あなたの夢が叶う日を見届けたい

 隣に横たわる師匠は、寝ていても眉間の皺が取れない。何度か伸びないかと思って指で触ったことがあったが、それでもやっぱり刻まれすぎていて、ちょっとくらいのマッサージではどうにもならなかった。今夜もこっそり触ってみるが、やはり変わることのないままだ。自分と師匠はこんなにも変わったのに、なんて思ってから少し恥ずかしくなった。
 そんなのは今更だろうと師匠は言うかもしれない。確かに、同じベッドで夜を過ごすようになってから随分と経っているのだからその言葉は間違っていないが、師匠だって時折照れているので、とやかく言えるわけではない。
 それでも師匠は妙な所で強がりだから、こういう発言を繰り返す。或いは、十も年の離れた関係だし、これくらいは強がっていたいのかもしれない。師弟関係としてのやりとりではなく、男女関係となると師匠は殊更見栄をはる。恋人がいたことはないことを知られていると分かっていても、強がりたいらしい。それが男という生き物の悲しい性なのだよ、とライネスは笑っていた。
 しばらく師匠の顔を見てから、腕の中から抜け出す。朝食の支度をしないといけない。寝汚い師匠は自分がこの家に寝泊まる回数を増やした途端、更に朝に弱くなった。確かに、前夜に疲れるようなことをしたからかもしれないが、それにしたって寝起きが悪い。だから、それを見越してこちらが朝の準備をする必要があった。そうやって甘やかすから余計に駄目な人間になるんだよと言われたことがあるが、自分はあまり朝寝坊するのは好きではないから、ちょうどいいと思っているし、師匠が人としてだめなところがあるのは今更どうしようもないことだし、寝汚いくらいは許してあげてもいいと思う。
 朝食の支度と師匠の服を用意した頃には、師匠が起きても文句を言わない時間になる。あまり早すぎると口の中でもごもごと文句を言うことがあるのだ。言葉としてこちらの耳に入ることはあまりないけれど気分は良くないので、起こす頃合いを見計らう必要がある。今更言うことではないけれど、師匠は面倒くさい人だ。
 寝室に戻り、未だに起きる気配のない師匠に声を掛ける。長い髪を撒き散らしながら、呻いていたが、ぼんやりと目を開けてこちらを見てようやく起きる必要があると思いだしたらしかった。何とか身を起こし、こちらを見たので、少しばかりの羞恥心を抑えて近付くと、キスをされた。この人は、こういう関係になってからはスキンシップを増やそうとしている。嫌だと思ったことは一度もない。恐らく、マナーのようなつもりで習慣化させてるのだと思う。義務感というには感情がこもってるし、でも感情が赴くままにしているわけでもない。変な所で律儀なのだということはこの関係になって初めて知った。
 食事を取りつつ、今日の予定を再確認する。師匠は教師としての仕事と君主としての仕事がある。時計塔を未だ卒業していない自分とはタイムスケジュールが全然違うから、夕食の支度をする目安を確認しておかないといけない。それに秘書のような事も任され始めたので、その練習も兼ねている。
 一日の確認をすると、それぞれの予定に向かって動き始める。師匠の髪を梳き、衣服をちゃんと着せて、磨いた靴を履かせて、玄関まで見送る。泊まった翌朝は戸締まりなどを兼ねて自分が師匠の後に出るようになった。
 玄関先で、師匠は少しまだ寝ぼけているのではないかという顔をしていたが、こちらに向くと身をかがめてきた。分かってるけれど、少し恥ずかしい。でも、したくないわけではない。だから、師匠の頬にキスをする。
「いってらっしゃい」
 その一言で一日が始まる。

 時計塔で学ぶことの多くを、自分はきちんと理解していると胸を張って言えるとは思えないが、それでも昔に比べれば随分とマシになったはずだ。師匠の講義で提出するレポートも、初めて貰ったアドバイスに従って司書に尋ねたり、何度も読み返して文章の構成や記述がおかしくないか確認するようになって、師匠に褒められることも何度かあり、漸く自信を持てるようになった。自分は墓守だし、そういったことに敏感な為か、死霊術に関する記述は他の誰とも違った視線のものらしく、度々師匠の興味を引き、論文に引用してもらえることもあった。その論文自体を全部理解できるわけではないけれど、師匠から渡された時はドキドキして何度も読んでしまった。引用された部分自体は大きな割合を占めているわけではないが、こんな形で師匠に頼られたのかと思うともっと頑張りたいなと思えた。勉強することに楽しみを見出すことがあるなんて想像したこともなかった。
