無題

 横たわる女の輪郭をなぞる。足の指先、足の裏、土踏まず、踵、それから柔らかなふくらはぎ。膝小僧を擦ると軽く蹴られた。太腿、腰、くびれ、そうして乳を軽く揉む。脇を通り、腕には道草せずにそのまま鎖骨へと辿り、細い首を軽く遊び、耳、顎、頬、そうして額へと向かう。白い肌には撫でた後など残らないが、感触は残る。
 女は女で、こちらの頬を掴んで目を細めている。
 金の瞳は人ならざるものの証だというが、確かにこの女はかつて人であったけれども今ではもう生きた化石であり、魔女である。若草の髪もまた常人とは異なるもの、交わらないものを象徴するようで、どんな人混みの中でもすぐに見つけてしまえる。その存在は周りから浮いていて、決して同じものとなることはない。この女が拘束衣を好き好んで着ていたのは永劫の時に拘束されていることを皮肉ったつもりだったようだが、あるいは、普段着用されるはずもない服を着ることで更に周囲から己を浮き立たせる為だったのかもしれない。自傷行為を進んでしているのだから、手に負えない女である。
 唇を指で撫でて、口を吸う。向こうから舌を絡めてきたので、そのまま戯れる。かつては興味も知識もなかったことだが、今はそれなりに楽しんでいる。
 この行為に伴われるべき感情は二人の間にあるといえばなく、ないといえばあるというようなもので、とにかく曖昧で不確かで不誠実であったが、それこそ我々らしいと女は笑った。
 利害の為に繋がる者、感情では繋がらない者、共犯者とはそういうものだ。惚れた腫れたの関係は御免だといったのはどちらだっただろうか。
 ただ、二人の物理的距離は遠くなく、心理的距離はないものに等しく、二人の体は番になることができ、二人の心はそれを拒まなかった。そうして、時折、服を全て捨てて、互いの弱い所を曝け出して、組み合わせて、己の利益、即ち快感を求めて動き、そうして肌を重ねる。罪ではなく、熱を共有しても、二人の心は更に近くなることも遠くなることもない。互いの罪を知り、分け合うことでしか二人の距離に変化は与えられない。
 真っ昼間に酔狂なことをしているとは思う。けれど、何かが彼を突き動かして、女を誘わせ、女は嫌がることなくその提案に乗り、そうして二人は同衾している。指が絡まり、肉が合わさり、汗が流れ、液体が混ざり合う。女の乳房を揉みしだけば声が漏れ、代わりにこちらを締め付けては喜んでいる。額に何度も口付けると嫌がる。もっと他にそうするべき場所があるだろうと言うので、腹に口付けると違うという。左の胸の下にある傷を舐めればその言葉も引っ込む。
 言葉などこの場には不要であり、無粋であるように思えるし、だが時折何かを確認するように名前を呼び合わなければやっていられなかった。本当の名を耳元で囁けば顔を真っ赤にさせて怒るので、その時は抗議の声も出せぬくらいに溺れさせるほうが良い。
 互いの望むもの、得られるもの、失うもの、それらを二人は分け合う。その苦悩も愉悦も絶望すらも互いに知っている。二人はそうあろうとしたわけではなく、そうありたいと思うこともなく、そのようになっていた。成り行きとは即ちそれまでにそうなるべき経緯があったということであり、その経緯によって得られた知識はお互いを信用に足ると判断できる材料となり、そうして自然と彼らは一つとなった。一つであるのに個体としての意識はあり、だが二つは一つとなってしまっている。彼の体は女の体と離れたところで女の体の隅から隅まで知ってしまっていて忘れることはできないし、女もまたそれは同じだろう。互いの口から出てきた言葉すら彼らはきっと忘れない。二つは出会う前には戻れない。
 事を終えると、女の胸に自らを滑り込ませて余韻を楽しむ。温かな肉体が汗にまみれている。女は彼の頭を抱えるとその黒髪を撫で梳いた。さらさらと女の指から零れ落ちているのは見ないでも分かる。暫く心地が良くてそのまま寝てしまいそうだった。はじめの頃はあまりの疲労にすぐ寝てしまう事も多く、女はそんな彼をあざ笑ったが、最近は慣れてきたこともあってそのようなことには陥らなくなってきたから、女の求めるように軽く会話を交わしたり、キスをしたりしてやることが増えた。それで機嫌が取れるなら安いものだと思われた。
「寝るか?」
 女の静かな声が聞こえる。甘やかす体ではないが、甘やかされているような気もする。素直ではないから直球に訊ねた所で答えやしないだろうが、女は確かに彼に気を許しているし、そして見た目の何倍もの時間を生きてきたという女は甘え下手な男の扱い方も心得ていて、彼は女のそんなところを利用しているのか利用させてもらっているのか。出会った頃よりも近くなり過ぎて、手放すことはできなくなってしまった。目の力のこともあるし、彼の経歴によるところもあるし、彼の野望を真に知り理解するものはこの女だけである。初めて得た親友や唯一の妹すら彼の真実を知ることはない。それを、この女はするすると彼の心にうまく入り込んできて全てを曝け出させているのだから、只者ではない。なるほど、だから魔女なのだろう、誘惑されてしまった哀れな男とはまさに彼のことである。サキュバスかもしれない、なんて呟くと何の話だと尋ねられる。
「魔女にすっかり魂を抜き取られていると思ってな。」
「お前は私にめろめろだものな。」
 くすくす笑うので、唇に噛み付くとそのまま舌を絡めてきた。深く長く互いを奪い合うようなキスも、浅く短い戯れるようなキスも、女は好んでいるようだった。
「なるほどお前は確かに魔女だが、あるいはサキュバスかもしれない、と考えるレベルだ。」
「お前とのセックスは楽しい、だから仕方がない。」
「お前の台詞はどうしてそうもツッコミどころが多いんだ?」
「私に突っ込むのが好きなのは最早お前の本能だろう? 私の言葉も体も大好きなんだから、そりゃ突っ込みたくなるさ」
「全く下品な女だ」
 女に口付けると、彼は起き上がり、シャワーを浴びた。まだ昼間で、やるべき事は山程あるのだから寝ている場合ではないのに、ついつい欲望に負けてしまうなんて彼らしくもないのだが、それは女の言う所の「覚えたては何でも試したくなる本能」なので寧ろ受け入れてさっさとこんな事に飽きるべきなのだろう。彼はすっかり要領を掴むと大抵の場合は飽きてしまうので、それがいいと女は考えたようだが、彼としては女の肌の温かさを知らなかった時のようには振る舞えないと分かっていた。彼が女を求めるのではなく、女が彼を求めているのだ。そして彼はそれに応える、けれど女は素直ではないのでこちらからお願いしてやらない限りは決してそんな事を表に出しやしない。面倒くさい女だが、それはそれで飽きないといえば飽きない。甘やかしてやっているんだと思うとなんだか子供のような優越感に浸れて、そんなしょうもない事も緊張ばかりしている彼の気を緩めるのには十分必要だった。
「おい、ピザ、Lサイズ五枚を注文しろ」
 すっかり身奇麗になった彼を容赦なく顎で使うような女であっても、肩を震わせて涙を流すことはあるし、血塗れになっても譲れないものがある。そんな事を知らなければ今頃もこの女を抱いたりしなかっただろう。
 罪を互いに告白し、懺悔するために二人はいるようだ。それしかないのだ。そしてそうであってこそ彼と女の関係は成り立つ。