良守と付き合い始めたのは、時音の大学の建築学部に良守が滑り込み合格をしてからだった。確実に夢を追いかけている良守に、頼もしさと一抹の寂しさを感じていた時音は、彼からの二度目の告白を受け入れてしまった。烏森から離れた大学に入学したことも、原因の一つかもしれない。烏森封印の為に家を離れた良守が、二度と戻らないのではないかと不安になった時のことを思い出していたのもあった。実家を離れて二年、盆と正月は帰省していたが、長らく良守と会わなかったから、胸に穴の開いてしまったような、不足感を抱き続けていたのも確かな事実である。良守が真っ赤な顔をして必死に告白する姿を見て、時音は漸く何が足りないと思っていたのか理解したのだ。だから、背の高くなってすっかり見違えた彼を抱きしめてしまった。
恋人関係を良守と持つというのはなかなか不思議な感覚であった。弟のように思っていた男の子が、暫く見ない間に自分よりも背が高くなり、また、時音の知らない表情や仕草をする所を見ると、あの泣き虫だった良守とは別人ではないかと思うこともある。中学生の時は髪を伸ばして好き放題にしていたくせに、大学生になった途端髪を短くしてさっぱりしてしまったのも、見知らぬ男のように思えたが、時音の下宿先に遊びに来てお菓子を作る姿は昔のままで、時音はそんなところに安心していた。時音の知らない良守もいるが、時音の知る良守もいる。
だから、時音は今目の前で起きていることに驚きを隠せないでいる。
良守の部屋で食事を終えた後、良守が食器を洗っているのを待っている間、時音は満腹感と数日課題の為に睡眠時間を削っていたこともあって、眠くて仕方がなかった。だから、いつもは食事の後に暫く話をしたらすぐに帰宅していたのに、今日はこのまま朝まで眠ってしまいたいという気分でいたのだ。六時に目覚ましをセットして、すぐに自分の家に戻って朝風呂を浴びれば明日の講義も問題なく受けられる。一応恋人関係であるし、見知らぬ他人ではないから、良守に頼めばブランケットの一枚くらい貸してくれるだろうと思った。まさか、良守と同じ布団に入ることになろうとは考えもしなかった。
良守は眠いから今晩泊まらせて欲しいという時音の頼みに少し渋っていたが、最終的にはジャージを貸してくれ、布団にも入ればいいと言ったが、布団は一組しかないから俺も入ると言い出したのは流石に驚いたのだ。時音が何かを言い出す前に、良守は優しく時音の手を引いて布団に誘導すると、そのまま見たことのない微笑みをし、おやすみ、とだけいうと向き合ったまま目を閉じてしまった。
こんなのは想定していない。良守の体温を近くに感じたことは今までだってある。烏森で毎晩戦っていた時は密着していた事は勿論あるし、お互い汗と土まみれでドロドロの状態で駆けずり回っていたのだ。でも、今は違う。良守の規則正しい呼吸がこんなに近くに感じられる、少し汗を掻いているのか、いつもは気にならない良守のにおいがする。今までだって顔が近いことなんてたくさんあったのに、今夜に限って胸が早鐘を打っている。あんなにも感じていた眠気がどこかに飛んでいってしまって、全く眠れない。
「眠いんじゃねえのかよ」
にやっと良守は笑う。狸寝入りをしていたのか、全く寝ぼけた様子はない。時音はこんなにも緊張してるのに、良守はそうでもないようで、何だか癪に障った。
「眠いわよ」
「寝てねえじゃん」
「ちょっと考え事してただけ」
「オレの顔見ながら?」
良守の手が時音の顔を触った。かつて方印があった右手だった。あの頃は時音のほうが余裕があったのに、今この時は立場が逆転している。いやになる、と顔を背けたかったが、良守の左手が時音の腰を抱き寄せたのでそうもいかなかった。
「ちょっと、あんた、」
「時音、オレさ、時音のことが好きなんだよ。昔から。だからさ、泊まっていい、なんて訊かれたら、やばいわけ。分かる?」
温かい良守の体温に羞恥心が煽られる。焦燥感が胸のうちでのたうちまわり、何をどうすればいいのか分からない。足を少しずつ絡めてくる良守は、時音の知らない良守だ。でも、不安はあるが怖くはない。