 師匠と出会い、故郷から連れ出されて、自分の人生は目まぐるしく変化している。知り得なかったことを知り、楽しいと思えることが増えた。ただ故郷を出ただけでは感じられなかったと思う。師匠がいるからこそなのだろう。
 図書館で資料を探していると、師匠の姿が見えた。煩くない程度に生徒達に集られているのを見ると、何だか微笑ましくなって、そんな気持ちになれる立場じゃないのにと自省した。内弟子のくせにと言われても仕方がないが、師匠の家で過ごす時間が増えるに連れ、片付けのできなくてだらしない師匠に呆れだけではないものを感じたり、時には可愛いと思ったりすることもあって、そんなふうに思うことをやめられなくてずっと秘密にしている。ライネスに話せばからかわれそうだし、他の人には分かってもらえないだろう(イヴェットは別かもしれないが)。
 生徒達の合間から出てきた師匠はこちらに気付いたようで、声をかけてくれた。朝見たときより何故か縒れているような気がする。こういう時は熱心な女子生徒に言い寄られていたことが多い。師匠は女の人が苦手で、特にグイグイと来られるとすぐに逃げる。自分との関係だって、こちらから迫ったものだったから、初めはちょっとだけ逃げられた。
「大丈夫ですか」
「なんの事かね」
 なんてことはないように装っているが、見抜かれたことにちょっと悔しがっているのが分かる。隠し立てしようにも、もう師匠のあれやこれやを知っているのですぐに何を感じているのか分かってしまうようになったので、諦めてほしい。
「何を探しているんだ」
「次のレポートの参考文献を。その、天使に関する記述を補強したくて」
「該当するものが多すぎるな、どういったアプローチを取るつもりだ?」
 それからは師匠の知りうる知識で参考にすべき書籍や論文を教えてもらった。司書に頼ることは覚えたけれど、自分の考えている事を司書に分かるように説明するのはまだ下手くそで、こうして偶に司書と同じだけの記憶をしている師匠に頼ることがある。師匠は拙い言葉で説明しても十分に汲み取ってくれて、時には考えていた事以上の助けをくれることもある。そういう時はレポートを書いていてすごく楽しくなる。知識と知識が結びついた瞬間は気持ちがいい。それをちゃんと理解して書けているんだと思うと嬉しくなる。そして、その道筋に辿り着けるように師匠が手を貸してくれたのだと思うと何だか興奮することもあったりして、師匠がいない間にソファーの上でクッションを抱きしめながらじたばたすることもある。師匠には秘密だけど。
 師匠と別れて資料を読んでいると帰宅する時間になったので、夕食の買い物に向かった。昔は冷蔵庫に入っているものが少なすぎて、きちんと食事を摂っているのか不安になることもあったが、二人で食べることが増えたので、今では人様と同じくらいにはまともになっている。
 夕食の支度をしながら、散らかっている書籍やゲーム機などをそこそこ片付けていく。昔申し出たときは断られたものだが、今は何も言われなくたった。最初の頃は渋っていた洗濯なども今ではアイロンがけやら何やらと頼られるようになった。
 こんな状況なので、師匠の生活に詳しいライネスからは内縁関係だな、などと言われることがある。師匠の相手として役不足ではないかと遠回しに聞いたが、「寧ろ兄には勿体ないくらいだよ」と笑っていた。師匠との今の関係をライネスは表立って祝福することもないけれど、積極的に反対するつもりもないらしい。昔は師匠との間に子作りでもしておくか、と言っていたが、エルメロイの血と師匠の血を混ぜるつもりは今でもない。だから、結婚でも何でもするがいいさと言う。今でも借金の返済は終わっていないし、源流刻印を取り戻せていないけれど、エルメロイ存続と、ライネスが当主になるまでのつなぎとしての役割は果たしているから、その辺りは緩和したのだとか。ベルベット家として師匠が血を残すことに大して興味がないようだった。無論、子供が生まれればそれなりに可愛がるつもりはあるとのことだ。
