてやろう」
飲み込まれそうなキスに溺れながら、宿儺の指の動きに翻弄される。指一本だけでは道具よりも細いが、意思を持って動き回って恵の直腸のひだを撫でていることが興奮してしまう理由の一つになっている。やばい。さっきイったばかりだから、すぐに勃起してしまった。
腰を振りながら宿儺の指に気持ちよくなる場所を擦り付ける。ぞくぞくと背中に快感が走り、涙が目から溢れる。
指とは言え、宿儺が恵の中に入った。嬉しい。やっとだ。気持ちいい。堪らない。ずっと入れてて欲しい。好きだ。無機質で機能だけを求めていた道具なんかじゃ比べ物にならないくらいの多幸感で胸が一杯になる。宿儺の首に腕を回して、必死になってくっつく。しがみついていないと、体がバラバラになりそうだった。幸せだ。壊れたっていい。宿儺が恵を求めている事実があるのなら、どうなってもいい。本当はペニスを入れてほしいけど、今はこれだけでもいいから、恵を求めている宿儺を見たかった。
宿儺は悩ましげに恵を見下ろしている。宿儺の指が動く度に喘ぎ、乱れる恵を見て、加減するのが難しいのだろうか。途端に罪悪感に襲われたが、腰の動きは止まらない。宿儺が二本目を挿れると、ちょうど前の宿儺のペニスの太さくらいになった。前立腺への刺激は止まらず、直腸の奥の奥まで届いてほしくて仕方がなくなった。もっと欲しい。もっと。
「ン――あ! んふ、ぁッ、ゃ――んんッ!」
「暴れるな」
擦り付ける恵の体を宿儺の他の腕が押さえつける。ゆっくりと抜き差ししながら、恵のアヌスが広がるように触ってくれている。前の時は拡張しているという実感はなかった。宿儺を受け入れられるようになるということだけに注視していたからだ。今は、宿儺の指で拡張しているのだという気持ちになって、背徳感と罪悪感からくる興奮が止まらない。なのに、自由に体を動かすことができないのがもどかしくて、括約筋で宿儺の指を締めてしまう。
「尻に力を入れろ」
すぐに叱咤されて、指をもっと奥に入れられるように力を入れた。宿儺の長い指が道具よりもずっと深くまで入ってくる。ぐにぐにと拡げられる度に恵のペニスが震えた。精液はだらしなく先端から漏れているだけで、射精感がない。
宿儺が三本目の指を入れたときには流石に異物感を覚えたが、すぐに体に馴染んでイってしまった。四本、四本入れば、恐らく宿儺のペニスだって入るはずだ。四本目までたどり着けるだろうか。その前に恵の体力が尽きるかもしれない。宿儺とのセックスはいつだって体力勝負だったが、ここまでではなかった。
本当に今の宿儺のペニスを入れたらどうなってしまうのだろう。想像しただけでまたきゅぅッと締め付けてしまう。そのタイミングで宿儺が今まで背中などに触れていた手で両乳首をきつく摘んだ。
「う、あああ――」
勢いよく恵のペニスから潮が飛び出る。指を抜いた後、汗と精液と潮で塗れた恵の体を、宿儺が全身舐める。気持ちよくてビクビク震えているのを無視して、液体を舐め取った後は布で恵の体を拭いていた。もう今日はここで終わりらしい。
影から引き上げた恵をベッドに横たわらせ、額に口付けてくれたが、あまり表情は明るくない。そんな顔をさせたいわけじゃない。
どうしたら昔の宿儺のようになってくれるのか。今の恵の頭では考えられなかった。