榎本梓を抱いてしまった夜、男は彼女の寝顔を見ながらこれからの事を考えていた。具体的には、彼女との関係、自分の取るべき態度、起こりうるリスクなどだ。メリットはない。ならば何故抱いたのか、言い訳なら沢山あるがそのどれもが意味を成さない。何故ならば敗因は自分の若さだからだ。これが他の女なら警戒して理性が働くのだが、榎本梓の女としての隙きを見せられたことにちょっと浮かれた未熟さが今の状況を生み出したのだ。常に理性で自己の制御に努め、得るべき結果を求めてきた訳だが、それ以外は自分だって何ら他の人間と変わりない若い男であった。それを再認識させてくれたという点では感謝しなければならない。今後はそんな自分もいるということを考慮して、このような愚かな事態は必ず回避しよう。
とにかく、ゴムはつけていたし、月経が重いのを理由に彼女はピルを使用しているから、万が一ということもないだろう。そのリスクは回避可能だとして、次に人間関係だ。仕事中の榎本梓はあまり人間関係に頓着しないように見える。安室透との関係についても同僚以上の事を仕事中に求められたことはない。今夜は二人にとって間違いだらけの出来事が起きたのだ。だが、ありがたいことに明日から昨日までと変わらない態度でいたとして、多少ギクシャクしようとも、彼女はしつこい女になるとは思えない。そういう意味で男からすれば都合のいい人だった。
ただ、三十年近い人生で初めてと思うくらい相性がいいことが分かった。これを個人的には惜しいと思うのが、傲慢な男の性である。照れたり恥じらったりするが、結局大胆な事もしてくれるし、三回くらいしてもまだ求めてしまいそうな程、彼女の体は心地よかった。楽しむ時は迷わない彼女の性格も相俟って、大いに盛り上がってしまった事からも、勿体ないと思ってしまうのだが、自分の人生に個としての幸福を願う余裕はあまりない。精々料理や筋トレなどの自己鍛錬の結果を感じることくらいで、人間関係から齎される幸福は求めていられない。セックスとて人間同士のコミュニケーションである、それを同じ人間と繰り返すのはよくない。彼女とは今夜限りなのだと思うと、自分勝手な事だが、もう少し無理をしてでも長く楽しみたかった。
夜も遅かったので榎本梓を自宅に送り届けるだけのつもりでいたのに、今夜に限って彼女は普段見せない女を見せた。恐らく彼女は安室透を誘うつもりはなかったろう、だがその女としての油断に男は誘われ、理性より体が動いてしまい、そのまま縺れるように部屋に上がり、彼女の体を弄んだのだ。前々から目にチラついていた体を暴く事の興奮は、凶暴な自分を自覚させた。それでも止まれなくて、口付けながらあらゆる所を指で開いた。彼女は男の動きにいちいち反応しては興奮を高めていき、そんな彼女の様子につられて男もゴムをつけた性器を何度も彼女の体の中に打ち付けた。しかも、下品な品評だが、要するに男が昔からあれこれいう名器に該当するようで、所謂ミミズ千匹であり、男はそれに気を取られて行為の後に悩むだろうことなども忘れて、無我夢中になったのだ。これが大きな敗因ではないだろうか。やはり、手放すには惜しいというか、他の男にやりたくないくらい気持ちよかったのだが、自分の目的を振り返るとメリットはないのだ。残念だな、と横目で見ていると彼女の瞼が動いた。
「起きたんですか」
「やっぱり気絶しちゃった? ごめんなさい」
「気にしないで下さい」
そう言いながら、男は榎本梓の素肌を撫でる。さらさらと滑り心地がいい。彼女は頬を染めたが、男の好きにさせている。意識が戻ったところで、男のやる気がまた見えてきて、またそちらに手が動いていくと彼女はびっくりした顔で男を見た。
「元気すぎません?」
「梓さんが可愛いからですよ」
そのまま、寝バックやら対面で座りながらまたやってしまった。彼女自身は自分の体がどれほど男にとっていいものなのかなんぞ知りもしないだろう。激しく求める理由を知らないままでいてほしい。身勝手なこの男のことを知らないままでいてくれたら、どれほど良かっただろう。やはりメリットなんて一つもない。
それでも、丁寧に彼女の体を愛撫して興奮を高めていく。ゴムも最後の一つだから、正真正銘これで最後だ。惜しいな、という気持ちが執拗な動きに変わる。適当に扱ってしまうなんて勿体ない。彼女の中に指を三本も入れて、彼女が何度もイくのを楽しんで、そのイったばかりの体にずぶずぶと沈んでいく。自ら溺れに行く愚かで哀れな男のことを彼女は見つめている。
その内が男に絡みついて、愛してくれるのを感じていると段々胸も締め付けられて、泣きたくなった。
何を泣くことがあるだろう、泣くならば彼女の方だ、散々弄んだくせに男の方は彼女との関係を真っ当なものにしようとはしないのだ。この夜を終えればこんなことはなかったかのように振る舞って、いつかは消える。ヤり捨てられるのは彼女の方なのに、この夜にしかいられない、普通のどこにでもいる浮かれた男はこの夜を終えれば死ぬのだ。明日からはまた完璧に己を制御した男に戻る。彼女との関係を考えたい男はどこにもいなくなる。
そういう人生に悔いはないが、ああ、やはり勿体ないのではないか。いや、でも一番勿体ないのは、彼女がこんな男に抱かれた事だ。彼女の人生の片隅にいてもいいけれど、メインになることは許されない。この夜をきっかけに好きになったり、或いはすれ違ったりして、いつかは幸せになるような漫画のようなことは許されない。いずれ何もなかったように消えるだけだ。だから、この夜を切り取って永遠にしてしまいたい。そんなことは許されない。
若い時には考えもしなかったな、と数え三十歳は苦笑した。ちょっといいな、と思う女の子と遊ぶことができないのを窮屈に思うのは初めてだった。