 でも、いつか師匠の子供を自分が生むことも、他人に関係を紹介するときに師匠の妻という立場にいる自分も想像できない。確かに体を重ねているし、女房まがいの事をしていても、それでも師匠は師匠だ。
 だから、食事と風呂を終え、それぞれの時間を過ごしたあとにソファーの上でスキンシップをしていても、自分が師匠の恋人になったとは思えない。勿論、師匠が弟子に手を出すことに躊躇いもしないクズだとも思っていない。自分の方から迫ったこともあって、師匠は随分と戸惑ってやんわりと拒絶をしていたくらいだ。結局、より頑固な方が勝っただけに過ぎない。あの時の自分の勢いとか頑固さについて今では自分でも信じられないというか、恥ずかしくて仕方がないのだけれど、我慢してる方が辛くて全てを打ち明けて師匠に迫ってしまったのだ。
 今はどちらの感情も同じくらいだと思う。だから、キスを繰り返しながら、互いの肌に触れる。師匠はいつだって恐る恐るこちらに触れるから、安心して身を委ねられる。強引だったことは一度もない。早急で淡白だったこともない。相手を傷つけることを恐れつつも、情熱的だと思えるくらいに丁寧に体のあちこちを絡ませてくれる。師匠が体の中に入ったあとも、魔術回路の快感ではない、体の快感を求めてくれる。それは独りよがりな行為ではなくて、互いに高め合おうとする努力だった。この関係に至って、師匠の細やかな気遣いと照れを見ていると、より一層この人を守りたいと思うようになった。腹の中で師匠を受け止めていると、胸が締め付けれる。師匠の恋人になったと思えないけれど、師匠以外とこんなことをしたくない。師匠だから、すべてを預けても、すべてを見たとしても、不安にならない。
 絶頂に達すると、体力のない師匠と不慣れな自分はそのままの状態で暫く動けないことがある。そんな時は軽く口づけを交わしながら、少しずつ回復するのを待つ。体の中に出された精液がどろりと流れるのを感じると口づけがおろそかになるが、師匠はそれに照れてあまり追求してこない。
 因みに避妊具はあまりにも体に合わないらしく痛かったから、言い出すのはかなり恥ずかしかったがやめてもらっている。植物科の避妊薬を飲むことも勧められたが、あまり熱心に飲むのも恐ろしくて、たまにしか飲んでいないことを師匠は知っている。でも、魔術師の快楽を求める本能はこういう時にも発揮されて、師匠は快楽に負けることが多い。だから、子供ができるかもしれなくても、いつも体に注がれている。でも、嫌だとも怖いとも思わない。師匠は快楽に負けているけど、理性がないわけではないし、想像できなくても、子供が出来たときにはどうにかするんだと思う。魔術師にとって自分の子供とはとても大切な存在だからだ。
 それに、注ぐときの師匠がとても好きだから、という秘密もある。逃げられないと思うほどぎゅっと抱きしめられて、奥へ奥へと入ってこられると堪らなくなって、感情が溢れて泣きたくなる。意外とこういうことのマンネリズムを好まない師匠はいろんな体勢で抱きしめてくれるから、もっともっと感情は大きくなる。そうして、中で流れてくるものを感じていると、ふわふわとした気持ちになる。
 その気持ちのまま、何度かキスを交わして、その細い体に抱きしめられる。大体朝まで眠ってしまうことが多い。偶にピロートークを交わすこともあって、そういう時は師匠の過去──それこそ時計塔に来る前の話、ベルベット家の始まりとか、両親の話などを話してくれることもあったし、正直な弱音とかを吐くこともあった。そうして師匠の心に触れる度に、明日も明後日もそれよりずっと先もこの人の話を聞いていたいと思いながら、その少し痩けた頬に手で触れる。師匠に体力はないから一夜に一度しか交わることはないけれど、交わらなくても伝わるものがあればいいと願いながら口付ける。
 こんな日々を繰り返しながら、いつかの夢が果たせる日を待っているのだ。