「分かんないわよ」と目を逸らさずに言う。その次の瞬間には唇が覆われていた。キスをしているのだと悟った。
「こういうことしたくなる」
軽くついばむだけの短いキスは、あまり実感が伴わなかった。良守は、ちょっと困った顔をしていた。時音の腰に添えられた左手は更にきつく抱き寄せてきて、腰に当たるものを時音に意識させた。何が当たっているのかと一瞬考えて、それから答えにたどり着くと顔が熱くなってしまった。良守だって男だ、だから、うん。
「時音は、まだこういうことしたくないだろ?」
「よ、良守はしたいの?」
「時音が嫌ならしない」
途端に少し距離が離れた。良守なりに時音に誠意を見せてくれているのは分かった。昔ははっきりいうことはなかったのに、今では鈍感な時音にきちんと伝わるよう、真正面からストレートに自分の気持ちを伝える良守は、時音の心臓に悪かった。でも今は時音を気遣っている。
「それに用意してないし……」
「え?」
良守はちょっと気まずそうな顔をして頭を掻いている。だが、少し笑って、時音の上に覆い被さった。
「キス、してもいい?」
強請るように時音の顔を覗き込む良守は時音の胸の何かを刺激していて、もう時音の方は混乱状態から抜け出せない。でも、体は自然と動いて、良守の首の後ろに腕を回していた。良守はそれが答えだと受け取ったらしく、ゆっくりと顔を近づけてきた。
「目ぇ瞑ってろって」
言われたとおりに目を閉じた途端、唇にまた柔らかいものを感じた。何度も唇同士を重ねてはくっつけ、食むように合わせていると、生暖かく濡れたものが口に入ってきた。それは性急な動きで時音の舌と絡み、蠢いている。良守に回した腕が彼にしがみつくよう締め付けると、益々動きは激しくなった。良守の手が時音の後頭部を支えるようで、しかし時折ぐっと近づくために動くことに驚いたりしながら、キスを続ける。いつ終わりが来るのかわからないが、終わって欲しくないとも思う。
唇が離れていくので、目を開けると、そこには一人の男がいた。初めて時音は良守を好きなのだと自覚した。そして自分も女だったと漸く理解した。
「良守、」男の顔を両手で包み込む。今も残る右手の傷はこの男を守った時に負ったものだった。あの時はこうなるなんて思いもしなかった。
「ん?」
「あの時、ちゃんと言えなかったから今言うね。あたしもあんたが好きよ」
時音は良守の顔を引き寄せて額にキスをした。良守の頭を抱いて、漸く不安が消えた。優しくてぶっきらぼうで、時音の理解を超える成長を見せる良守は、結界師として嫉妬していたところもあった。しかし、時音はこの男の優しさが好きだと昔から知っていた。そしていまはその好きとも違う好きの気持ちをこの男に抱いている。この身を任せてもいいと思う気持ちは、初めてだ。
良守はなにか思うところがあったのか、時音の体を力強く抱きしめた。顔は見えないが、照れているのかもしれない。その照れを紛らわせるために、首筋をなめてきたのは勿論想定外である。声を漏らせば、良守の動きは変わった。啄むこともあれば、舐めることもある。唇で肌をもてあそばれる感覚がいまいち慣れないし、何より恥ずかしい。
「時音、触りたい」
その言葉に何故か嬉しくなって、時音は肯いていた。いいよ、と小さく伝えると、彼は服の上からそっと時音の胸を手で覆った。大きな手だ。この手でいつも時音を守ろうとしていた。今は二人で一つになるために、この手が時音をもてあそぶのだ。
ブラジャーをしていないことに良守は驚いたらしいが、「寝る時は外すものなのよ」と言えば納得したらしい。初めておもちゃをもらった子供のような顔で、時音の乳房を揉んでいる。
「楽しいの?」
「不思議な感じ……」
揉むのをやめると、何かを探る手つきになったが、すぐに求めたものは見つかり、良守はきゅっと時音の乳首を摘んだ。また声が漏れる。良守は揉みながら摘み、時折、動きを変えて、時音が声を漏らし、身もだえるのを楽しんでいた。その内、その手が直接肌に触れると、時音は更に良守の手に翻弄されることになった。良守は頭で理解するよりも体と勘で理解するほうが早い質だ、だからか時音が何をどう感じるのか、どうすれば羞恥心を煽られながらも声を漏らし性的快楽を感じるのか、すぐに見抜いたようだった。
到頭借りたシャツを脱がされて、その肌を顕にしてしまった。こんなつもりじゃなかったのに、と頭の隅で思うが、だからといってこの行為をやめたいという気持ちもないことに、時音は動揺していた。
「最後まではしないから」
良守はまた困ったような顔をしながら、胸を覆い隠そうとする時音の腕を優しく解いた。キスをしながら、手は細かく時音の乳房で遊んでいる。声にならない感情が奔流して、時音は只々良守のする儘に感じ、求め、喘ぎ、悶える。もっと強くと思う気持ちとそれを恥じる気持ちが益々快楽に対し敏感にさせる。良守の唇が、時音の唇から離れ、乳首を食むと、その葛藤とそれに伴う快楽は強まった。先程口内で時音を翻弄した舌は尚も時音を苦しめながらよがらせる。
「時音、時音、」と呼ぶ声に応え、時音に覆いかぶさるその足に足を絡め擦り合わせる。
「あんたも脱いで」
そうして、良守の傷だらけの身体を見る。烏森での仕事がなくなってから何年も経つが、その体は鍛えられていて、無駄がなく、あちこちにある傷跡がかつての激戦を思い出させる。
時音はゆっくりと上半身を起こし、そのまま良守を抱きしめた。肌と肌が触れ合うことの心地よさは何とも言い難く、こうなるまでに何度となく死にかけたかつての日々が恐ろしくなる。良守が死んでいたら時音が抱き合う相手は別の男だったかもしれないし、時音が死んでいたら良守が口付ける相手は別の女だったかもしれない。どちらかが死んでいなくても、烏森の地が依然としてあったならば、二人は正統後継者としての責務を果たすべく、交わり合う事なく隣人としての付き合いを続けていたことだろう。こうして、憚ることなく抱き合えるのは奇跡なのだと時音は思うのだ。良守も時音も大学生の身分を手に入れたが、結界師としての仕事を受けることもままある。将来は結界師ではなく、一般職を目指しているが、結界師を辞めるわけではない。だからまた死にかけるような事もあるかもしれない。一般人とは異なる世界で生きてきたから、生と死があまり距離の離れていないことを時音はよく知っている。だから、言うべきことはさっさと言ってしまわねばなるまい。
「良守、あたしはあんたと生きていきたい。今も、これからも。ずっと一緒だったから、これからもそうだといいなって思うの」
時音は良守の背中に腕を回し、手のひらいっぱいに良守の体温を感じた。この男が馬鹿をする度に泣いて怒って喚いた。念糸でぐるぐる巻にして蹴り倒したこともある。最近は考えることも覚えて前ほど無鉄砲なことはしなくなったが、でもやっぱりどこか人を不安にさせてしまう男であるのには変わらない。だが、時に安心感も与えてくれる変な男だ。それが癖になってしまったのかもしれない。
「オレが言う前にプロポーズすんなよ……」
「えっ」
良守は言葉にならないうめき声を漏らしながら、時音の背中に腕を回してきた。時音に自覚はなかったが、そういえばプロポーズにしか聞こえない発言をしてしまったのだと今更恥ずかしくなる。単に、思ったことを素直に言わなければ後悔することもあるかもしれないと考えて、こんな時くらいはちゃんと言ってやろうと思っただけなのに。
「今はまだまだだけど、オレが稼げるようになったら結婚してくれる?」
互いに抱きしめたまま、良守がゆっくりと上半身を倒していく。それにつられて時音は良守の上に被さる。軽くキスをして、そのまま良守の頭を撫でる。
「あんたまだ未成年じゃない」
「あと一年もすりゃ成人だぜ」
「稼げるようになるのいつよ。どれだけあたしを待たせるつもりなの?」
「んじゃいつがいいんだよ」
「あんたが大学卒業したら」
「は、早くね?」
「あたしね、辛抱強いほうだと思うけど待つのはあんまり好きじゃないのよ」
上から良守の顔を再度見る。ちょっと間抜けな顔をしていて、時音の知る良守の表情に安心する。
「できるだけ早くね」
「頑張ります」
くしゃくしゃと良守が時音の頭を撫でる。月日が流れるのは早いものだ。
